スウィング・ジャズ
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
スウィングのルーツは、1920年代のルイ・アームストロング、コールマン・ホーキンス、ベニー・カーターらの新しい形式の編曲や、リズムの革新に起因していた[1]。 ジャズの歴史の初期に隆盛となったスイングジャズは、スウィングのリズムが特徴の軽快なダンスミュージックだった[2]。ジャズの特徴である即興演奏(アドリブ)や個人演奏(ソロ)よりも、念入りな打ち合わせに基づくビッグバンド全体での演奏(アンサンブル)に重点が置かれた。1929年の世界大恐慌で、アメリカの民衆は甘い癒やしの音楽を望む傾向にあった。さらに、ラジオや蓄音機の登場で、レコード[注 4]が普及、一定時間内に終わらせる必要性が出てきた。また、ライブを観に来た客も、レコードと同じ演奏を期待するようになった。そのため、楽器曲の緻密なアレンジメント(編曲)が要求され、ミュージック・アレンジャー(編曲者)も重要視されるようになった。フレッチャー・ヘンダーソンは初期のスウィングのバンド・リーダーとして、優れたミュージシャンを輩出した[3]。
前時代のディキシーランド・ジャズ[注 5]やニューオーリオンズ・ジャズよりも人数的に大編成であり、ディキシーに比べ楽譜にコントロールされたダンス向けアレンジメントが必要となった。その結果、ライブでもレコードと同じ演奏、甘く軽快でダンサブルな楽曲、大人数の演奏者の調和などにその特色が見られる。ジャンゴ・ラインハルトは、手の障害を克服しジプシー・スウィングの音楽性を確立した。[4]
ベニー・グッドマンは「シング・シング・シング」ほかの楽曲により、スウィングのジャンルで大成功することができた[5]。ホットなスウィングでのグッドマンの大成功は、終戦まで続くスウィングのダンス・オーケストラの間で、新しいスタイルの模倣者と愛好者を生み出した[6]。他にデューク・エリントン、カウント・ベイシー、グレン・ミラーらも、スウィングの人気楽団を率いた。
音楽理論面から見れば、スウィング・ジャズの時代に大編成のバンドが一般的となり、コードや演奏面でも洗練が見られた。スウィング・ジャズ時代の初頭は和声の本質においてはニューオーリンズ・ジャズやディキシーランド・ジャズ[注 6]と大差はないが、4声(4つの楽器)を主体としたセクショナル・ハーモニー[注 7]が開拓された。戦後にビッグ・バンドのリーダーたちはバンドを解散し、ジャンプ・ブルースやビバップ、R&B、ブルース、ドーワップの時代へと変化していった。
代表的なミュージシャン
- バンド・リーダー
- クラリネット
- ベニー・グッドマン
- アーティ・ショウ
- ピアノ
- デューク・エリントン
- カウント・ベイシー
- フレッチャー・ヘンダーソン
- サクソフォン
- トランペット
- トロンボーン
- グレン・ミラー
- トミー・ドーシー
- ドラムス
- コルネット
- ルイ・アームストロング
- ギター
- ヴィブラフォン
書籍
- 細川周平、後藤雅洋、村井康司、寺島靖国、小川隆夫、加藤総夫、柳沢てつや、北里義之、大村幸則、瀧口秀之、西島多恵子、山下泰司、黒田京子、桜井圭介、上野俊哉、米田栄、田辺秀樹、高橋順一、川竹英克、田村和紀夫、大宅緒、高見一樹、島原裕司、柴俊一『新版 ジャズを放つ』洋泉社、1997年。ISBN 4896912500。