ジョニー・キム
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サンディエゴ大学
ハーバード・メディカルスクール
ジョニー・キム Jonny Kim | |
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| 生誕 |
Jonathan Yong Kim 1984年2月5日(42歳) |
| 教育 |
サンタモニカ高校 サンディエゴ大学 ハーバード・メディカルスクール |
| 子供 | 3人 |
| 宇宙滞在期間 | 244日23時間16分 |
| 選抜試験 | NASA第22期宇宙飛行士候補生(2017年) |
| ミッション | MS-27 |
| 記章 |
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| 兵役経験 | |
| 部門 | アメリカ海軍 |
| Years | 2002年 - |
| 最終階級 | 海軍少佐 |
| 部隊 | SEALチーム3 アメリカ海軍医療部隊 |
| Conflicts | イラク戦争 |
| 受賞 | |
ジョニー・キム(Jonny Kim、1984年2月5日 - )は、アメリカ合衆国のNASA宇宙飛行士、医師、元アメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズ隊員。海軍飛行士および航空軍医の二重資格(AMDD)を有する。韓国系アメリカ人である[1]。
父親の事件
1984年2月5日、カリフォルニア州ロサンゼルスで韓国系移民の両親のもとに生まれた。弟が一人いる。両親は酒屋を経営し、母親は小学校の代用教員でもあった[2]。2018年のAnnals of Emergency Medicineのインタビューで、自身の幼少期から思春期にかけての性格を「完全な自信を欠いた、物静かな子供の典型」であったと回想している[3]。
16歳の頃、友人の影響でネイビー・シールズの存在を知り、ジーン・ウェンツの著書『Men in Green Faces』を読んだことを契機に、同部隊を志すようになった。以後はその過酷な訓練に耐えうる身体を作るため、スチュアート・スミスの著書『The Complete Guide to Navy Seal Fitness』のフィットネスルーチンを参考に、高校時代から自己鍛錬に取り組んだ。学業成績は優秀で、水泳および水球にも打ち込んでいた[3][4][5]。
高校卒業前、父親が泥酔状態で銃を持ち出し家族を脅す事件が発生した。父親は重度のアルコール依存症であり、キムの幼少期から主に母親に対して言葉の暴力や身体的虐待を行っていた。
2002年2月21日の日中、当時18歳であったキムが自宅にいた際、仕事に出ているはずの父親が酒に酔って帰宅した。父親は“I'm sorry, Jonathan”と言いながらキムの顔にペッパースプレーを噴射した。その後、キッチンにいた母親が「銃を持っている」と叫んだため、キムは父親と格闘し銃を奪おうとしたが、父親はダンベルでキムの頭部を殴打した。この結果、キムは頭部を負傷し、後に病院で縫合処置を受けた。
その後、キムは父親に対して「愛している」と伝え、発砲を思いとどまるよう訴えた。父親はキムおよび母親への発砲を行わず、その場から逃走した。父親の逃走後、母親は警察に通報した。
キムは病院から帰宅後、屋根裏部屋へ通じる入り口付近の家具が動かされていることに気づき、父親がいる可能性があると警察に伝えた。警察が屋根裏部屋を確認したところ銃撃戦となり、最終的に父親はその場で射殺された[5][6][7]。
海軍
2002年にサンタモニカ高校を卒業後、アメリカ海軍に入隊。BUD/S(基礎水中爆破訓練)を経てネイビー・シールズの隊員となり、SEALチーム3に配属された。イラクの自由作戦を支援するため、2006年のラマディの戦いや2008年のサドルシティの戦いに参加。100回以上の戦闘任務において、戦闘衛生兵、狙撃兵(スナイパー)、ナビゲーター、ポイントマンとして従事した[8]。
ラマディの戦いにおいては、負傷したイラク軍兵士2名を救出した功績により、銀星章を授与されている[9]。
2006年8月2日、戦闘中に親友であったマーク・アラン・リーを失い、もう一人の親友ライアン・ジョブが顔面を撃たれ両目を失明する重傷を負った。キムは当時衛生兵として処置に当たったが、そのとき感じた深い無力感が、後の医師を志す直接的な動機となった[7]。
2009年には海軍の選抜教育制度であるSTA-21プログラムに選抜され、サンディエゴ大学へ進学。数学を専攻し、3年間で学士号を最優等の成績(summa cum laude)で取得した。在学中には生活費を補うために大学構内で駐車違反切符を切る業務に従事していた[5]。
2012年に海軍予備役将校訓練課程から医療部隊に移り、2016年にはハーバード大学医学部でM.D.を取得した。パット・ティルマン財団の奨学生でもあった[10][11]。マサチューセッツ総合病院やブリガム・アンド・ウィメンズ病院で救急救命の研修医として勤務した[8]。
宇宙飛行士
ハーバード大学在学中に宇宙飛行士で医師でもあるスコット・パラジンスキーの助言を受けたことを契機に、宇宙飛行士選抜試験へ応募。2017年6月7日、応募者1万8,300人超の中から、NASA第22期宇宙飛行士候補生として選抜された12人の一人となった。2020年1月10日に基礎訓練を修了し、正式に宇宙飛行士となった[3][12]。
基礎訓練修了後には短期間海軍の任務に復帰し、航空分野および航空医学分野における専門的訓練を受けた。テキサス州のコーパスクリスティ海軍航空基地において初等飛行訓練を受け、フロリダ州のホワイティング・フィールド海軍航空基地にて高等飛行訓練を受けた。加えて、ペンサコーラ海軍航空基地に所在する海軍航空医学研究所において海軍航空軍医課程を修了し、航空医学に関する専門的教育を受けた。これら一連の訓練は2023年3月に完了し、海軍飛行士と航空軍医の二重資格(AMDD:Aeromedical Dual Designator)を取得した[13]。
2020年12月9日、NASAはキムがアルテミス計画の早期月面着陸ミッションの訓練を受ける18名の飛行士の一人に選出されたことを正式に発表した[14]。
2025年4月8日、ロシアのソユーズMS-27宇宙船に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)へ出発。約8か月間(245日間)ISSに滞在し、同年12月9日に地球へ帰還した[8]。