寺脇研は「ピンク映画時代から場所の設定には丹念に意を払う廣木作品の特長がよく現れており、街中のさまざまな場が、あるときは平面関係で、あるときは上下関係で、画面にいきいきと収まってくる…高校時代にバッテリーを組んでいたらしい友人と主人公とのキャッチボールを媒介とした思いのたけのやりとりは、せつない青春の情感を伝える美しい場面になっている。しかし、それら部分部分の描写に冴えがある割には、映画総体の勢いが感じられない。受験浪人生活に行き詰まりホストへの道を踏み入れる主人公たち二人組の心境の全貌を伝えきれていないせいだろう…前作『さわこの恋』にもっと広くあったドラマの〈幅〉を狭くした形で縮小再生産したものに見える。その原因が、完全に映画として作られた前作と違ってビデオ発売を主目的とすることにあるのだとすれば、オリジナルビデオ作品の隆盛が映画の質に対してもたらす痛し痒しの弊害要素と言えるのではないか」などと評している[1]。