ジャック・ドウティー
From Wikipedia, the free encyclopedia
![]() AAA級インディアナポリス時代 (1987年) | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | フロリダ州マイアミ・デイド郡 |
| 生年月日 | 1960年7月3日(65歳) |
| 身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投両打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1982年 アマチュアFA |
| 初出場 |
MLB / 1987年9月1日 NPB / 1996年3月30日 |
| 最終出場 |
MLB / 1993年10月3日 NPB / 1996年5月18日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
ジョン・マイケル・ドウティー(John Michael "Jack" Daugherty , 1960年7月3日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。左投両打。
千葉ロッテマリーンズでの登録名はジャック。
Daughまでが「ドウ」なので、実際にはドウハーティ、またはドウアーティと読む。[要出典]
1982年にオークランド・アスレチックスと契約。1987年9月1日にモントリオール・エクスポズでメジャーデビュー。1988年9月にトーマス・オマリーとのトレードでテキサス・レンジャーズに移籍し、翌1989年から2年連続で規定打席不足ながら打率3割をマークした。その後は目立った成績は残せず、1993年にはヒューストン・アストロズ、さらにシンシナティ・レッズにトレード移籍し、1994年からはマイナー暮らしが続いていた。
1995年オフに当時千葉ロッテマリーンズでGMを務めていた広岡達朗が「シュアな打撃は日本向き」という理由で、広岡自らが入団テストを行い、獲得。スパイクと同様にこの年活躍した助っ人、フリオ・フランコを解雇してまでの獲得だっただけに期待された。しかし、来日時には35歳で、前年も3Aで10試合に出ただけで打率.152、0本塁打に終わるなど衰えは顕著で、直球には力負けし、さらに「シュアな打撃」が売りにもかかわらず変化球にも全く対応できず、開幕から打率1割を超えるか超えないかの超低空飛行が続きフランコにはるか及ばなかった。そのため4月中に二軍に落ちるとその後はほとんど出番を与えられないまま、6月3日には早くも戦力外通告を受けた。[要出典]この外国人コンビの極度の不振はチームの得点力不足を招き、この年のBクラス転落、さらには広岡の解任へとつながっていった。
