スーザン・コリンズ (政治家)

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1952-12-07) 1952年12月7日(73歳)
出身校 セント・ローレンス大学
所属政党 共和党
スーザン・コリンズ
Susan Collins
生年月日 (1952-12-07) 1952年12月7日(73歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
メイン州の旗 メイン州カリブー
出身校 セント・ローレンス大学
所属政党 共和党
配偶者 トーマス・ダフロン (2012年から)
公式サイト 公式サイト
選挙区 メイン州の旗 メイン州
当選回数 5回
在任期間 1997年1月3日 -
テンプレートを表示

スーザン・マーガレット・コリンズ(Susan Margaret Collins, 1952年12月7日 - )は、アメリカ合衆国政治家共和党所属の上院議員(5期)。

ローマ・カトリックの信徒である。

同じメイン州選出の上院議員であったオリンピア・スノーと共に、共和党の中でも穏健・リベラルな投票行動・政策をとる、いわゆるロックフェラー・リパブリカン(モデレイト・リパブリカン)の一人として知られる[1][2][3]

生い立ち・学歴

1952年12月7日、メイン州カリブーにてドナルド・コリンズとパトリシア夫妻の間に、6人兄妹のうちの1人として生まれる[4][5]。実家は1844年から100年以上続く製材業者であり、現在も2人の弟が経営している[4]。コリンズ家は政治と縁が深い一家で、父母は共にカリブー市の市長を務めたことがあるほか、父のドナルドについてはメイン州議会の上院議員を務めた経歴も持つ[4][5][6]。また、叔父のサミュエル・W・コリンズ・ジュニアは、1988年から1994年までメイン州最高裁判所の判事を務めた法律家である[7]

高校時代は地元のカリブー公立高校に在学。在学中は生徒会長を務めたほか、最終年次在籍時の1971年には連邦議会上院が主催するユース・プログラムに選抜されワシントンD.C.を訪問、同郷でアメリカの女性政治家の先駆者的な存在であったマーガレット・チェイス・スミス上院議員(共和党)に面会している[5][8]。高校卒業後は、ニューヨーク州セント・ローレンス大学に進学、1975年に最優等(magna cum laude)の成績で卒業する[4][5]。大学在学中は、かつて父親も在籍していた学生団体ファイ・ベータ・カッパに所属している[4]

政界との関わり

大学卒業後は、同じメイン州の出身で当時若手の連邦下院議員であったウィリアム・コーエン1979年からは上院議員)のスタッフとなり、1987年までコーエンの下で働く[4][5]。このうち1981年から1987年までの7年間は、上院国土安全保障・政府問題委員会政府活動・連邦職員及びコロンビア特別区監視小委員会でスタッフ・ディレクターを務めた[9]

1987年にコーエン議員のスタッフを辞職してメイン州に帰郷、ジョン・マッカーナン州知事(当時)の任命を受け、金融規制当局(Department of Professional and Financial Regulation)のトップ(委員長)として政権入りする[4][5]。1992年まで同職を務めたのち、同年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領からの指名を受けて、中小企業局ニューイングランド地域担当局長に就任、ビル・クリントン政権に交代するまでの約1年間、同職を務める[4][5]

中小企業局を辞した後はマサチューセッツ州の副財務官を1年間あまり務めたのち、1994年のメイン州知事選挙に出馬する。この選挙では、共和党の予備選を勝ち抜き、女性候補者としてメイン州史上初となる主要政党の知事候補指名を受ける[4][5][9]。しかし本選では、無所属ながら州内で抜群の知名度を誇る実業家アンガス・キング民主党指名候補のジョゼフ・ブレナン元州知事との三つどもえの混戦の末、結局キング、ブレナンの両名に次ぐ3位に敗れる[4][5][9]

州知事選敗北後は、地元のハッソン大学が開設した家族経営の小規模企業の事業主・従業員にセミナーワークショップを提供する“Richard E. Dyke Center for Family Business”の初代所長に同年12月に就任、1996年に連邦上院議員選挙に出馬するまで同職を務めた[4]

上院議員

1996年、コリンズは同郷でかつての上司でもある上院議員のウィリアム・コーエンが引退・不出馬を決めたことから、後継として連邦上院議員選挙に出馬する。前任者であるコーエンの支持を取り付けたコリンズは共和党内の予備選を勝ち抜き本選に進出、本選挙では1994年の州知事選でも戦った元州知事のブレナンとの事実上の一騎討ちとなったが[10]、全体の49.2%の票を獲得し、勝利した。

2002年の改選では、民主党州議会上院議員のシェリー・ピングリー[11]に対して58%対42%の得票率で勝利し再選、2008年の改選では、民主党連邦下院議員のトム・アレンに対し、61.5%対38.5%の得票率で勝利し3選、2014年、2020年の改選でも民主党の対立候補を破り当選、現在5期目である。2002年、2008年、2014年の選挙では、いずれも50%以上の得票率で当選しており、また州内全ての郡で対立候補を上回る票を獲得している。

上院議員としてのキャリア

脚注・出典

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI