スラブセリフ
厚く四角い、定規で引いたような力強い飾りを持つ書体
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タイポグラフィにおいて、スラブセリフ(slab serif)は分厚いブロック状のセリフを特徴とするセリフ書体の一種である[1][2]。メカニスティック(mechanistic)、スクエアセリフ(square serif)、アンティーク(antique)、エジプシャン(Egyptian)などとも呼ばれる。セリフの先端は、Rockwellのように角張った形状のものもあれば、Courierのように丸みを帯びた形状のものもある。スラブセリフ書体は19世紀初頭に登場した。

スラブセリフは、多様性に富んだ大きな書体ジャンルを形成している。MemphisやRockwellのように、線の太さの変化が最小限に抑えられた幾何学的なデザインを持つものは、サンセリフ書体にセリフを付加したものと表現されることがある。一方、クラレンドン系の書体は、より大きく明確なセリフを備えつつも、構造的には他の多くのセリフ書体に近い特徴を持つ[3][4]。これらのデザインでは、セリフが文字のメインストロークに合流する手前で幅が広がるブラケットセリフが見られる場合があるが、幾何学的なデザインではセリフの幅は一定である。
ディスプレイ用途のスラブセリフは、ポスターなどで視線を引くことを目的として、しばしば極端に太くデザインされる。一方、小さいサイズでの可読性を重視したスラブセリフでは、そのような極端な特徴は抑えられる。小サイズでの使用や、質の低い新聞用紙への印刷を想定したフォントの中には、可読性を高めるためにスラブセリフを採用しつつ、その他の特徴は一般的な本文用書体に近づけたものもある。
歴史



スラブセリフの文字様式および書体は、19世紀初頭に急速に登場したが、それ以前の書体とはほとんど共通点を持たない。19世紀初頭に広告印刷が拡大し始めると、より新しく、人目を引くと考えられた書体が人気を博すようになった[5]。書籍用活字を単に拡大したものではなく、まったく異なる、より大胆なポスター向けの大型活字が次々と開発されるようになったのである。
その中には、過去50年間の書体デザインを発展させたものも存在した。たとえば、当時の本文用書体であったディドニ体に関連しつつ、はるかに太く誇張された「ファット・フェイス(fat face)」と呼ばれる極太書体が挙げられる[6]。
スラブセリフ書体の最初の既知の例は、1810年にロンドンで作られた宝くじ広告に見られる木版レタリングである[7]。活字書体としてのスラブセリフを最初に導入したのは、ロンドンの活字鋳造家ヴィンセント・フィギンズであった可能性が高く、「アンティーク(Antique)」の名称で、1815年付の活字見本帳に登場したのが最初とされる(ただし、この見本帳は実際には1817年頃に発行されたと考えられている)[8][1][注釈 1]。
1825年、印刷業者のトーマス・カーソン・ハンサードは、スラブセリフやその他のディスプレイ書体について、次のように皮肉を交えて記している。「それらはプラカードやポスター、貼り紙、福引の案内などにしか向かない、とんでもない種類の書体である……流行や気まぐれというものは、しばしば極端から極端へと跳ね回るものだ」[15]。
サンセリフ書体の人気が高まるにつれて、常に競合関係にあったスラブセリフ書体は次第に衰退した[16]。現存する木製活字の重要なコレクションとしては、ウィスコンシン州のハミルトン木活字・印刷博物館や[17][18]、テキサス大学オースティン校が所蔵するものが挙げられる。後者は、アメリカのポスター書体に関する著名な研究書を著したロブ・ロイ・ケリーによって収集されたものである[19]。また、アドビは19世紀の木活字に着想を得たデジタルフォントの大規模なコレクションを公開している[20][21][22][23]。
ナポレオンによるエジプト遠征以降、『エジプト誌』(Description de l’Égypte、1809年)などの出版物を通じて図像や解説が広まると、エジプトに関するあらゆる事物への強い文化的関心が生じた。墓から発見された家具を模した現代的なパーラー用家具一式が製作され、多色刷りの木版壁紙を用いれば、エディンバラやシカゴのダイニングルームをルクソールのような雰囲気に仕立てることも可能であった。エジプトの文字体系とスラブセリフ書体との間に直接的な関係はなかったにもかかわらず、巧みなマーケティング、あるいは単なる混同によって、スラブセリフはしばしば「エジプシャン(Egyptian)」と呼ばれるようになった[24]。歴史家ジェームズ・モズリーは、最初に「エジプシャン」と呼ばれた書体や文字の多くが、実際にはすべてサンセリフであったことを示している[8]。
「エジプシャン」という用語はフランスやドイツの活字鋳造所にも採用され、そこで「エジプシャンヌ(Egyptienne)」という名称が用いられた。画線の太さが均一で、より軽快な印象を持つスラブセリフの一種は、金属彫刻の単線構造に似ていることから「エングレーバーズ・フェイス(engravers face)」と呼ばれた。「スラブセリフ」という用語自体は比較的新しく、20世紀に入ってから用いられるようになった可能性が高い[25]。
スラブセリフの大きく明確なセリフの性質から、タイプライターによる印字や新聞紙など、小さな文字サイズでの印刷においても、スラブセリフの特徴を備えたデザインがしばしば用いられてきた。たとえば、20世紀の大部分にわたって多くの新聞で本文用書体として使用された、ライノタイプのLegibility Groupは、連続した本文組版に適応させた「アイオニック」または「クラレンドン」様式に基づいている[26][27][28]。
より広い意味では、Joanna、TheSerif、FF Meta Serif、Guardian Egyptianなども、新聞印刷や小サイズでの使用を想定した書体の例として挙げられる。これらの書体は、規則的で均一な太さのセリフ(ボールドウエイトでは特に目立つ場合がある)を備えているが、全体的な構造はクラレンドンのような19世紀様式の影響を強く受けておらず、ヒューマニスト系の本文用書体に分類される。このようなセリフを持つ本文用書体は、「ヒューマニスト・スラブセリフ」と呼ばれることもある[29][30]。
現代のフォントデザイナーであるジョナサン・ヘフラーとトバイアス・フリア=ジョーンズは、スラブセリフのデザイン工程について次のように述べている。「大きなスラブセリフの構造は、デザイン上の妥協を強いる。たとえば、完全に幾何学的なデザインは、極端に太いウエイトでは、厳密に均一な太さの小文字アルファベットを作ることが不可能になるため、実現が難しい。一方で、クラレンドン様式のデザインは、細いウエイトでは制作がより困難になる」[3]。
下位分類
スラブセリフ書体には、いくつかの主要なサブグループが存在する。
アンティーク・モデル
最初期のスラブセリフ書体は、「アンティーク(antique)」または「エジプシャン(Egyptian)」と呼ばれることが多かった。これらは概してモノライン(線の太さがほぼ均一)に近い構造を持ち、ボール・ターミナル(球状の末端装飾)など、19世紀のセリフ書体と共通する特徴を備えている[3]。

クラレンドン・モデル
クラレンドン・モデルの書体は、他のスラブセリフとは異なり、セリフ自体にブラケット(曲線による接合部)と一定の太さのコントラストを備えている。セリフは曲線を描きながら幅が変化し、文字のメインストロークに近づくにつれて太くなることが多い[3]。
イタリアン・モデル

イタリアン・モデルは、フレンチ・クラレンドン体としても知られ、セリフがステム(縦画)よりもさらに太く設計されることで、強烈で人目を引く効果を生み出す書体である。これはいわゆるリバースコントラスト書体に分類される。伝統的にサーカスなどのポスター用途と結び付けられ、西部劇映画や19世紀的雰囲気を表現するためにも頻繁に用いられてきた。その基本的な概念は1820年代のロンドンの印刷物に遡り、アメリカ国外でも使用されていたが、最も広く流行したのは1860年代から20世紀初頭にかけて、特にアメリカにおいてであった。その後も繰り返しリバイバルされ、ロバート・ハーリングによるPlaybill、近年ではアドリアン・フルティガーによるWestsideなどがその例として挙げられる。
タイプライター書体
タイプライター・スラブセリフ書体は、打鍵式タイプライターでの使用に由来して命名された。これらの書体は、すべての文字が水平方向に同一のスペースを占める固定幅、すなわち等幅(モノスペース)フォーマットとして生まれた。この特徴は、タイプライターという装置の構造上、不可欠なものである。代表的な例として、ジオメトリック・モデルに属するCourierや、クラレンドン・モデルに属するPrestige Eliteが挙げられる。
特に19世紀には、これ以外にもきわめて多様な名称が用いられていた。当時は書体名とジャンルの区別がまだ確立されておらず、ある名称が特定の書体を指すのか、あるいはサブジャンル全体を指すのかが明確ではなかったためである[34][35]。たとえば、フレンチ・クラレンドン・モデルのスラブセリフは、アメリカの印刷業者によってCeltic、Belgian、Aldine、Teutonicなどとも呼ばれた。また、文字の側面に「メディアン・スパー(median spur)」と呼ばれる菱形の突起を持つスラブセリフを指す名称として、Tuscanも用いられた[19]。
ジオメトリック・モデル

ジオメトリック・モデルの書体は、ブラケットを持たず、ステムとセリフの太さが均一であることを特徴とする。初期の例としてはMemphis、Rockwell、Karnak、Beton、Rosmini、City、Towerなどが挙げられる。これらの一部は、1920年代から1930年代のジオメトリック・サンセリフ書体、特にFuturaの影響を受けている[3]。近年の代表的なジオメトリック・スラブセリフとしては、ITC Lubalin、Neutraface Slab、Archerなどがある。
また、Serifa、Helserif、Roboto Slabなどの一部のモノライン・スラブセリフは、1950年代から1960年代以降のネオ・グロテスク・サンセリフ書体の影響を受けて設計されたものであり、これらは「ネオ・グロテスク・スラブセリフ」と呼ばれることがある[36][37][38][39]。
注釈
- フィギンズの鋳造所が実際に最初のスラブセリフを製造したかどうかは、今後も確認が困難な問題であると考えられている。しかしニコレッテ・グレイは、現存する見本帳の中でスラブセリフを最初に掲載しているのがフィギンズのものであることから、「その可能性が高い」と判断した[9]。この最初のスラブセリフを含むフィギンズの見本帳は「1815年版」と呼ばれているが、使用されている紙には1817年の透かしがあり、現在はオックスフォード大学出版局に所蔵されている。他の1815年付のフィギンズ見本帳にはスラブセリフは掲載されていない。一方、背表紙に1820年と記された、スティーブンソン・ブレイク社が所蔵していた別の「1815年版」見本帳には、より多くのスラブセリフが収録されている[9]。この時期、スラブセリフを多数製作していた主要な競合相手であるカスロン鋳造所およびソーン鋳造所(のちのソローグッド鋳造所)の見本帳は確認されていない。フィギンズは1817年頃には4サイズ、1820年頃には9サイズを保有しており、1821年付だが[9]1823年のページを含む[10]見本帳では19サイズに達していた。カスロン鋳造所については1816年から1821年の見本帳が現存していないが、スラブセリフを示す最古の現存見本帳は1821年のもので、11サイズが掲載されている[9][11]。ソーン鋳造所は1820年に4サイズを保有していた[12]。他の鋳造所の見本帳はさらに少なく、バウアー・アンド・ベーコン鋳造所については1813年から1826年までの見本帳が確認されておらず、1826年までには18サイズを保有していたことが分かっている[13]。グレイは、フィギンズ、ソローグッド、カスロンのいずれかが(すでに1810年の木版レタリングで確認される)小文字を最初に発行した可能性があると結論付けている。というのも、これらの鋳造所はいずれも1820年頃に小文字を導入しているためである[14]。