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タイガとココア

アムールトラのきょうだい From Wikipedia, the free encyclopedia

タイガ(2008年5月24日 - 2009年8月25日)とココア(2008年5月24日 - 2025年6月18日)は、北海道釧路市の釧路市動物園で飼育されていた、オスとメスの2頭のアムールトラである[3]。同動物園で初めて誕生したアムールトラであり、2頭ともに生来から四肢に重度の障害を抱えていながらも、動物園のスタッフたちからの懸命なサポートを受けつつ、その障害を乗り越えて生き抜いたことで、日本全国的に注目を集めた。来園者から多くの人気を得ることにより、釧路市動物園の開園以来、減少の続いていた来園者数を倍増させる効果にも繋がった。人工保育で育てられたアムールトラとしては日本国内でも数少ないケースであり、障害をもつトラの人工飼育としては世界で初めての試みである[4]。オスのタイガは生後1歳で不慮の事故で急死したものの[5]、メスのココアは17歳までの長寿を全うし、老衰で死去した[6]。

性別オス
死没 (2009-08-25) 2009年8月25日(1歳没)
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
概要 生物, 性別 ...
タイガ
生物アムールトラ
性別オス
生誕2008年5月24日
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
死没 (2009-08-25) 2009年8月25日(1歳没)
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
著名な要素四肢に障害を持つ
飼い主釧路市動物園
親リング
チョコ
体重64kg(死亡時の記録)[1]
名の由来大河
閉じる
生物アムールトラ
性別メス
生誕2008年5月24日
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
死没 (2025-06-18) 2025年6月18日(17歳没)
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
概要 生物, 性別 ...
ココア
2011年7月撮影
生物アムールトラ
性別メス
生誕2008年5月24日
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
死没 (2025-06-18) 2025年6月18日(17歳没)
日本の旗 日本・北海道釧路市 釧路市動物園
人間換算年齢70歳代後半
著名な要素四肢に障害を持つ
飼い主釧路市動物園
親リング
チョコ
体重67.6kg(2024年1月16日に測定)[2]
名の由来母がチョコ(チョコレート)
閉じる
釧路市動物園

生涯

誕生までの経緯

アムールトラは、世界中の野生種と飼育種を合わせても千頭に満たない絶滅危惧種である。その中で、タイガとココアの両親である釧路市動物園のアムールトラのリング(オス)とチョコ(メス)は、2007年時点で日本で55頭飼育されていたアムールトラの内の2頭であり[7][注 1]、アムールトラの繁殖のためにカザフスタンとロシアから購入された個体であった[10][注 2]。

アムールトラの出産は、世界中の動物園でも4割が生後2か月以内に死亡しており、母親が母乳を与えないこともあるなど、繁殖は困難であった。日本の動物園でも、毎年数例のみであった。そうした中で、リングは祖父母4頭がすべて野生、チョコも父方の祖父母と母方の祖母が野生で[13]、2頭とも親が野生種に近いために近親交配の心配が少なく、理想的なペアとして、日本中の動物園から出産への期待が寄せられていた[7]。釧路市が北海道の南東部に位置しており、アムールトラの故郷と自然環境が似ていることも、功を奏していた[14]。アムールトラが絶滅危惧種という事情もあり、園長(当時)の山口良雄たちは、赤子をずっと心待ちにしていた[15]。

2008年2月、チョコの妊娠が判明した[16]。チョコは初産であり、釧路市動物園でもアムールトラの出産は初めてであった。動物園ではチョコを落ち着かせるために、出産の数日前から展示を中止した[7]。チョコのいる動物舎を通路を立入禁止にした上、来園者は無論のこと、飼育員たちも極力、チョコには近づかないことを心がけた[16]。

チョコは2005年にロシアの動物園から購入された個体であり、幼少時に母親の手元を離れて育てられたため、出産後に育児をしない可能性もあった。万が一の人工保育に備えて、アムールトラの人工保育の経験を持つ多摩動物公園から保育記録を入手し[3]、人工保育に必要な器具類を揃えるなど、万全の準備が進められた[7]。そしてチョコの部屋には赤子を生むための産箱が備え付けられ[14]、ビデオカメラも設置され、モニターテレビで出産の様子の監視が続けられていた[16]。

誕生

2008年5月24日朝、チョコの寝室のコンクリートの上に、食べ残しの食糧の肉塊にまぎれて、その肉塊より小さな赤子3頭が産み落とされていた[17][18]。本来なら生まれてすぐに母親から乳を与えられるはずが、3頭ともに産箱ではなくコンクリートの上に、無生物のように放置されている状態だった[13][17]。アムールトラは成獣になると体長が2m以上にも達するが、その赤子は人間の大人の掌の乗るほどで、あまりに小さなものだった[18][19]。

3頭は到底生きているようには見えず、死産かとも思われた[20]。山口良雄園長も、死産との報告を受けた[10]。しかし飼育員たちが3頭を回収しようと抱き上げると、微かに動くことが確認され[20]、仮死状態だと判明した[21][22]。即座に飼育員たちが手当てを始め、マッサージをし、温かい湯で体を温めた。3頭のうち、最も小さなオスの1頭は蘇生措置の開始から約1時間後に死亡したものの[10][注 3]、残るオスとメスの2頭は、懸命な措置の末に無事に息を吹き返し、大きな鳴き声をあげた[23]。

2頭が蘇生した一方、母のチョコは普段と異なる状況にやや躊躇していたものの[17]、子供たちには目もくれず、子供たちを舐めることも、乳を与えることもなく、自分が出産したことすら気づいていない様子だった[18]。

障害の発覚

蘇生から間もなく、2頭とも四肢に障害があることが判明した。通常なら両脚が交差することはありえないはずが、2頭とも後脚がX字状に交差していた[19][24]。特にオスの個体の脚はそれが顕著で[19]、左後ろ脚が完全に裏返っており、正常な状態に戻ることは考えにくい状態だった[25]。前脚も2頭とも「ハ」の字のように、大きく外側に沿った状態だった[19][24]。四肢で体重を支えるトラにとって、この障害は致命的といえた[26]。

飼育員たちの口からは「こんな脚で育つのか」「助けて良かったかわからない」といった言葉も漏れた。歩けずに寝たきりになれば、脚には褥瘡ができて化膿に繋がりうる。本来なら赤子のトラは、生後すぐに初乳を飲むことで、感染防止のための抗体や成長のための養分を得るところが、母のチョコが育児をできない状態のためにその初乳も得られず、抵抗力が弱いことは明らかだった[27]。誰も口には出さないものの、目の開かない内に安楽死という手段も考えられた[28][29][注 4]。

山口園長は「自分たちには命を助けた責任がある」と確信していたものの、現実問題として、当時の釧路市動物園は人員も経費も厳しく、「感情論だけでは飼えない」と否定的な声もあがった[30]。「人間がトラの親になることができるか」との懸念もあった[31]。 念のために、2頭を研究対象として育ててくれるところはないか、全国の動物園や大学に問い合わせたものの、障害を持つ以上は展示が困難であり、そうした個体を育てられるところは皆無だった[12]。

釧路市動物園が市の組織としては釧路市教育委員会の生涯学習部の管轄下にあるため、教育委員会の上司に本件を報告した後、最終的には釧路市長(当時)の伊東良孝に意見を仰ぐこととなった。その結果、事情を知った伊東市長から「授かった命だからしっかり育ててください」との言葉が得られた[32]。伊東は、障害を負った2頭をここで殺処分すれば、障害者たちがどんな思いをするかと考えた末、自然界で生存が無理でも、動物園で育てるべきと考えたのである[26]。

伊東良孝のこの言葉を受けて、山口園長や飼育員たちは2頭を育てる決心を固めるに至った[32]。山口園長は後年、伊藤の判断なくしてはタイガとココアのその後はなかったとして、伊藤を「命の恩人」と呼んだ[26]。

2頭の育成に向けて、飼育員や獣医たちによる5人編成によるトラ班が編成された[32][33]。折しも山口が新園長に赴任して間もない頃に、釧路市動物園で人気者のシマウマが死亡した直後、クラカケアザラシの赤子が保護され、あたかも生まれ変わりのように感じられたことから、山口は命と向き合い、命をつなぐという動物園の使命への想いを新たにしていた[27]。絶滅危惧種のアムールトラの人工飼育は、日本国内では過去に1例あるだけで、障害をもつトラの人工飼育となると、世界でも初めての試みであった[4]。

なお母のチョコは、リングとの間に再び子ができた場合、同じように障害を持った子が生まれる可能性が懸念され、リングと離しての飼育が続けられることとなった[34]。

育成の開始

母のチョコが育児をできないでいるために[注 5]、釧路市動物園の飼育員たちは、人工での保育に取り組むこととなった。先述の通り同動物園でのアムールトラの誕生は初めてのため、寝床は人間用の保育器で[36]、トラはネコ科のためにネコ用ミルクを哺乳瓶で与えることを試みるなど、何かもが手探りでの保育であった[23]。

釧路市動物園ではすべての動物に名前をつけて呼んでいることから、通例に従ってこの2頭にも名前がつけられた。オスの個体は、アムールトラの故郷であるアムール川にちなんで、「あの大河のように大きく育ってほしい」との願いを込めて、「タイガ」と名付けられた。アムールトラが生息するシベリアの針葉樹林を指すロシア語の「タイガ(тайга́)」にちなんだ名でもあった。メスの個体は、母のチョコの性格が甘えん坊であるため、「チョコ(チョコレート)の味をちょこっと分けてもらって」と、「ココア」と名付けられた[37]。当初はタイガは漢字表記の「大河」だったが、公式ウェブサイトでの表記「大河・ココア」が、人名のフルネームのように「おおかわココア」と誤読されるために、カタカナ表記の「タイガ」に改められた[38]。

なおオスのタイガ、メスのココアのどちらが先に誕生したかは不明のため、2頭が「兄妹」「姉弟」のどちらかは判明しておらず、釧路市動物園では平仮名の「きょうだい」と表記された[39][注 6]。

育成は必ずしも順調ではなかった。最大の懸念点は、成長に伴って体重が増加すれば、障害を負った脚で体重を支えることが可能かどうかであった[45]。そのために食欲にかかわらず、食事の量は常に少なめであった[46]。交差した両の後ろ脚の間に排泄物がたまり、初乳を飲んでいない2頭は感染症の恐れがあることから、排泄の世話も丹念に行わなければならなかった[47]。前例が皆無のために動物園側での育成は手探り同然であったが、タイガとココアの生命を助けた者として、生かす責任をもって育成が続けられた[45]。日本動物園水族館協会のネットワークを通じて、今後の飼育に関係する情報収集などを行いつつ、獣医師や飼育担当など職員たちが連携をとりながら、懸命の保育に努めた[22]。

6月9日には2頭とも、目が開いた。それをきっかけに2頭ともに途端に、互いにじゃれ合ったり、飼育員たちがミルクを与えようとすると、爪の生え始めた脚で飼育員たちの腕を傷だらけにしたりと、動作が活発になり始めた[48][49]。2頭がじゃれ合う姿は、あたかも母から離れて育っているために、同じ障害を持つ仲間、心許す2頭が身を寄せ合うようにも見られた[50][51]。この6月中には、2頭とも次第に力を増して、ミルクを与えるのも困難になり、盛んに動き回るために、報道用の写真撮影も困難になるほどだった[52]。

その後、2008年6月半ばまでは保育器で、その後は越冬舎、円形ゲージと場所を移し[36]、7月13日からはキャットフードとミルクを混ぜた離乳食を与えられながら[53][54]、タイガとココアは成長を続けた。釧路市民からも注目されて、トラ班のリーダーである担当飼育員の大場秀幸が街中を歩くと「トラ、元気?」と声をかけられるほどだった[55]。

一般公開

タイガとココアの誕生と障害がテレビや新聞で報じられた後[56]、タイガとココアの公開は、感染症の危険を避けるために公式ウェブサイトかDVDでの動画のみに留まっていたが、釧路市民の関心も高いことから[57]、山口園長が「障害を持って生まれてきた動物の命の輝きを見てもらいたい」と考えて、タイガとココアの一般公開を提案した。周囲からは、「障害を持った動物を見せ物にする」として猛反対の声も上がった。「残酷な姿をさらしてはいけない」という動物園の理念も検討された[15]。母乳を飲まずに育ったため、免疫力があるかどうかも懸念点であった。障害のあるアムールトラの育成は初めてのために、一般公開についてもやはり、参考にできるような前例もなかった[56]。

しかし山口園長は、釧路市動物園の基本理念の一つでもある「いのちとのふれあい」を来園者たちに学ばせ、「障害を持って生まれてた動物の命の輝きを見てもらいたい」との想いで、その反対の声を押し切り、一般公開に踏み切った[58]。不自由な脚でも歩きやすいように地面には人工芝を敷き[59]、虫よけのために蚊取り線香をたき[47]、さらにテントや扇風機を設置するなど、準備には十分な注意が払われた[60][61]。

2008年7月19日、同園で新たに誕生したフンボルトペンギンのお披露目に合わせて、タイガとココアの一般公開が開かれた。タイガとココアが姿を現すと同時に、まるで地響きのように客からの大歓声が上がり、2頭が驚いて逃げ出しそうになったので、慌てて飼育員がなだめて落ち着かせるほどだった[62]。哺乳瓶からミルクを飲む2頭を見て「がんばれ、がんばれ」と声が上がり[58][63]、涙する客すらいた[58][60]。変形した脚で必死に歩く姿に、「その生命力に胸を打たれた」と感慨深げに語る客もいた[64]。

初の一般公開への来園者の数は、700人以上に達した[63]。懸念していた、見世物呼ばわりのような批判は皆無であり、初の一般公開はスタッフたちの予想を大きく上回る大盛況となった[60]。また、一般公開の模様がマスコミで報道されたことが、募金活動の追い風にも繋がった[58]。

精密検査

絶滅危惧種であるアムールトラの今後の繁殖研究の上でも、タイガとココアについての医学的な知見が重要と考えられたことから、釧路市動物園はタイガとココアの医療検査について、江別市の酪農学園大獣医学部と共同研究で行うことを決定した[65]。

2008年8月4日、酪農学園大学で、タイガとココアの精密検査が行われた。その結果、「軟骨形成不全症の疑いあり」と診断された。軟骨の形成に異常が起こる病気であり、タイガとココア共に左後ろ足の骨の変形、前後の足の骨の成長不全、足首の骨の未発達が判明した[66]。四足歩行は絶望的であった[42]。軟骨の形成不全は骨の形成を妨げるために、将来的には体重を支え切れず、歩行も困難となる可能性が示唆された[66]。

さらにタイガには四肢に加えて、胸椎と腰椎にも変形があることが確認された。腰や骨の変形は、将来的には脊髄の圧迫にも繋がりかねず、言わば、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えている状態も同然だった。原因は不明であった[66]。

手術などでの外科処置での完治も困難であった。人間であれば人工関節や義足を作ることも可能だが、トラの場合はそうした前例はなく、メーカーの協力を得られるかどうかも不明であった[67]。2頭とも障害を乗り越えて順調に育っていると思われていただけに、思ったよりも悪い結果が出たことに対して、飼育員たちの落胆は計り知れないものだった[66][67]。

しかし2頭とも内臓には異常は見受けられず、食欲も旺盛で、それまでのキャットフード製の離乳食に加えて、肉片も食べるようになった[67]。大場飼育員たちは後悔の無いように、1日1日、できる限りのことをこなしていく決意を固めた[68]。

その後の2頭

やがて2頭ともに、起立しての歩行は困難ながら、タイガは左後脚を除く3本脚で、ココアも4本脚で何とか歩けるまでになり、周囲に希望を抱かせた[64]。無理と思われていた早足や、ジャンプのような仕草までも見せるようになった[69]。

この頃には釧路市民から、「タイガとココアに逢いたい」との電話が、1日に何本もかかっていた[68][70]。免疫ワクチンの投与が完了したこともあり、2008年9月、6回にわたっての一般公開が行われた[70]。この公開では、のべ約1万人の来園者が訪れた。特に最終日は開演記念日と重なったこともあって、来園者数は2510人に達した[68]。

その後の2頭の成長に伴い、2頭を公開場所の特設ケージへ移す際に飼育員の安全確保がより必要となったため、2008年10月以降は公開を中断していた。しかし釧路市民から「成長した様子を見たい」との要望があったことで、2008年12月28日、約3か月ぶりの臨時公開が行われた[71]。この公開では冬季にもかかわらず、早朝から来園者たちが長蛇の列をなした。テレビを見たといって本州から訪れた来園者たちも多く、阪神タイガースにちなんでか、大阪近隣からも来園者が多く訪れた[72]。

動物舎

母のチョコが育児をできないでいるために、釧路市動物園ではタイガとココアをチョコのもとへ戻すことはできず、専用の新たな動物舎が必要と考えられた[73]。それまでの飼育場所は、管理事務所に併設されている治療用スペースであったが、体重が約20kgに達し。爪や牙も鋭くなって危険で、担当者が手を触れながらの飼育は限界に来ていることも、その理由であった[74]。

動物舎新設に向けての補正予算案をたてたところ、釧路市の財政が苦しいにもかかわらず、5500万円も必要と判明した[73]。山口園長たちからの申請に対して、企画財政部は、自由に歩けない2頭、来年も生きられるかどうかわからない2頭のために高額な費用を費やすことに否定的であった[75]。釧路市動物園の関係者たちは動物園所属の教育委員会や釧路市長へ、何度も説明を繰り返した。その結果、2008年9月の定例市議会で満場一致で予算案が承認され、動物舎の増設が開始された[73]。山口園長たちに2頭の育成を決心させた伊東良孝市長はこのときも、建設費用の予算化など、2頭のために尽力した[26]。

2009年4月、タイガとココアのための新たな動物舎が完成した[73]。2頭のために出入り口の段差をなくしたバリアフリー仕様であり、脚の負担の緩和のために芝が敷かれた[76]。運動によって骨の成長を促す狙いとして、運動場は両親の運動場の2倍の広さが設けられた[51]。落成式では雨模様にもかかわらず、1400人の来園者が駆けつけ、動物舎の完成を祝った[73]。

動物舎の完成に伴い、それまで期間限定公開だったタイガとココアは、この動物舎での常時公開されるようになった[77][78]。5月3日には、2頭を支援するための「がんばれ! タイガ・ココアの日」と題したイベントが開催されて、8500人の来園者で賑わった[79]。その後は広い運動場が功を奏し、2頭は次第に体格が成長し、それまで障害で妨げられていた骨格の発達も認められるようになった[78]。

2009年5月に開催された満1歳の誕生日記念イベントでは、釧路市民ら約300人が祝福に訪れ、先着300人に配布された2頭の特製カードはすぐになくなるほどだった[80]。埼玉県から「脳梗塞で車いす生活だった母がファンになり、会いに来たがっていたが、昨年末に亡くなり、代わりに会いに来た」という男性もいた[81]。この日の来園者数は、1975年の開園以来、555万人を突破した[81]。屋外には記念パネルが飾られた[40]。

ココアとタイガを見に来る来園者はリピーターが多いことも特徴で、2頭のもとに来て「ココア、元気か」「タイガ!」、去り際に「またね」といった声がよく聞かれた[78]。台湾やハワイなど日本国外からメッセージが送られてくることもあり[82]、ハワイの送り主は「日本語放送のニュース番組で知った」とのことだった[83]。

タイガの死

2009年8月25日の夕方、タイガとココアはいつものように、食事の肉類にかぶりついた後[84]、タイガが肉を喉に詰まらせて、危険な状態となった[85]。異変に気づいた飼育員たち数人が駆けつけて、喉から肉を除去し、心臓マッサージ[73]、酸素チューブの注入、刺激剤の投与など、40分以上にわたって懸命な処置が施されたものの、危険な状態を脱することはできなかった。動物園にはAED(自動体外式除細動器)も備え付けられていたが、人間用のものであり、アムールトラに対して使用しようにも、体毛で通電が妨げられて効果が無かった[85]。17時28分、死亡が告げられた[5]。

前年にもタイガが食事を喉に詰まらせたことがあったが、当時のタイガはまだ赤子で食べ方が下手だったためであり、1歳まで成長したタイガならば、肉を喉に詰まらせることはあり得ないことであった。無論、動物園側でも食事の与え方には、細心の注意を払っていた[5]。この日の食事も普段の食事に比べて、大きさも量も何ら変わりはなかった[2]。しかしタイガの解剖の結果、胸椎の変形が予想以上に重篤であっていたことが明らかになった。胸椎の神経は内臓にかかわるものであり、この神経に何らかの異変が起きて、吐き出す力が弱まっていた可能性が示唆された[86]。脊椎の状態も、遅かれ早かれタイガの体を激痛で苦しめかねないほどに悪化しており、関係者は「よくここまで生きてくれた」と感じ取った[50]。

ココアが存命であることも考慮されて、お別れ会は敢えて開催されずに、記帳台の設置のみだったが、タイガの死から1週間で、全国250人から届いた大量の花が山のように飾られた[87]。死亡直前の25日に札幌から旅行で動物園に来ていたにもかかわらず、死亡が発表された26日に「訃報を聞いて、いてもたってもいられなくなった」と言って、開園と同時に来た来園者もいた[88]。記帳ノートに追悼の言葉を書いた来園者の数は570人に昇り、手紙や香典の現金書留は約30通、弔電は33通、お悔やみのメールも30通以上に達した。記帳する来園者が絶えないことから、9月末日までの予定であった記帳台設置期間は、10月中旬まで延期された[87]。タイガの檻には大型写真パネルが飾られた[40]。

後述する書籍『トラ学のすすめ アムールトラが教える地球環境の危機』で2頭を紹介した一橋大名誉教授の関啓子が、タイガの死から5年経過した後に釧路市動物園を訪れたときも、未だにタイガのための花や香典が贈られ続けており、タイガに捧げられた追悼文綴はバインダー3冊分に達していた[89]。

同動物園では以前から、死亡した動物たちを偲ぶ慰霊碑の建立の案が挙がっており、タイガの死で建立を求める声が高まったことで、2009年12月に慰霊碑「いのちの碑」が完成、12月27日に除幕式が開催された[90]。碑の建立資金は、グッズ販売などを手掛けるNPO法人「釧路市動物園協会」がタイガたちによって伸びた収益からを捻出し、園に寄贈した[91]。

翌2010年になっても、タイガの不在となった動物舎に花が捧げられ続けた[4]。タイガとココアが常に2頭一緒であったことから、残されたココアの身を案じる声も多く寄せられた[4]。帯広市から動物園に来て、タイガとココアの姿に心を打たれ、ココアの死後、タイガを見守ろうと園内で来園者の案内のボランティアに参加する者の姿もあった[92]。

その後のココア

穏やかな性格であったタイガに対して、ココアは活発な性格であったが、タイガを喪ってしばらくは、放心していたようであった[4]。タイガを捜したり、動物舎の出入り口からタイガが現れるのを待つような仕草も見られた[50]。しばらくして状況の変化に慣れたが、遊び相手を求めたか、人懐こさが増した。誕生時から世話をしていた飼育係、誕生時から撮影を行っていた飼育係の姿を見つけると、その後を追って歩いたり、甘えて体を寄せることが多かった。来園者に対して、他のトラのような厳しい視線ではなく、遊び相手を捜すかのような視線を向けていた[4]。

その性格は、人間を見ると鼻を鳴らす「鼻鳴らし」と呼ばれる、安心やリラックスを意味する仕草にもあらわれていた。幼少期に接していた飼育員や獣医師が年配男性たちだったためか、特に年配の男性の来園者を見ると、鼻を鳴らして立ち上がり、近寄ることも珍しくなかった[93]。

ココアが1頭だけになった後、ココアは人懐こい性格のために、動物園の顔ともいえる存在となった[94]。来園者の中には、アムールトラそのものを見るために訪れる者もいたが、ココアに逢いに来る者が圧倒的に多かった[89]。真っ先にココアのところに向かう人や、ココアだけを見て帰る来園者もいた[94]。来園者たちからは「がんばれ」「タイガの分まで生きてね」などの声がかけられた[95]。

釧路市動物園の入場者数は、開設5年目の1979年度に入園者数が26万人をピークとして、その後は減少傾向が続いていたが[96]、2009年度はタイガとココアのことなど話題が続いたことで、入園者数は4月から11月の8か月間のみで前年度を5割上回った[4]。最終的には18年ぶりに19万人を突破して19万9225人と、前年度を6万7千人上回り[97]、釧路動物園自体も注目を浴びるに至った[98]。

2010年5月、タイガが死亡した後の、ココア1頭だけの初めての誕生会でも、雨模様にもかかわらず、先着200人に配られた特製カードがすぐになくなるほどだった[99][100]。来園者からは「元気でいてね」「タイガの分まで生きてください」など、お祝いのメッセージや花束が寄せられた[100]。

4歳を迎える頃、ココアは十分に大人になったといえるにもかかわらず、体格は同年齢のメスのアムールトラに比べると小ぶりで、体重は約70㎏程度で発達が停止していた。体重が増加すると、障害を抱えた脚で体を支え切れるかどうかが懸念されていたが、それは杞憂のようであった[50]。ファンの来園者には年配の者、車椅子の者も増え[101]、「見ていると励まされる」と語る車椅子の女性もいた[102]。宮城県から毎月訪れるという60歳代の女性[103]、「一生懸命な姿に胸打たれる。ココアに会うと元気をもらえる」といって、東京から9年近く通い詰める女性もいた[104]。10歳の誕生会にも、東京や宮城を含む各地から約300人が、祝いのために集まった[105]。

2020年5月26日、ココア12歳の誕生日では、折しも新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令の翌月であり、釧路市動物園も休業を強いられたにもかかわらず、日本全国から好物の鹿肉や玩具などのプレゼントが届いた[106]。2024年5月の誕生会には、新潟から訪れ「誕生会に来たのは2回目」と語る70歳代女性もいた[107]。

2024年11月には、釧路市動物園の2025年版カレンダーが完成した。この2025年は動物園の開園50周年を迎える節目であり、動物園で最も人気のある動物として、ココアが写真に採用された[108]。この頃のココアは、人間でいえばすでに「おばあちゃん」と呼べる年齢であったが、、依然として毎年「力強く生きる姿に勇気をもらえた」との手紙が多く届いていた[109]。

ココアの晩年

2024年に入ると、ココアは加齢による衰弱が目立ち始めた[110]。直径20センチ以上の肉は食べなくなったため、細かく切って与えられるようになり、食事には消化を促す薬も混ぜられるようになった。内臓も衰え始めたが、体力の低下から、手術ができない状況であった[110]。2024年末には、後ろ脚で立つことが困難となった[111]。運動不足により便秘になり、食欲も減退した[112]。

2025年1月には、衰弱に加えて腰の湾曲の悪化が見られ、皮膚炎の発症も確認された[113]。後ろ足を使っての歩行が困難で、後ろ足を引きずるため、尾から尻にかけて皮膚炎を起こしたのである。折しも東洋紡エムシー(東洋紡と三菱商事の機能素材分野における合弁会社)による3次元網状繊維構造体を用いたマットレスが、横浜市立金沢動物園や神戸市立王子動物園などで動物ケア用途で広がり始めており、この1月からココアも、この素材によるマットレスの使用を始めた。新たなマットレスの心地は良好のようで、そのマットレスの上で横になったり、食事をしたりする姿が見られた[114]。

ココアはその後に食欲が回復し、時おり屋外にも現れるようになったが、3月末から4月にかけては食欲が減退して、食事を食べ残したり、活力が低下して移動が遅くなった[113]。これはアムールトラの発情期に現れる症状であり、ココアも3月後半から発情期が始まっていた。運悪く換毛期も始まったために、体力の低下に追い打ちをかけた[115]。動物園ほぼ毎日訪れる来園者が4月3日に訪れたときも、ココアはずっと寝ており、「こんな姿を初めて見た」とのことであった[116]。

動物園側ではこのココアの不調を受けて、治療の専念のために、展示の中止を発表した[113]。これが動物園の公式SNSで報じられると、「ゆっくり養生してね」「遠くから治療を応援してます」「今まで見せてくれた強い生命力で、また会える日を願っています」「また会おうね! きっとだよ!」などの応援メッセージが寄せられて[116]、その数は約700件に達した[117]。動物舎にはお守りが並んだ[118]。

4月13日より、ココアは大好物の鹿肉を少しずつ食べ始め、15日には完食するなど回復の兆候が現れたことで、4月22日から展示が再開された[119]。ただし皮膚炎の治療の継続のために、公開は15時から16時半までの、時間限定であった[119]。5月に開催された誕生会も、体調不良のために時間も来場人数も制限されたものだったが[120]、それでも来園者たちからは「おめでとう」「がんばって」の声があり、埼玉県からもファンが駆けつけた[121]。

6月には活発に動くことが減り、横たわって寝ることが多くなった。体力が低下したために、食欲も減退した。このことから再度の治療への専念を目的として、6月17日、無期限での展示中止が発表された[122]。

ココアの死

展示中止発表の翌日の2025年6月18日午後、ココアは容態が急変して、呼びかけにも応じなくなった[123]。同日19時頃、動物舎を映すモニターにより異変が察知され、担当の飼育員や獣医師らが救急処置をしたが、約15分後に死亡が確認された[124]。

翌日の6月19日、動物園側より死亡が発表された[123]。ココアの死を知って駆けつけた来園者の中には、泣き崩れる者もいた[125]。横浜から逢いに来て園内で訃報を知った来園者[125]、京都から駆けつけた来園者もおり[126][43]、郵送でも花が届けられた[6]。

6月21日、ココアの解剖の結果、死因は老衰と発表された。死亡時年齢は17歳であり、人間では70歳代後半に相当する年齢である[6]。なおアムールトラの寿命は、平均寿命は15年[127]、飼育下では20年ほどとされている[44]。

この6月21日は、ココアの死後の初の週末でもあり、釧路市外からも多くの来園者が訪れた。苫小牧市から駆けつけて「元気な姿をもう一度見たかった」「車中も涙が止まらなかった」と言って、涙ぐみながら花を供える来園者もいた[128]。死因が病気や大病でなく老衰と発表されたことで、「よくがんばって生きてくれた」との声もあった[128]。

7月21日に、お別れ会が開催された。北海道内外から約350人が駆けつけ、献花台に花を手向け[129]、「ありがとう」などと声をかけて、その死を悼んだ[130][131]。誕生年以降、往復4時間の車移動で計800回以上来たという来園者、病気で車いす生活を強いられ、12年にわたって花束を贈り続けた来園者[93]、病気で歩くことができなくなったが、ココアに励まされて病気を乗り越えることができたと感謝する来園者[129]、宮城県、東京都、兵庫県から訪れた来園者の姿もあった[132][133]。

経済的支援

釧路市動物園は、厳しい釧路市の財政状況の影響で、予算も、獣医師を含む従業員も年々減らされていた[60]。NPO法人釧路市動物園協会はこの苦境の打破のため、2008年6月、ネコ用粉ミルク約1か月分を、タイガとココアの飼育用として釧路市動物園に寄贈した[134][135]。

同2008年6月より、「頑張れタイガ・ココア」支援キャンペーンと銘打った募金活動が開始された[60]。同6月末に釧路市内の商店街で初の募金活動が行われ、幼い子供たちを始め、大勢の家族連れが募金に協力した。市内の美容店や居酒屋などから「募金箱を置きたい」という申し出が相次いだ[136]。7月には飲料メーカーの協力で、動物園内にトラ模様の自動販売機が登場し、売上の一部が支援募金にあてられた[137]。

山口園長自らも街頭に立ち、タイガとココアの映像を見せながら募金活動を行った[58]。その直後から、募金や多数の応援メッセージが届いた。釧路市の多くの企業からも、協力の申し出が寄せられた[60]。その結果、募金は2009年9月時点で120万円を突破し、入園者数も大幅な増大に至った[60]。

他にも、塗装業や水道設備などの企業が、タイガとココアのための設備改修に名乗り出て、改修に協力した[55][51]。タイガとココアの関連グッズも販売され、その企業利益の一部を募金に宛てる企業も現れた[51]。ぬいぐるみや携帯ストラップなど、30種類以上のグッズも販売され、代金の一部を募金に回す仕組みがとられ、すぐに売り切れるほどの人気を示した[82]。

釧路市動物園協会が、障害者を雇用している企業組合にタイガとココアのオリジナル商品の製作を依頼し、その企業利益の一部を募金に回す仕組みもとられた[51]。このことで、釧路市内の障害者に雇用機会にも繋がるといった副次効果も得られた[138]。

ココアが2025年5月に死亡したことで、支援募金は2025年10月で終了した。その総額は2510万円に達した[139]。

講演活動

タイガとココアと初の一般公開の後、動物園に講演依頼が舞い込んだことで、2008年8月より、山口園長が北海道内外の学校や福祉施設などを訪れ、2頭の誕生や、誕生直後に蘇生を試みた話、2頭が障害に負けずに生きる姿などを紹介した[140]。

2009年6月には、タイガとココアの1歳の誕生日を記念して、2頭の生育に関する講演会が釧路市内で開催された。誕生直後の2頭を飼育担当者が必死に看護した様子や、2頭が元気に成長していく様子が上映され、参加者たちから大きな反響を呼んだ[141]。

タイガの死後の同2009年12月より、北海道教育委員会による道徳授業の一環として、山口園長が特別講師として北海道内の各小中学校の教壇に立ち、タイガとココアの物語を通じて命の大切さを訴えた。タイガの死を知って涙ぐむ生徒も多く、授業後には生徒たちから「死ねという言葉はもう使いません」[142]「頑張って生きていきたい」[142]「自分の命や周りの命を大切に、生活を送りたい」[140]などの感想があった。釧路小学校の教員によれば、授業を通じて生徒たちの内面が変化し、「乱暴だった子供たちの言葉遣いが柔らかくなった」とのことだった[142]。

2010年2月には、この講演の回数は50回を超えた。当初は2頭を飼育する苦労話が中心だったが、タイガの死を境に「生きようとする命」が中心となり、依然、講演依頼が絶えることはなかった[140]。

メディア

書籍

いのちかがやけ! タイガとココア
児童文学作家・あんずゆきによる児童書。タイガとココアの物語を初めて書籍化した作品で、2009年に文渓堂より刊行された。
完成間際の同2009年8月末にタイガが急死したことで、一時は出版の中止や延期も検討されたが、あんずゆきが「タイガの生きた証しを残したい」と熱望し、タイガの死亡の状況を加筆した上で、追悼本として刊行された。釧路市内のコーチャンフォー釧路店では、発売から1か月で40冊が売れ、3週連続で児童書の売上1位となるなど、児童書としては異例の売れ行きを示した。釧路市動物園の売店でも40冊近くが売れた[143]。札幌市の紀伊國屋書店札幌本店でも、10月末から11月にかけての売上で第1位を記録した[144]。同2009年12月には、点訳版が釧路市動物園に寄贈された[145]。
タイガとココア 障がいをもつアムールトラの命の記録
朝日新聞文化部記者・林るみによる一般書。2009年に朝日新聞出版より刊行された。誕生からタイガの急死、ココアのそれまでの成長が、数多くの貴重な写真とともに記録されている[4][146]。
2013年に絶版となったものの、ココアの死後、全国の読者から「復刊してほしい」との百件以上のメールが、出版社宛てに寄せられた[147][148]。この要望を受けて、晩年のココアの姿も加筆した新版として、2025年11月に復刊された[149]。タイガとココアの影響力は、改めて動物園側を驚かせた[149]。北海道テレビ、北海道新聞などでも紹介されて話題となり、全国の書店からも追加注文が相次ぎ、わずか1日で重版が決定した[148]。
トラ学のすすめ アムールトラが教える地球環境の危機
一橋大名誉教授の関啓子による専門書。2018年に三冬社より刊行された。
全259ページのうち27ページにわたり、タイガとココアが誕生直後に、飼育員の献身的な努力で命をつなぎ、やがて歩けるようになるまでが紹介されている[150]。
関啓子は2009年にニュースでココアとタイガについて知り、「日本で一番有名なアムールトラ」として即座に釧路を訪れた[14]。その後も2015年までに計4回釧路市動物園を訪問し、「飼育員が懸命に2頭の命をつなごうとしている姿に心打たれた」と話している[150]。

これらの他に、2011年からは教育出版(東京都)の小学4年生道徳の副読本に、タイガとココアの物語が取り上げられた。釧路地方道徳教育研究会の副会長・太田恭司(釧路市立音別小校長)は後年、「障害を乗り越え生きたココアの姿は、子どもたちに困難にぶち当たっても頑張る勇気を教えてくれた」と話した[125]。

テレビ

NNNドキュメント(日本テレビ)
2009年10月11日放映分「タイガとココアの贈りもの 障害がある双子のトラ」で、タイガとココアの一般公開を、批判を覚悟で行った結果、大きな反響を呼び、多くの募金を集めるまでが報じられた[138]。製作は札幌テレビ[138]。
夢!どうぶつ大図鑑(TBS)
2011年12月17日放送分で、ココアとタイガの誕生から、2頭が動物園の飼育員たちの助けを受けつつ、障害を乗り越えて生き抜くまでの姿が紹介された[151]。
ウチのどうぶつえん(NHKEテレ)
2024年12月27日放送「ネコ科に まっしぐら」で、ココアの過去と現在が紹介された[152]。2025年2月14日放送分「ネコ科SIXTEEN」でもその短縮版が放送された[153][154]。
かわいいアニマル大集合! どうぶつのじかん(BS-TBS)
動物の「かわいい」と「感動」を売りとする番組であり、2017年10月23日放送分で「感動」の担当として、ココアが誕生してから現在までの姿が取り上げられた[102]。

これらの他に、「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS)、「どうぶつ奇想天外!(同)、「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ)、「FNNスーパーニュース」(同)、「奇跡体験!アンビリバボー」(同)などでも取り上げられた[31][40]。

脚注

参考文献

外部リンク

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