ジャレッド・バートン

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生年月日 (1981-06-02) 1981年6月2日(44歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
ジャレッド・バートン
Jared Burton
2012年7月30日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州ウェストミンスター
生年月日 (1981-06-02) 1981年6月2日(44歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト8巡目(全体248位)でオークランド・アスレチックスから指名
初出場 2007年4月4日 シカゴ・カブス
最終出場 2014年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

レヴィ・ジャレッド・バートンLevi Jared Burton , 1981年6月2日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州ウェストミンスター出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

アスレチックス傘下時代

2002年、MLBドラフト8巡目(全体248位)でオークランド・アスレチックスから指名され、6月12日に契約。A-級バンクーバー・カナディアンズで13試合に登板し、0勝4敗1セーブ、防御率3.58だった。

2003年はA級ケーンカウンティ・クーガーズで15試合に登板し、2勝1敗1セーブ、防御率2.27だった。

2004年はルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスで5試合に登板後、7月にA+級モデスト・アスレチックスへ昇格。A+級では10試合に登板し、3勝2敗、防御率4.78だった。

2005年はA+級ストックトン・ポーツで52試合に登板し、4勝4敗24セーブ、防御率2.60だった。

2006年はAA級ミッドランド・ロックハウンズで53試合に登板し、6勝5敗1セーブ、防御率4.14だった。

レッズ時代

2006年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトシンシナティ・レッズから指名され移籍した[1]

2007年は開幕ロースター入りを果たし、4月4日シカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。3点ビハインドの9回表から登板したが、先頭打者に四球を与え、代走のロニー・セデーニョが盗塁死したものの、続くアルフォンソ・ソリアーノにも四球を与え、その際に暴投を記録。さらにジャック・ジョーンズにも三者連続となる四球を与え、降板した[2]。4月7日に球場の外野をランニング中に左ハムストリングを痛め、翌日の4月8日に15日間の故障者リスト入りした[3]。5月9日に復帰[4]。その後は10試合に登板していたが、6月12日に腰の故障で15日間の故障者リスト入りした[5]。7月7日に復帰。復帰後はセットアッパーとしての起用が増え、シーズン終了まで定着した。この年は47試合に登板し、4勝2敗、防御率2.51だった。

2008年も開幕からリリーフ陣に加わったが、7月19日に右腕の故障で15日間の故障者リスト入りした[6]。9月2日に復帰。この年は故障で約2ヶ月間離脱したものの、54試合に登板。5勝1敗、防御率3.22だった。

2009年2月21日にレッズと1年契約に合意。この年も開幕ロースター入りしたが、開幕から20試合で防御率6.33と不調が続き、6月1日にAAA級ルイビル・バッツへ降格[7]。降格時には「自分の投球ができていなかった」と話していたが、代わりに故障者リストから復帰したエディンソン・ボルケスが翌日の6月2日に再び故障者リスト入りしたため、再昇格した[8]。昇格後は主に敗戦処理として9試合に登板し、防御率2.19と好投していたが、メジャー未経験の内野手であるドリュー・サットンを昇格させるため、7月1日にAAA級へ降格[9]。突然の降格に気を悪くし、報道陣の質問にも答えなかったが、降格後はAAA級で8試合に登板し、2勝0敗、防御率1.00と完璧な内容を残したため、7月20日に再昇格[10]。しかし7月26日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[11]。8月10日に復帰[12]。この年は53試合に登板し、1勝0敗、防御率4.40だった。

2010年1月18日にレッズと81万ドルの1年契約に合意[13][14]。スプリングトレーニングでは7試合に登板したが、防御率5.63と振るわず、ルーキーのローガン・オンドルーセックにリリーフの座を奪われ、4月2日にAAA級ルイビルへ降格した[15]。4月8日に甲状腺機能亢進症の診断を受け、5月20日に復帰。AAA級では33試合に登板し、3勝2敗4セーブ、防御率2.61だった。シーズン終盤の9月13日にメジャーへ昇格し[16]、4試合に登板した。

2011年1月6日にレッズと75万ドル+出来高[17]の1年契約に合意[18]。スプリングトレーニングでは9試合に登板したが、3月31日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[19]。その後も右肩の状態は芳しくなく、4月からはノースロー調整が続いていた[20]が、4月18日に60日間の故障者リストへ異動し、4月22日に関節鏡視下手術を行った[21]。8月23日に故障者リストから復帰し、AAA級ルイビルへ異動。登録枠が拡大された9月1日に再昇格した[22]。この年は6試合に登板し、防御率3.86だった。オフの10月31日に40人枠から外れ、AAA級ルイビルへ降格した[23]が、11月1日にマイナー契約を拒否し、FAとなった。

ツインズ時代

2011年11月11日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[24]

2012年はスプリングトレーニングで11試合に登板し、防御率1.64の好投をみせ、4月4日にツインズとメジャー契約を結び[25]、開幕ロースター入りを果たした。この年は64試合に登板し、3勝2敗5セーブ、防御率2.18を記録。オフの12月6日にツインズと総額550万ドルの2年契約[26](2015年・360万ドルの球団オプション付き[27])を結んだ[28]

2013年は自己最多の71試合に登板し、2勝9敗2セーブ、防御率3.82だった。

2014年は68試合に登板し、3勝5敗3セーブ、防御率4.36だった。オフの10月22日にツインズが360万ドルの球団オプションを破棄したため、FAとなった[29]

ツインズ退団後

2015年2月16日、ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を交わし入団[30]。3月26日に自由契約となったが[31]、契約内容を変更し29日にマイナー契約で再契約を交わした[32]。5月16日に再び解雇となった[33]

5月24日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだが、6月30日に自ら契約解除を希望し自由契約となった。

投球スタイル

86~90マイルのチェンジアップを主体に投げる珍しいタイプの投手。次いで、91~96マイルのフォーシーム、84~88マイルのスライダーを投げる割合が高い[34]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 CIN 47000042011.66717643.02822242363115122.511.16
2008 54000051011.83325758.25662532582124213.221.38
2009 53000010071.00026559.16152364452030294.401.42
2010 400000001----103.100000100000.000.00
2011 600000001----234.261300300223.861.93
2012 MIN 64000032518.60024562.04151615550021152.180.92
2013 71000029227.18228166.06162255612029283.821.26
2014 68000035314.37527264.05862533461034314.361.29
MLB:8年 367000018191090.4861529361.03113113622213051021551383.441.23

背番号

  • 51 (2007年 - 2011年)
  • 61 (2012年 - 2014年)

脚注

関連項目

外部リンク

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