ジョン・パーシヴァル (第3代エグモント伯爵)

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第3代エグモント伯爵ジョン・ジェームズ・パーシヴァルJohn James Perceval, 3rd Earl of Egmont1738年1月29日1822年2月25日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党に属し、庶民院議員を務めた[1]。1748年から1770年までパーシヴァル子爵儀礼称号を使用した[1]イギリス首相スペンサー・パーシヴァルの異母兄にあたる[2]

第2代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァル英語版と1人目の妻キャサリン(1719年8月6日 – 1752年8月16日、第5代ソールズベリー伯爵ジェームズ・セシルの娘)の息子として、1738年1月29日にロンドンペル・メルで生まれた[1]。1753年から1754年までイートン・カレッジで教育を受けた後[3]、1756年1月15日にケンブリッジ大学キングス・カレッジに入学した[4]

1762年に父が庶民院から貴族院に移籍すると、ブリッジウォーター選挙区英語版の補欠選挙で父の後任として庶民院議員に当選した[5]。庶民院では演説の記録がなく、父が官職を務めたビュート伯爵内閣グレンヴィル内閣第1次ロッキンガム侯爵内閣を支持した[3]。父はチャタム伯爵内閣での官職就任を拒否し、パーシヴァル子爵はロッキンガム侯爵の議員リストで意向が「不確実」(doubtful)とされた[3]1768年イギリス総選挙では選挙戦になり、一旦はパーシヴァル子爵の当選が宣告されたものの、選挙申立の末1769年3月にブリッジウォーター選挙区における投票権について決議され、パーシヴァル子爵は逆転落選となった[5]

1770年12月20日に父が死去すると、エグモント伯爵位を継承した[1]貴族院では1788年に小ピットの摂政法案に反対した[1]

1822年2月25日にベッドフォードシャーオデル城英語版で死去、一人息子ジョンが爵位を継承した[1]

家族

出典

外部リンク

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