ジロ・デ・イタリア 1984
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前年のツール・ド・フランスにおいて、見事ベルナール・イノーの代役を果たして総合優勝したローラン・フィニョンが、当年はダブルツールを目指して登場した。また、当年年初にアワーレコードを更新(後に非公認記録となる)し、春のクラシックレースのミラノ~サンレモを初制覇したフランチェスコ・モゼールが、悲願のジロ制覇を目指した。今大会は序盤から両雄が激しくマリア・ローザ争いを演じ、結局この2人だけが今大会でマリア・ローザを着用した。
プロローグ(5kmタイムトライアル)では、モゼールがフィニョンに16秒差を付けて制したが、翌日のチームタイムトライアルで競われた第1ステージで、モゼールのGis Gelatiに27秒の差を付けてフィニョン率いるRenalut-Elfが区間優勝して、モゼールからフィニョンにマリア・ローザが移動した。
第4ステージまで大きな変動もなく迎えた第5ステージは山頂ゴールだったため、モゼールに対してフィニョンがリードを広げることが予想されていたが、予想を覆し区間2位に入ったモゼールに対して、フィニョンはゴール前4kmでハンガーノックとなり、モゼールに59秒遅れてゴールしたため、マリア・ローザはモゼールへと移動した。
フィニョンは、第9・第13の山岳ステージで区間2位に入り、モゼールに39秒まで詰め寄るが、ミラノでの第15ステージのタイムトライアルでフィニョンに1分28秒の差を付けて区間優勝したモゼールは、総合でもフィニョンに2分7秒差でマリア・ローザを保持して2週目を終了した。
第20ステージを制したフィニョンが久々にモゼールからマリア・ローザを奪回した。しかし、モゼールとの差はわずかで、最終ステージの個人タイムトライアルまで決着は持ち越しとなった。そして、最終ステージにおいてモゼールがアワーレコード更新を果たした脚力により再びフィニョンを逆転して、悲願の総合優勝を果たした[1]。
結果
総合成績
| 選手名 | 国籍 | 時間 | |
|---|---|---|---|
| 1 | フランチェスコ・モゼール | 98時間32分20秒 | |
| 2 | ローラン・フィニョン | +1分03秒 | |
| 3 | モレノ・アルゼンティン | +4分26秒 | |
| 4 | マリノ・レハレタ | +4分33秒 | |
| 5 | ヨハン・ファンデルフェルデ | +6分56秒 | |
| 6 | ジャンバッティスタ・バロンケッリ | +7分48秒 | |
| 7 | ルシアン・バンインプ | +10分19秒 | |
| 8 | ビート・ブロー | +11分39秒 | |
| 9 | マリオ・ベッキア | +11分41秒 | |
| 10 | ダク・エリック・ペデルセン | +13分35秒 |
マリア・ローザ保持者
| 選手名 | 国籍 | 首位区間 |
|---|---|---|
| フランチェスコ・モゼール | プロローグ、第5-第19、最終 | |
| ローラン・フィニョン | 第1-第4、第20-第21 |
各部門賞結果
| 第67回 ジロ・デ・イタリア 1984 | |
| 全行程 | 22区間、3797km |
| 総合優勝 | フランチェスコ・モゼール 98時間32分20秒 |
| 2位 | ローラン・フィニョン +1分03秒 |
| 3位 | モレノ・アルゼンティン +4分26秒 |
| ポイント賞 | ウース・フローラー 178ポイント |
| 2位 | ヨハン・ファンデルフェルデ 172ポイント |
| 3位 | フランチェスコ・モゼール 168ポイント |
| 山岳賞 | ローラン・フィニョン 53ポイント |
| 2位 | フラヴィオ・ツァッピ 40ポイント |
| 3位 | モレノ・アルゼンティン 30ポイント |
| 新人賞 | シャーリー・モテ 99時間2分11秒 |
脚注
- ↑ フィニョンは5年後のツール・ド・フランスにおいても、今大会と似たような形で逆転負けを喫することになる。
| 1900年代 | |
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| 60年代 | |
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| 80年代 | |
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| 2000年代 | |
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