ダリオ・ヴィドシッチ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Dario Vidošić | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1987年4月8日(38歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ユース | ||||||
| 2000-2005 |
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| 2006 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2006-2007 |
| 17 | (5) | |||
| 2007-2011 |
| 30 | (3) | |||
| 2010 |
| 12 | (1) | |||
| 2011 |
| 14 | (1) | |||
| 2011-2013 |
| 51 | (15) | |||
| 2013-2015 |
| 46 | (8) | |||
| 2015-2016 |
| 28 | (4) | |||
| 2016 |
| 13 | (2) | |||
| 2017 |
| 7 | (0) | |||
| 2017-2018 |
| 10 | (4) | |||
| 2018-2019 |
| 31 | (8) | |||
| 2019-2020 |
| 0 | (0) | |||
| 2021-2022 |
| 12 | (5) | |||
| 2022 |
| 1 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2006 |
| 8 | (2) | |||
| 2007-2008 |
| 14 | (2) | |||
| 2009-2014 |
| 23 | (2) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ダリオ・ヴィドシッチ(Dario Vidošić, 1987年4月8日 - )は、ユーゴスラビア(現・クロアチア)出身の元オーストラリア代表のプロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
両親ともにクロアチア人で、クロアチア系オーストラリア人。実父のラド・ヴィドシッチ(en)も元サッカー選手で、ダリオが生まれてすぐに家族でユーゴスラビアからオーストラリアに移住した[2]。
ユース時代にはクイーンズランド・ロアーFCやオーストラリア国立スポーツ研究所に所属していた。
2006年にブリスベン・ロアーFCと1年契約を結び、プロデビューを果たす。2007年にブンデスリーガの1.FCニュルンベルクに完全移籍しドイツへ渡った。2010年にMSVデュースブルク、2011年にはアルミニア・ビーレフェルトにレンタル移籍してプレーした。
2011年からオーストラリアに帰国し、アデレード・ユナイテッドFCと契約した。
2013年8月26日、FCシオンに移籍した。
2015年9月21日、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍した。
2016年6月22日、遼寧宏運足球倶楽部に移籍した。
2017年2月17日、城南FCに移籍した。
2017年8月4日、父のラドが6月からコーチを務めているウェリントン・フェニックスFCに1年契約で移籍したが、その僅か4か月後に父と共にクラブを退団。メルボルン・シティFCへ加入した[3]。
2019年7月、インディアン・スーパーリーグのATKへ移籍[4]。
代表経歴

北京オリンピックの豪州代表メンバーから落選した後の2008年7月、母国クロアチアのA代表チームを選択する意向を公表したが、FIFA規約の第18条[5]により、ヴィドシッチが21歳を越えていた為にユース代表としてプレーしていたオーストラリア代表からの国籍変更は適わなかった。
2009年6月17日、2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選の日本戦で84分から途中出場し、オーストラリア代表デビューを飾った。2010年5月24日、親善試合のニュージーランド戦で代表初ゴールを記録。その後2010年、2014年とFIFAワールドカップのメンバーに2大会連続で選出された。