ブラウンはインタビューで次のように語っている[1]。
この曲は
マリブのズマ・ビーチの果樹園で働いていた女の子のために書いたんじゃないかと思う。そこは太平洋から道を隔てたところにあって、まるで
エデンの園のようだった。オーガニックの果物を作っていた彼女も“エデンの園”そのもののように思えたよ。船長を父親に持つ女の子が海のそばで暮らしている。しかし結局は彼女も連れ去られ旅立つことになる。そんな話を寓話として書いたのだけれど、僕自身はできることなら、繭にくるまれ、世界と隔絶された中にずっといたかった。彼女は世界に飛び出そうとしていたわけだし、閉じられた人間関係なんてのはすでに消えてなくなっていたけどね。それが現実だった。
最初に世に出たのはバーズのバージョンである。クラレンス・ホワイトがリード・ボーカルをとり、1971年6月に発表された10枚目のアルバム『バードマニア』に収録された。同バージョンのライブ演奏はアルバム『Live at Royal Albert Hall 1971』(2008年)に収録。
その後、1972年に発表されたブラウンのファースト・アルバム『ジャクソン・ブラウン・ファースト』の1曲目に収録された。演奏者はブラウン(ボーカル、ピアノ)、リーランド・スカラー(ベース)、ラス・カンケル(ドラムズ)、クラレンス・ホワイト(アコースティック・ギター)、デヴィッド・クロスビー(バッキング・ボーカル)[2]。
『ローリング・ストーン』1972年3月2日号が『ジャクソン・ブラウン・ファースト』を取り上げた際、ライターのバド・スコッパはこの曲を「この上なく美しいラブ・ソング」と称えて異例とも言える長文のレビューを載せた[3]。