ジェームズ・モズリー
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| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 |
1935年4月18日 |
| 死没 | 2025年8月25日(90歳没) |
| 出身校 | ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ |
| 配偶者 | ジリアン・ライリー |
| 学問 | |
| 研究機関 |
セント・ブライド図書館 レディング大学 |
| 主な受賞歴 | |
ジェームズ・モズリー(James Mosley、1935年4月18日 - 2025年8月25日)は、イギリスの司書、保存研究者、歴史家。専門は印刷、活字、レタリング史である[3][4]。
モズリーは1958年から2000年まで、シティ・オブ・ロンドンにあるセント・ブライド印刷図書館の司書を務め、同館が所蔵する印刷およびレタリング関連資料・書籍の大規模なコレクションの管理と拡充に尽力した。金属活字時代の終焉に伴い、多くの企業や印刷所が設備やアーカイブを同館に提供したことで、コレクションは大幅に拡大した。1964年にはレディング大学で客員講師・教授となり、同年、英国印刷史協会の創設メンバーとなるとともに、協会誌の初代編集長を務めた[5][6][7]。2003年にはアメリカ印刷史協会の個人賞を、2017年には書誌学協会のゴールドメダルを受賞した。
モズリーは1935年、ドリフィールドに生まれ[8]、ロンドン南西郊のトゥイッケナムで育った。当地で「小型のアダナ印刷機(プレス)」を用いた印刷に触れたことが、印刷への関心を抱くきっかけとなった[9][1]。
モズリーはケンブリッジ大学のゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジで英文学を専攻した。在学中、のちに印刷史家となるフィリップ・ガスケルに誘われ、将来の妻となるジリアン・ライリーとともに、キングス・カレッジの地下室で、アマチュアプロジェクトとして小型手動印刷機の操作に携わった[1][4][10][11]。また大学在学中には、彫刻家・書体デザイナーエリック・ギルの弟であるエヴァン・ギルとともに、ギルの作品展に向けた資料整理にも従事した。この展覧会は、ギルがしばしば協業していたホットメタル式活字鋳植機メーカーのモノタイプによって企画されたものであった[9][1][12]。
モズリーの妻は、ケンブリッジ大学で出会った食文化史家でブックデザイナーのジリアン・ライリーである。彼女は2024年にモズリーに先立って死去した[13]。モズリーは2025年8月25日、90歳で死去した[14][15][16]。
経歴
ロンドンに残る最後期の活字鋳造所のひとつである[11]スティーブンス・シャンクス社で短期間勤務した後、モズリーは1956年にセント・ブライド図書館の司書補として採用され、1958年に司書に就任した[1][17][18][19]。
モズリーは印刷史に関する多くの論文や書籍を執筆した[20][21][22][23]。代表的な論文として、18世紀から20世紀にかけての英国における看板画およびレタリングの伝統を論じた「English Vernacular」[24][25][26][27]、印刷業者に採用される以前のサンセリフ体の初期的展開を扱った「The Nymph and the Grot」(のちに書籍として再版)[28][29][30][31][32][33][34]、ならびに16世紀と20世紀におけるローマ様式レタリングの復興を論じた「Trajan Revived」などがある[35][36]。
また他の歴史家と共同で、ルイ・プーシェの活字鋳造所における装飾アルファベットの印刷版[37][38][39][40][41]、デイヴィッド・ヒューム著作の初期印刷[42]、ハリー・バクストン・フォーマンおよびトーマス・ジェームズ・ワイズによる偽造出版物の研究などにも取り組んだ[43][44][45][46]。さらに、19世紀初頭の活字鋳造家で、のちにスティーブンス・シャンクス社の一部となる活字鋳造所を創設したヴィンセント・フィギンズの経歴に関する第一人者としても知られた[47][26][48]。
シティ・オブ・ロンドンのフリート・ストリート近くに位置するセント・ブライド図書館は、この地域が書籍や新聞の印刷・出版の中心地であった時代に、印刷業者への職業教育を目的とする専門図書館として設立された[1][49][50][51]。スティーブンス・シャンクス社での勤務経験から、モズリーは同社が19世紀初頭にまで遡る歴史資料の価値を十分に評価していないと感じていた[11]。金属活字時代の終焉と写真植字への移行(これはモズリーの在職中に進行した)に伴い、多くの企業が活字鋳造設備を廃棄・処分するか廃業し、またこの地域から移転した[1]。
モズリーは、モノタイプ社、H・W・カスロン社、フィギンズ社、スティーブンス・シャンクス社[48]、チジック・プレスなどの企業、ならびにオックスフォード大学出版局やヴィクトリア&アルバート博物館のコレクションを含む印刷所から、多岐にわたる印刷関連資料をセント・ブライド図書館に収蔵することに尽力した。これらは、同館が既に所蔵していたウィリアム・ブレイズおよびタルボット・ベインズ・リードの個人コレクションを大きく補完するものであった[52][38][53][54][55][56][57][58]。
彼はまた、フランスの伝統的な金属ステンシル文字に基づくフォントなど[59]、歴史的な活字やレタリングを参照したフォントデザインについて助言を行い[45]、ポール・バーンズらフォントデザイナーに影響を与えたとされる[45][60][61][62][63][64][65][66][67]。
セント・ブライド図書館退職後も、モズリーは執筆、研究、講演活動を継続した[26][68][69]。また、ベラビー社、テート・ブリテン、HMSヴィクトリー号に対し、時代考証に基づく適切なレタリングについて助言を行った[70][71][72][73]。
モズリーはレディング大学および稀覯書学校で客員講師として文字史の講義を行い、若いデザイナーに大きな影響を与えた。2020年から2021年にかけてレディング大学で行われた講義は録画され、彼の死後、同大学と遺産管理者との合意により公開されることとなった[74]。