ジョヴァンニ・ピッキ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ピッキの生涯の前半はほとんど知られていない。生年は1643年5月17日の死亡記録に71歳であったとあるところから逆算して1571年か72年と考えられる。彼について触れている最初の文献史料は、珍しいことに絵画であり、ファブリティオ・カローゾの1600年出版の舞踏教本(「貴婦人の優雅さ」Nobilità di dame)の表紙に、リュート奏者として登場している。1607年2月以前のどこかの時点で、ヴェネツィアのフラーリ教会にオルガン奏者として雇われ、1623年以降没年まで、ヴェネツィアでもっとも特権的であり裕福であった信者会、サンロッコ信者会(スクォーラ・グランデ・ディ・サンロッコ)の教会でもオルガン奏者を務めた。1624年、サン・マルコ寺院の次席オルガン奏者に応募したが、実際に選ばれたのはジョヴァンニ・ピエトロ・ベルティ(Giovanni Pietro Berti)であった。
ピッキはクラウディオ・モンテヴェルディより4年遅れで生れ、6ヶ月前に没しており、ほぼ同時代に活躍したといえる。
