ダンピアのおいしい冒険
日本の漫画
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概要

出版社の紹介には「未知の世界を食べて調べる、実在の人物と史実をもとにした海洋冒険飯漫画!」とある[1]。「海洋冒険飯漫画」のキャッチフレーズは単行本の作品紹介にも全巻で書かれている。
世界周航を3回成し遂げた最初の人物として知られるダンピアを主人公に、「食べることは重要な自然観察」として、人食いザメ、トド、ウミイグアナ、黄酒、ヤギの第一胃の中身を煮たものなど、珍しい動植物や異文化の料理を食べる姿が描かれる。ダンピアは著作『最新世界周航記』においても食への言及が多い。グルメ漫画としての要素がある一方、著者の特徴である等身が低くデフォルメの効いた可愛らしい絵柄で、時に病死や戦死、船員同士の諍いなどを生々しく描く。
ダンピアのベストセラー作である『最新世界周航記』、またダンピアと共に私掠船に乗っていたバジル・リングローズ、ウィリアム・アンブロシア・カウリー、ライオネル・ウェーファらの航海記を参考にし史実をベースにしつつ、著者の創作も多く盛り込まれている。
著者は、本作を「グルメ物」にしようと決めた後、グルメ漫画として評判の高かった『ダンジョン飯』を読み、参考にした[2]。
2007年に刊行された岩波文庫『ダンピア 最新世界周航記』は絶版となっていたが、2022年に復刊され、その際に本作とコラボしての書店PR用POPや帯が制作された[3][4]。
著者は「おい冒」との略称を使っている。
評価
「このマンガがすごい!2021」でオトコ編6位[5]。
あらすじ

1683年末、私掠船バチェラーズ・ディライト号は南海を目指し大西洋上にいた。後に各地の詳細な記録をイギリスへ持ち帰り、ヨーロッパ人を近代科学に目覚めさせる後押しとなる人物ウィリアム・ダンピアも船員の一人としてその船にいた。私掠船とは国家公認の海賊船であり、遭遇したスペイン船やデンマーク船と交戦し略奪を働くこともあった。
船長ジョン・クックが最も恐れるのは敵船ではなく、空腹だった。困難な航路の中で食糧が減っていき、不満を募らせた船員が反乱を起こさないか危惧した。そんなクックにダンビアは、人の味を覚え船についてくる「人食いサメ」を捕って食べようと提案した。「食べることは重要な自然観察です」「知るってことは生きる力だから」とダンピアは述べる。 未知なるものを強く希求するダンピアは、各地で積極的に未知なる食べ物を味わう。
登場人物

- ウィリアム・ダンピア
- 私掠船の航海士。1651年生まれ、当初1683年時点で32歳前後。イギリスサマセット州イーストコーカー出身。赤茶の髪と重たげな目元が特徴。
- 作中での主なキャリアは、トリニティ号の船員→バチェラーズ・ディライト号の航海士→シグネット号の航海士→ニコバル・カヌーの船長。
- 好奇心旺盛で未知を追い求め、航海で出会う様々な物事を詳細に記録している。他の者が厭うような目新しい動植物も食べたがり、不味いと評されるものでも「風味がある」と好む。
- 7歳で父を、14歳で母を亡くし、大学進学を夢見ていたが貧しさから学校中退を余儀なくされ、その後に生活のために船乗りとなった。独学でラテン語を学び博学。10代のころには「頭を使う仕事がしたい」「知から最も遠い場所に思えた」と理想との差に苦しんでいたが、新奇なるものとの出会いに喜びを見出し楽しめるようになり、英蘭戦争に従軍し戦艦に乗った後、カンペチェ湾での伐採業[注釈 1]を経て、1679年にバジル・リングローズとの出会いから私掠船乗りとなった。
- 私掠船乗りとしては、1679年12月からバーソロミュー・シャープ船長のトリニティ号に乗るも、シャープの残虐さに耐えられず1681年4月に離脱、ジョン・クック船長のリベンジ号へと移動し、1683年にクックがデンマークの船を奪い取りバチェラーズ・ディライト号と命名して乗り換えた。1685年8月、バチェラーズ・ディライト号が危険なリマ略奪を目指すようになり、同行していたチャールズ・スワン船長のシグネット号へ移動した。シグネット号の船長が変わってからは風紀の荒れについていけず、1688年5月に離脱。その地点であるニコバル諸島にて自作した小型のニコバル・カヌーに総員8人で乗り込み、船長となった。
- バジル・リングローズ
- 私掠船の船員。史実では1653年生まれ。
- トリニティ号の船員→シグネット号の積荷監督。
- 1679年のクリスマスにダンピアと出会い、航海に興味はあるも私掠船には抵抗のあったダンピアを仲間に引き入れた。ダンピアと同じく知的好奇心が強く博学であり、ダンピアに大きな影響を与えた友。金髪碧眼でポニーテールにしている。
- ダンピアとはバーソロミュー・シャープ船長のトリニティ号で共に航海した。『ノヴム・オルガヌム』の一節「知識は力と等しいもの。原因を知らなければ結果を得られないから」をラテン語で諳んじ、ダンピアが船上で初めて出会う知的な人物として彼を驚嘆させた。都会であるロンドン生まれだが貧しさから正規に学ぶ機会はなく、しかしラテン語やスペイン語が堪能で通訳を担い、敵であるスペイン人や奴隷の黒人にすら慈愛と敬意を持って接した。南海を渡り未知の南方大陸を知りたいと望み、それはいつしかダンピアの夢ともなった。しかし、シャープによる捕虜への拷問・虐殺が正視に耐えがたく体調を崩していった。「ただの海賊」のような船員たちとは一線を引いており、心配したダンピアには私掠船乗りを辞めるよう言われたが、操舵士のチャペルと揉めて彼を殺めてしまい、「僕は結局海賊なんだ」と失望。一旦は下船し陸で生きようと試みるも上手くいかず、チャールズ・スワン船長のシグネット号に乗船し、1684年10月に海上でダンピアと再会した。
- 『最新世界周航記』では、「私の才知ある友人」とダンピアに讃えられている。
- ウィリアム・アンブローズ・カウリー
- バチェラーズ・ディライト号の一等航海士(master)。ダンピアより5歳以上年上[7]。
- ケンブリッジ大学卒の裕福な秀才で、無学な荒くれ者が多い船員たちに馴染めていない。ダンピアには「カタギっぽい」と評された。屠殺に嫌悪を抱く。ダンピアが目新しさを評価して喜んで食べる料理も生きるために渋々摂っているだけだが、ダンピアの博学さを知り打ち解けていく。
- 多くの私掠船が同国人への攻撃や一般人の拉致を行うなどの暴走を見せる中で、バチェラーズ・ディライト号の不正行為を調べ、記録して海事裁判所に提出するための調査員、いわばスパイという隠された顔を持つ。罪が認められれば船員は全員死罪である。雇い主は、私掠船の暴走により交易が成り立たないことを危惧するヴァージニアの貿易商組合。発表するあてもなくただ純粋に知を求めて記録するダンピアを見るうちに、立身のために記録を取る我が身を恥じていく。
- 親しくなったダンピアらを吊るし首へ導くような真似ができなくなり、調査員であったことを皆に明かした上で告発はしないと誓い、1684年9月21日に船を降りた。ジョン・イートン船長のニコラス号に乗り換えての帰路は、寄り道が多い遠回りの航路であり、途中で更に別の船へ乗り換えるもロンドンへ帰り着いたのは2年以上後の1686年10月12日だった。祖国に役立つ方法はスパイの他にもあると思い立ち、ガラパゴス諸島の詳細な地図を作成しており、帰国後に発表した。
- 髪にリボンを結び身なりが良く、線が細い。髪色は白で表現される。
- 多くの船員が詳細に記述された『最新世界周航記』に、同じ船に乗っていたカウリーの記述は何故かない。本作においては、スパイ行為などを記しては立場あるカウリーに迷惑をかけるためダンピアが記述を消したからだと創作されている。
- ジョン・クック(英語版)
- ダンピアらが乗っていた私掠船「バチェラーズ・ディライト号」の船長。船名はクックが名付けた。船が一般的に女性として扱われるため「陸の女たちより俺らにお似合いだ」と「独り身の歓び」を意味する名にした。ダンピアより5歳以上年上[7]。
- イギリス人であるが、植民地セントクリストファー島生まれのクレオールであり、本国生まれに比べ蔑視対象。自分と同じく陸に居場所のない多国籍の船員たちに分け隔てなく接し、陽気で頭がよく回る。顔の下半分を覆う黒髭が特徴。
- 正式な私掠船免許を持たず、フランス船から奪った偽物で船員を騙しており、大義なきただの海賊ともいえる。
- 壊血病を患い、体に浮腫が現れ、歯が抜け落ちるほどに進行する。
- エドワード・デーヴィス
- バチェラーズ・ディライト号で船長に次ぐ地位の操舵士。後にクックの後を継ぎ船長となる。ダンピアより5歳以上年上[7]。髪色はオレンジ。体毛が濃い。
- オランダ人で、文盲。出自を引け目に感じ、有事の際イギリス人に見捨てられないかと気にしている。差別をしないクックへの思慕が深い。直情的な面もあるが、仲間想い。それ故に、カウリーがスパイであると判明した際には掴みかかり激昂したが、後に許し下船を認めた。帰国後、国が無許可の私掠船にも恩赦をすると聞き出頭するも捕まり投獄され、カウリーの働きかけにより赦免が認められ自由の身となった。没収されていた財産も返されたが全額ではなく、一部は恩赦の代償にかカウリーにより国へ寄贈され、ヴァージニア初の大学の建設費に充てられた。
- 財産の一部没収と引き換えに赦免され、その財産がウィリアム・アンド・メアリー大学の建設費用になったというのは史実であるが[8]、赦免についてのカウリーの関与は創作である。
- ライオネル・ウェーファ
- バチェラーズ・ディライト号の船医。史実では1640年生まれ。
- 1681年5月10日、ダリエン地峡にて火薬の誤爆発により両脚を負傷し船旅ができなくなり、先住民クナ族の集落に預けられ、仲間たちと別れた。数か月後にダンピアらが迎えに来た時には先住民と同じ刺青を入れ鼻輪をつけた姿になっていた。船員に復帰後も刺青はそのままになっている。
- ロビンとウィル
- ホンジュラスとニカラグアの先住民モスキート族の若者。小柄な方がロビン、もう一人がウィル。褐色の肌をしている。スペイン人と戦うためにイギリス人と同盟を組んでおり、二人は食糧調達係としてバチェラーズ・ディライト号に雇われている。まだ10代の少年[7]。
- ウィルは1681年ごろの航海中、スペイン艦隊に襲われた混乱の中でファン・フェルナンデス諸島に置き去りにされたが、1684年3月22日にダンピアらと再会を果たし私掠船へ戻った。
- この二人の名やエピソードは『最新世界周航記』に登場し、二人がモスキート族特有の再会の喜びを表現した場面は『ロビンソン・クルーソー』の作中描写のモデルとされている[9]。
- アンブローズ
- バチェラーズ・ディライト号のコック→シグネット号のコック→ニコバル・カヌーのコック。
- 太った低身長の男。作中に登場する料理の多くは彼が手掛けている。
- 『最新世界周航記』では、ダンピアは彼について「姓は忘れた」と記しており、従って本作でもファーストネームしか登場しない。
- ロバート・ホール
- バチェラーズ・ディライト号の船員→シグネット号の船員→ニコバル・カヌーの操舵士。
- 『最新世界周航記』によれば、ニコバル・カヌーに乗る8人の中で操舵技術があるのはダンピアとホールのみであったため、交互に操舵した。
- エラスモ
- シグネット号がブロ・コンドールに着いた際にダンピアらと出会い、仲間に加わった男。
- シグネット号の船員→ニコバル・カヌーの船員。
- シャムのポルトガル人居住区で生まれ、褐色の肌に白人のような顔立ちを持つ混血。ポルトガル人神父に名を与えられ神父の説教を聞いて育ち、ポルトガル人だと自認していた。しかし、シャム王がフランス贔屓となり、ポルトガルの神父がシャムを去りフランスの神父が根付くようになり、アイデンティティの揺らぎに苦しんでいた。地元を離れ、中国人らに混ざりジャンク船に乗って労働していた。嵐の際に聖エラスムスの名を口走るなど、信仰心を失ってはいない。
- 大部分が創作のキャラクターであり、『シャム旅行記』に登場するエピソードがモデルになっている[10]。『最新世界周航記』ではダンピアが1688年5月にシグネット号を離れニコバル諸島に留まった際の7人の同行者の一人にポルトガル人がいるとの記述があり、生い立ちなど詳細な人物像は記されていない。
- ジョン・スワン
- 「スワンじいちゃん」と呼ばれる85歳くらいの高齢の船員。老体のため動作に衰えはあるも、口ぶりは勇ましく、「クロムウェルがいた頃はよう…」と昔語りをよくする。かつて新模範軍として赤いコートを身に着け、アイルランド遠征に従軍した。
- 『最新世界周航記』では、「アイルランド反乱の時代にオリバーの下で従軍した、たくましい白髪の老人」「陽気で元気な老人」と描写される。
- ジョン・イートン(英語版)
- 私掠船ニコラス号の船長。太平洋上で1684年にバチェラーズ・ディライト号と合流し、しばらく行動を共にする。同年9月21日に東インドを回るために分かれた。
- バーソロミュー・シャープ
- ダンピアが1679年に参加した私掠船団の船長。「トリニティ号」の船長となる。史実では1650年生まれ。
- 知性と実力を持つも、捕虜への拷問など数々の残虐行為は船員に恐怖と反感を抱かせた。シャープを追放するか否かの採決が取られ、ダンピアを含む追放派が負けるも、船員50名がシャープについていけないと離脱する事態となった。
- スペイン人などの敵である白人へは残虐に振舞うが、各地で出会う先住民には敬意を持ち彼らを「美しい」と思う。ジョン・ミルトンの『失楽園』になぞらえ、先住民の住まう場が「楽園」であるなら、自分たちは「蛇」であると自己嫌悪を抱えている。先住民らを理想化しすぎ、実際に対面する彼らが文明に染まらぬ無垢な存在などではなく卑俗の部分を持つこと、時に殺さねばならない現実に苦しむ。「未知」にただ喜びを見せるダンピアやリングローズに羨望を向ける一方で「知識が世界を拓いたとして どうせまたポートロイヤルが生まれるだけだろ?[注釈 2]」とも感じていた。
- リチャード・ソーキンス
- シャープらと行動を共にする私掠船の船長。
- 海賊行為によりポートロイヤルに投獄されていたが1679年12月、ジョン・クックらの手引きにより脱獄した。先住民を理想化し苦しむシャープに「お前が思ってるほど奴らは高尚じゃない」と説き、白人も先住民も「神の作り給うた同じ人間だ」と主張した。私掠船が大義なき海賊へと傾く時代の中でも、「俺は今でも正義を信じているよ」「その証拠に俺はまだ生かされてる」とシャープに語る。
- チャールズ・スワン
- シグネット号の船長。元は交易船であったが、上手く商売が進まず、不満を持った船員らに押し切られ、私掠船長ピーター・ハリスと組んで私掠行為を行っていた。小柄で肥満体、上品だが優柔不断で頼りない人物。1684年10月にバチェラーズ・ディライト号と合流、1685年8月に分かれた。略奪に疲れ、ミンダナオ王国に着いた後、半年以上も滞在を続け出航しようとせず、ついには他の者が船長となり置き去りにされた。
- ジョン・リード(悪の方)
- 同姓同名の船員が他にいるため、「悪の方」と称されている。
- バチェラーズ・ディライト号の船員→シグネット号の船員→シグネット号の船長。
- ジャマイカ出身。シグネット号がミンダナオに着いた後、船長のチャールズ・スワンが中々再出航せず留まり続けることに苛立っていた矢先に、スワンが日記の中で「乱暴で無教養などうしようもない奴」と自身の悪口を書いていたことを知り、船長の座を奪いスワン置き去りにして出航しようとの反乱を起こした。船員の多くに支持され、1687年1月14日、スワンと36人の船員をミンダナオに残し、船長として出航した。財産を築いた末に、人知れずニューヨーク行きの船に乗り皆の前から消えた。
- ジョン・リード(善の方)
- 同姓同名の船員が他にいるため、「善の方」と称されている。
- バチェラーズ・ディライト号の船員→シグネット号の船員。
- ブリストル出身。年若く、ダンピアよりかなり年下。
- 『最新世界周航記』では、機智に富んだ若者で礼儀正しく、航海日誌をつけていると描写された。
- ハーマン・コピンジャー
- バチェラーズ・ディライト号の船医助手→シグネット号の船医。
- まだ10代の少年[7]。ミンダナオにてビンロウジ噛みの依存症になりかけるも、後に克服。シグネット号船長スワンをミンダナオに置き去りにしてジョン・リードが乗っ取る事態の後、船員が荒れていき、それを厭いブロ・コンドールに着いた際に脱走を図ったが引き返す。
- 『最新世界周航記』に登場。
- ジョン・サッカー
- シグネット号の船員。文字の読み書きはできないがダンスが得意で、ミンダナオに着いてからは現地の女性らと共に踊った。それを見た現地の男性が踊りを誉め、「彼は実は貴族なんだ」と他の船員らは軽口を叩き、結果的に「サッカーは貴族だと嘘をついた」としてスワン船長の怒りを買い、サッカーが折檻を受ける事態となった。サッカー自身はただ踊っただけで嘘はついていなかった。彼が受けた折檻は、酷暑の中を全裸で半日磔にされるというもので、酷く火傷を負った。この事件は、スワンをミンダナオに置き去りにして他の者を船長にして出航しようという反乱の一因となった。
- 『最新世界周航記』にも登場し、ダンスがうまいのはロンドンのワッピングのミュージックハウスで覚えたからで、また私掠で得た質の高い服を身に着けていたと記されている。
- ジョサイア・ティート
- シグネット号の航海士→シグネット号の船長。
- ミンダナオにて、現地の王弟ラージャ・ラウトが船員らをもてなすふりをして船の略奪を企んでいるのではないかと疑った結果、ラージャに心を許すスワン船長の怒りを買い、ジョン・サッカーと共に酷暑の中を半日全裸で磔にされるという折檻を受けた。高圧的な部分がありダンピアにも苛烈に当たったが、1688年5月にダンピアがシグネット号を離れた際には、自身の航海日誌をダンピアにプレゼントし手記の一助になれるようにした。1689年、当時のシグネット号船長のジョン・リードが離脱後にティートが船長となった。シグネット号の調子が悪くなり上手く走行できなくなった後、コロマンデル海岸に着き、他の一部の船員らと共にムガル帝国に仕えるようになったとされる
- 『最新世界周航記』にも登場し、スワンがシグネット号の船長だった時期に、同行する小型のバーク船の船長を務めていた。
- ラージャ・ラウト
- ミンダナオ王国の王(スルタン)・バラハマンの弟。兄王がスペイン語を介さないため、代わりに外交にあたりダンピアらとも接した。ダンピアらを連日もてなし食糧を分け与えるも、「白人は皆同じだ暴力で我々から奪っていく」「ミンダナオは決して屈さぬ」と考えており、防備を整えるためにシグネット号の砲を奪おうと企み、わざとフナクイムシの出る場所に停泊させ航行できなくしようと目論んだが、失敗に終わる。
- 『最新世界周航記』にも登場し、「海に関する一切の事柄は彼の管轄」と記され、非常に聡明で他国の風習についても理解し、また熟練した軍人で勇敢な人物とも評されている。砲を奪う計画などは創作。

- ジェオリー王子
- メアンギス島で生まれ、奴隷としてミンダナオ王国に仕えていた男性。褐色の肌を持ち、全身に精巧な刺青を入れている。メアンギスの族長の息子であり、帰郷したいと夢見ていた。当初マレー語に不慣れだったダンピアはわからなかったが、ある程度話せるようになってからはジェオリーの口ぶりが気品あるものだと気づいた。ダンピアに身柄を引き取られ親しくなり、ダンピアも故郷に返してあげたいと望んでいた。しかし、イギリスに帰国したダンピアは金銭苦からジェオリーを見世物として売り払い、やがてジェオリーは天然痘により帰郷できぬまま亡くなった。
- 『最新世界周航記』によれば、故郷に5人の妻と8人の子供がいる若い男性。彼を連れ歩くと多くの人に称賛され食糧などを分け与えられ、彼を譲ってほしいとせがまれ、ダンピアは金に困っていたために権利の一部を、やがては全てを売った。ジェオリーはオックスフォードで展示されていた際に亡くなった。
- その他の記録では、死後にジェオリーの刺青のある皮膚の一部は剥がされ「解剖学的珍品」としてオックスフォード大学に保存され、20世紀初頭に失われた[11]。遺体はセント・エッベ教会に埋葬された[11]。
- エドワード・スプラッグ
- 王立海軍青色艦隊の提督。1673年、22歳のダンピアが英蘭戦争に従軍した際の上官。強制徴用された水夫ばかりの中で、志願して入ったダンピアに好感を持つ。英国海軍は低賃金かつ食糧も低質で腐敗しており、私掠船以下の待遇であることを謝罪した。
- ジョージ・ボンド
- 元イギリス人私掠船長。スペイン以外の船や街も関係なく襲い、忌み嫌われ西インド英領への出入りが禁止になっていた。スペインへ投降し、パナマでスペイン側の顧問となる。ダンピアらを攻撃するための火船の運用を助言した。
書誌情報
- トマトスープ『ダンピアのおいしい冒険』 イースト・プレス〈MATOGROSSO〉、全6巻
- 2020年8月7日発売ISBN 978-4-7816-1896-8[12]
- 2020年12月14日発売ISBN 978-4-7816-1936-1[13]
- 2021年7月17日発売ISBN 978-4-7816-1992-7[14]
- 2022年5月12日発売ISBN 978-4-7816-2069-5[15]
- 2023年4月12日発売ISBN 978-4-7816-2169-2[16]
- 2024年1月18日発売ISBN 978-4-7816-2248-4[17]