スレイド (バンド)
From Wikipedia, the free encyclopedia
- イン・ビトゥインーズ
- アンブローズ・スレイド
- スレイドII
| スレイド | |
|---|---|
|
1973年撮影。左からジム・リー、ドン・パウエル、ノディ・ホルダー、デイヴ・ヒル | |
| 基本情報 | |
| 別名 |
|
| 出身地 |
|
| ジャンル | |
| 活動期間 | 1966年 - |
| レーベル | |
| メンバー |
|
| 旧メンバー |
|
スレイド(英語: Slade)は、1966年にイングランド・ウェスト・ミッドランズ州ウルヴァーハンプトンで結成されたロックバンドである。1970年初頭にグラムロック・ブームの一翼を担いつつヒット・チャートを席巻し、1980年代に入っても人気を得た。
1992年にリード・ボーカルとギターのノディ・ホルダーとベースのジム・リーが脱退したことにより、バンドは停滞。その後、「スレイドII」として活動を再開し、後にグループ名を戻した。
キッスのジーン・シモンズが、スレイドからの影響を公言している[注釈 1]。
なお、スレイドの楽曲には「Coz I Luv You」「Skweeze Me Pleeze Me」など、間違ったスペリングをタイトルに用いた曲が多いが、これは意図的なものである[3]。
1970年代まで
イン・ビトゥイーンズ(英語: The N' Betweens)という名義で1966年に結成。同年、キム・フォーリーのプロデュースでシングルをリリースしているが、この時点では単発に終わる。
その後、元アニマルズのチャス・チャンドラーに見出され、1969年、アンブローズ・スレイド(英語: Ambrose Slade)名義でファースト・アルバム『ビギニングス』を発表。しかしながら、同作前後に発売されたシングルと同様に、チャートインすることはなかった[4]。なお、このアルバムはスレイドのディスコグラフィでもファースト・アルバムとして扱われている。
ここまではビート・ロックやサイケデリック・ロックの影響下にあるサウンドを聴かせていたが、チャンドラーの指導によりイメージ改革に乗り出すこととなる。スレイドへ改名し、派手な衣装をまとい、ポップなメロディーに豪快かつタイトなリズムを合わせたサウンドを創出[1]。ティーンエイジャーから厚い人気を得るようになり、1971年のシングル『だから君が好き』で全英シングルチャート1位を初めて獲得。
また、時期を同じくしてライブ・パフォーマンスに対する評価が上がり、1972年発表のライブ・アルバム『スレイド・アライブ』は英国アルバムチャート2位まで上昇。すかさず発表したスタジオ盤『スレイド?』は1位を獲得。以降『スレイデスト』『大狂乱スレイド一座』の2枚のアルバムも1位を獲得。シングル盤『だから君が好き』や『恋のバック・ホーム』『クレイジー・ママ』『カモン!!』『スクゥイーズ・ミー、プリーズ・ミー』『メリー・クリスマス・エヴリバディ』と1973年までに計6枚が1位に入った。特に『メリー・クリスマス・エヴリバディ』は、100万枚を超えるベストセラーとなった[5]。
1974年にバンド主演の映画『スレイド・イン・フレイム』の制作を開始。映画はスレイドをはじめとしたバンドの間で起こった音楽業界での出来事に基づいた内容であった[4]。映画のサウンドトラック盤からの先行シングルとして発売された『ファー・アウェイ』は、全英シングルチャートで最高位2位を獲得し[6]、ノルウェーのチャートでも上位にチャートインした[7]。同作はホルダーのお気に入りの楽曲ともなった。11月にサウンドトラック盤『狂乱の炎』が発売され、多くの批評家から肯定的な評価を得た一方、翌年1月に公開された映画は芳しい成果は得られなかった[4]。
1975年に入ると、T・レックスやデヴィッド・ボウイ、スウィート、スージー・クアトロなどと並ぶ人気ミュージシャンになり、圧倒的な人気に乗りアメリカ進出も目論むが、芳しい成果は得られないまま終わる。イギリス国内においても、映画のテーマ曲「ハウ・ダズ・イット・フィール」が1975年2月にシングルとして発売されるも、シングルチャートでは最高位15位と[8]、チャートアクションが鈍り始めた。
1977年にはポリドールとの契約も切られ、チャンドラーとも意見の相違から決別することとなる[4]。同時にスレイドのサウンドと相対する面があるパンク・ロック全盛の時代においては、しばらく低迷を味わうことになる。
1980年以降
1980年にパンクのブームが終わり、NWOBHMの勢いが増すと、スレイド自体も徐々に人気を取り戻し、レディング・フェスティバルでの演奏も高く評価され、再びシングルがチャート上位に顔を出すようになる。
そしてスレイドの復活を決定的にしたのは、1983年にクワイエット・ライオットが「カモン!!」をカヴァーして大ヒットさせたことだった。これによりオリジナルのスレイドへの注目度が上がり、『マイ・オー・マイ』『ラン・ラン・アウェイ』が英国チャートトップ10入り。アメリカでも『ラン・ラン・アウェイ』が20位に入り、同地では1970年代を超える成功を収めた。
1992年、ホルダーがバンド内における議論や不満に嫌気が差したことにより脱退。同時にホルダーがスレイドにとって不可欠なメンバーだとしていたリーも脱退したことにより、23年間の活動を終えた。この間一度もメンバー交代を行わなかった。それから間もなくして、残ったパウエルとヒルが新メンバーを迎え、スレイドII(英語: Slade II)を結成[9]。
2002年にバンド名を「スレイド」にを戻し、アルバム『キープ・オン・ロッキン』を新曲を追加し、タイトルを「Cumon Let's Party」に改題して発売された[10]。
2005年にスレイドII結成時からのボーカリストであるスティーヴ・ウァーリーが脱退し、入れ替わりでマル・マクナルティが加入。11月にコンピレーション・アルバム『ヴェリー・ベスト・オブ・スレイド』を発売し、全英アルバムチャートで最高39位を獲得[11]。同年にはミュージック・ビデオ集も発売された[12]。
2006年にサルーボ・レコードよりボックス・セット『The Slade Box - Four CD box anthology 1969-91』とライブ・アルバム『スレイド・アライヴ』が発売された[13]。また、同年から2007年にかけてサルーボ・レコードよりオリジナル・アルバムのリマスター盤が発売され、日本で発売された一部のリマスター盤にボーナス・トラックが追加収録された[14]。
2020年、パウエルがヒルによってバンドを解雇されたことを告白。同時に公式サイト上でドンは、元メンバーのクレイグ・フェニーとともに「ドン・パウエルズ・スレイド」を結成してスレイドの楽曲を演奏することを発表した[15]。
メンバー
| 名前 | 担当 | 在籍期間 |
|---|---|---|
| デイヴ・ヒル (Dave Hill) |
ギター ボーカル |
1966年 - |
| ジョン・ベリー (John Berry) |
ベース ヴァイオリン リード・ボーカル[注釈 2] |
2003年 - |
| ラッセル・キーフ (Russell Keefe) |
リード・ボーカル キーボード |
2019年 - |
| アレックス・バインズ (Alex Bines) |
ドラムス | 2020年 - |
| 名前 | 担当 | 在籍期間 |
|---|---|---|
| ノディ・ホルダー (Noddy Holder) |
リード・ボーカル ギター |
1966年 - 1992年 |
| ジム・リー (Jim Lea) |
ベース ボーカル |
1966年 - 1992年 |
| ドン・パウエル (Don Powell) |
ドラムス | 1966年 - 2020年 |
| スティーヴ・ウァーリー (Steve Whalley) |
リード・ボーカル ギター |
1992年 - 2005年 |
| スティーヴ・マーキン (Steve Makin) |
ギター | 1992年 - 1996年 |
| クレイグ・フェニー (Creig Fenney) |
ベース ボーカル |
1992年 - 2005年 |
| トレヴァー・ホリデイ (Trevor Holliday) |
ベース ボーカル |
1994年 - 2000年 |
| デイヴ・グローヴァー (Dave Glover) |
ベース ボーカル |
2000年 - 2003年 |
| マル・マクナルティ (Mal McNulty) |
リード・ボーカル ギター |
2005年 - 2019年 |