Wikiwand AI

ジョルジュ・バルビエ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 1882年10月16日
フランス、ナント
死没 1932年3月16日
フランス、パリ
ジョルジュ・バルビエ
George Barbier
自画像 (1928年)
生誕 1882年10月16日
フランス、ナント
死没 1932年3月16日
フランス、パリ
テンプレートを表示
「ジャンヌ・パキンのガウン」(1914年)
『薔薇の精』のニジンスキー(1911年)

ジョルジュ・バルビエ(George Barbier、1882年10月16日 ナント - 1932年3月16日 パリ)は、フランスのイラストレーター。20世紀の著名なイラストレーターの一人である。古典を基礎に、当時、流行した日本趣味(ジャポニスム)、中国趣味(シノワズリ)の影響を受けたアール・デコ様式のイラストレーションで知られる。彼の創作活動はジャンルが限定されていたため、美術史においては長い間、軽視されてきたという見方もある。

1882年10月10日、フランスのナントの裕福なブルジョワの家庭に生まれる。ナントは大陸貿易で栄えた古都で、木版画家のオーギュスト・ルペール、その弟子の版画家ジャン・エミール・ラブルールを輩出している。

1908年パリに上京し、エコール・デ・ボザールに学ぶ。1909年パリで巡業したセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)公演を鑑賞、アンナ・パヴロワやヴァーツラフ・ニジンスキーら新進気鋭の舞踏家や、芸術監督レオン・バクスト、アレクサンドル・ブノワによる舞台装置に影響を受ける。1911年パリで個展を開始した後、1913年作品集『ニジンスキー』、次いで翌1914年『タマル・カルサヴィナ』を発表する。

同時期、ギリシア趣味やロシア・バレエに加え、ファッションモードにも深い関心を寄せ、1912年創刊のファッション雑誌『ジュルナール・デ・ダーム・エ・デ・モード』、『ガゼット・デュ・ポン・トン』に定期的にイラストレーションを掲載することとなった。

1914年高級ファッション雑誌『モード・エ・マニエール・ドージュルデュイ』にイラストレーションを連載する。 1920年代エルテとともに舞台、映画の衣装や舞台装置のデザインに進出する。1929年フランスの『イリュストラシオン』誌(L'Illustration)に連載。

彼は1932年、キャリアの頂点の時期に49歳で死去し、ナントのミゼリコルド墓地に埋葬された[1]。

脚注/参照

バルビエ関連書籍

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks