クラレンス・ホワイト
From Wikipedia, the free encyclopedia
| クラレンス・ホワイト | |
|---|---|
| 出生名 | Clarence Joseph LeBlanc |
| 生誕 |
1944年6月7日 |
| 死没 |
1973年7月15日(29歳没) |
| ジャンル | ブルーグラス、カントリー、ロック |
| 職業 | ミュージシャン、作曲家 |
| 担当楽器 | ギター |
| 活動期間 | 1958年 - 1973年 |
| 共同作業者 | ケンタッキー・カーネルズ、ナッシュビル・ウェスト、ザ・バーズ、ミュール・スキナー |
| 著名使用楽器 | |
|
マーティン製D-18 D-28(1935年製) フェンダー・テレキャスター | |
クラレンス・ホワイト(Clarence White、1944年6月7日 - 1973年7月15日)は、アメリカのミュージシャン、ギタリスト。ブルーグラス・バンドのケンタッキー・カーネルズやミュールスキナー、ロック・バンドのザ・バーズでギタリストとして活動した。
ブルーグラスおよびカントリー・ロックのギター奏法に革新をもたらし後世に大きな影響を与えたが、交通事故のために29歳で死去した。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第41位、2011年の改訂版では第52位。
生い立ちと初期の活動
1944年、メイン州ルイストンでフランス系カナダ人の両親のもとに生まれる。一流のブルーグラスミュージシャンであった父の影響で一家は音楽に囲まれており、ホワイトも幼少の頃からウクレレやバンジョーに親しみ、8歳ごろにギターを始める。
1954年に一家はカルフォルニアに親戚を頼って移住し、ホワイトは当地で兄のローランド・ホワイトやエリック・ホワイト[1]と共にブルーグラス・バンド「スリー・リトル・カントリー・ボーイズ」 (Three Little Country Boys) を結成し、演奏活動を始める。
ケンタッキー・カーネルズ
スリー・リトル・カントリー・ボーイズは1962年にバンド名を「ケンタッキー・カーネルズ」(The Kentucky Colonels)に改め、ファースト・アルバムを録音する。この頃には、ホワイトのブルーグラス奏者としてのギタースタイルはほぼ完成されていた。
その後2、3年の間、ケンタッキーカーネルズは精力的に活動する。1964年にはアルバム『アパラチアン・スウィング』 (Appalachian Swing) を発表するが、正統派のブルーグラス音楽は次第に時代遅れとなったので、業績不振のために1966年に解散した。
ザ・バーズ
ホワイトはその後、エレクトリックギターを演奏するようになり、スタジオ・ミュージシャンとして多くのレコーディング・セッションで活動する。代表的なものにはリック・ネルソン、アーロ・ガスリー、モンキーズ、ジャクソン・ブラウンなどのアルバムがある。レコーディング・セッションの合間には、伝説的グループ「ナッシュビル・ウェスト」[2]で活動している。
その過程でロックに接近し、ザ・バーズのアルバム『昨日よりも若く』(1967年)、『名うてのバード兄弟』(1968年)、『ロデオの恋人』(1968年)にセッション・ミュージシャンとして参加する。『バーズ博士とハイド氏』(1968年)の録音から正式に加入して5作のアルバムの制作に関与した。彼を迎えたバーズは圧倒的なライブ・パフォーマンスが可能になり、彼のカントリーフレイバーあふれるギターフレーズは多くの後進ギタリストたちに影響を与えた。
ホワイトは「オイル・イン・マイ・ランプ」[注釈 1]、「トラック・ストップ・ガール」[注釈 2]、「テイク・ア・ウィフ・オン・ミー」[注釈 2]、「ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル」[注釈 3]などの楽曲でリード・ボーカルをとった。
やがて音楽の方向性をめぐって、オリジナル・メンバーでフロントマンのロジャー・マッギンとホワイトら他のメンバーの間で意見が対立し始めた。マッギンはオリジナル・メンバーによる編成での活動を強く求めるようになり、バーズはアルバム『ファーザー・アロング』(1971年)発表後に活動を休止し、1973年2月に解散した[注釈 4]。
事故死
ホワイトはセッション・ギタリストとして活動を続けると同時に、兄弟たちとブルーグラス・バンドでの活動を再開する。またミュールスキナー[3]などのバンドで活躍した。
しかし1973年7月15日、カルフォルニア州パームデールで兄弟たちとステージに立った後、深夜に機材を車に詰め込んでいる最中、泥酔した女性が運転する車に撥ねられて死去した。29歳だった。
音楽性
ホワイトはブルーグラス音楽では本来、伴奏楽器であったアコースティックギターをリード楽器として定着させた第一人者である。彼以前にもリード奏者はいたが、一本調子の大味な演奏が多かった。それに対し、ジャズやR&Bの影響を濃く受けた彼は、卓越したリズム感覚でリズムの変化を多用することや音程を飛躍させることにより、躍動感のあふれる多彩なフレーズを生み出し、ブルーグラスのギターブレイクを芸術の域まで高めた。
エレクトリックギターの分野でも、ナッシュビル・ウェスト及びザ・バーズの同僚ジーン・パーソンズと共同で、スティール・ギターのような効果を出すストリングベンダー[注釈 5]という装置を考案した。ザ・バーズのアルバム『(タイトルのないアルバム)』(1970年)では、この装置付きギターを効果的に使っている。