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スコット・ジェイミーソン

オーストラリアのサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

スコット・アレクサンダー・ジェイミーソン英語: Scott Alexander Jamieson1988年10月13日 - )は、オーストラリアスコットランドの元サッカー選手、現サッカー指導者。元オーストラリア代表。選手時代のポジションはDF

本名 スコット・アレクサンダー・ジェイミーソン
ラテン文字 Scott Alexander Jamieson
生年月日 (1988-10-13) 1988年10月13日(37歳)
概要 スコット・ジェイミーソン, 名前 ...
スコット・ジェイミーソン
名前
本名 スコット・アレクサンダー・ジェイミーソン
ラテン文字 Scott Alexander Jamieson
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
スコットランドの旗 スコットランド
生年月日 (1988-10-13) 1988年10月13日(37歳)
出身地 シドニー
身長 178cm
体重 71kg
選手情報
ポジション DF(LB)
利き足 左足
ユース
1994-1998 オーストラリアの旗 キングス・ラングリー
1998-2003 オーストラリアの旗 ブラックタウン・シティ
2005-2006 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 オーストラリアの旗 ブラックタウン・シティ
2006-2008 イングランドの旗 ボルトン・ワンダラーズ 0 (0)
2008-2010 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド 49 (0)
2010-2012 オーストラリアの旗 シドニーFC 48 (1)
2012-2015 オーストラリアの旗 パース・グローリー 55 (1)
2015-2016 オーストラリアの旗 ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ 29 (0)
2016-2017 スウェーデンの旗 ヨーテボリ 13 (0)
2017-2023 オーストラリアの旗 メルボルン・シティ 140 (3)
代表歴2
2005-2006  オーストラリア U-17 3 (0)
2010-2012  オーストラリア 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月13日現在。
2. 2020年9月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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クラブ歴

2003年にブラックタウン・シティFCで選手となり、2005年にプレミアリーグ所属のボルトン・ワンダラーズFCに移籍。2007年夏のプレシーズンマッチ・ハイバーニアンFC戦でトップチーム出場を果たしたが、プレミアリーグ出場は叶わなかった。

2008年6月6日にAリーグアデレード・ユナイテッドFCに2年契約で加入[1]。8月17日の開幕節にフル出場し、プロリーグ初出場となった[2]。攻撃面やセットプレイでの貢献からレギュラーを確保、同年12月11日のFIFAクラブワールドカップ2008ワイタケレ・ユナイテッド戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された。2008-09シーズンはマイケル・ズロジェームス・ホランドタレク・エルリッチらを抑えて新人賞を受賞した[3]。2009-10シーズン開幕前にはエールディヴィジの複数クラブから関心を持たれていたものの、全てのオファーを蹴り残留[4]。シーズン末には2.ブンデスリーガSpVggグロイター・フュルトのトライアルに参加した[5]。しかしトライアルには合格できず、オーストラリアに帰国した[6][7]

2010年、シドニーFC時代

2010年5月21日に2年契約でシドニーFCに加入[8]。8月14日の試合でヘディングからプロ初得点を記録した[9]

2012年夏にシドニーFCを契約満了で退団すると、パース・グローリーFCへ加入した[10]

2015年5月28日にウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍。加入後1年目となった2015-16シーズンにはベストイレブンに選出される活躍を見せた[11]

2016年8月にアルスヴェンスカンIFKヨーテボリに移籍[12]

翌2017年夏に一身上の都合でオーストラリアに帰国、メルボルン・シティFCに4年契約で加入[13]。2018年からは主将を務めた。2023年5月28日、2022-23シーズン終了とともに現役引退を発表した[14]。メルボルン・シティでは合計161試合に出場し、歴代最多記録となった。

代表歴

オーストラリアU-17代表として2005 FIFA U-17世界選手権に参加した。

アデレード・ユナイテッド時代の2008年10月にはクラブでの活躍によってピム・ファーベーク監督からカタール代表との親善試合に臨むオーストラリアA代表に招集された[15]。代表初出場となったのは翌2009年1月28日のAFCアジアカップ2011予選インドネシア代表戦で、この試合に彼はフル出場をした[16]

指導歴

引退後はそのままメルボルン・シティに残り、ダリオ・ヴィドシッチの下でコーチに就任する[17]

参考文献

外部リンク

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