ジュゼッペ・マリア・クレスピ
From Wikipedia, the free encyclopedia
略歴
ボローニャで生まれた。「ボローニャ派」の画家で、若いころ、ぴっちりしたスペイン風の衣服を着るのを好んだことから「ロ・スパニョーロ(lo Spagnolo)」や「ロ・スパニョレット(lo Spagnoletto)」の仇名で呼ばれた[1]。絵の教育を、アンジェロ・ミケーレ・トニ(Angelo Michele Toni:1640-1708)やドメニコ・マリア・カヌーティ(Domenico Maria Canuti: 1625-1684)、カルロ・チニャーニ(Carlo Cignani: 1628 - 1719) といったボローニャの画家から受けた[1]。ボローニャの支援者から援助を受けて、ローマなどを旅し、コレッジョやフェデリコ・バロッチら、ルネサンス後期の画家の作品を研究し、色使いを特徴とするヴェネツィア派の画家たちとも知り合った。
クレスピは広い題材を描いた画家で、宗教画、風俗画、肖像画も描いた[2]。1700年から1705年の間はサヴォイア家の一族、オイゲン・フォン・ザヴォイエンのためにウィーンでも作品を描き[3]、その後、トスカーナのフェルディナンド・デ・メディチの娘のがパトロンとなった。1711年に教皇クレメンス11世の勅許を得た、ボローニャ美術アカデミー(Accademia Clementina)の一員として活動した。
ボローニャで没した。
息子のルイージ・クレスピ(Luigi Crespi: 1708-1779) も画家になった。