ジュール・ド・ポリニャック (1746-1817)

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ジュール・ド・ポリニャック
Jules de Polignac
初代ポリニャック公
初代ポリニャック公アルマン・ジュール・フランソワ
在位 1780年 - 1817年

出生 (1746-06-07) 1746年6月7日
フランス王国クレー=スイイ英語版
死去 (1817-09-21) 1817年9月21日(71歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国サンクトペテルブルク
配偶者 ヨランド・ド・ポラストロン
子女 アグラエ
アルマン
ジュール
メルシオール
家名 ポリニャック家
父親 エルキュール=ルイ・ド・ポリニャック子爵
母親 ディアーヌ・ゼフィリーヌ・マンシーニ
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アルマン・ジュール・フランソワ・ド・ポリニャックArmand Jules François, comte puis 1er duc de Polignac, 1746年6月7日 クレー=スイイ英語版 - 1817年9月21日 サンクトペテルブルク)は、ブルボン朝末期フランスの貴族、廷臣、軍人。伯爵、のち公爵。王妃マリー・アントワネットの寵臣ポリニャック夫人の夫。

エルキュール=ルイ・ド・ポリニャック子爵(1717年 - 1792年)と妻のディアーヌ・ゼフィリーヌ・マンシーニ(1726年 - 1755年)の間の第4子・次男。母方の曾祖父にニヴェルネ公爵及びノアイユ公爵がおり、フランス屈指の名門と縁続きだった。母親からマンシーニ侯爵位を相続した。

1767年7月7日、ガブリエル・ド・ポラストロンと結婚。第1竜騎兵連隊フランス語版所属[1]の陸軍大佐[2]だったが、暮らし向きは裕福ではなかった。

1774年に妹ディアーヌアルトワ伯爵夫人付き女官となったことで、妻と共に宮廷に出入りし始める。1775年頃より妻が王妃の寵愛を受けるにつれ、一族郎党と共に多くの恩恵に与るようになる[2]。王妃主馬頭の襲職権保有者[1][3]となり、この役職を利用して法外な利益を引き出した[4]。国王からフェネトランジュ英語版男爵領を受けたほか[1]、1780年には世襲の公爵位を授けられ、1782年郵政長官に就任した[2]

フランス革命が起きるとすぐ国外に逃れ、一時は反革命のエミグレ軍英語版に所属した。晩年はロシア女帝エカチェリーナ2世に授けられたウクライナの所領に隠棲した。

子女

妻との間に4人の子をもうけた。

脚注

参考文献

外部リンク

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