タボ・ムベキ
南アフリカの大統領
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タボ・ムヴイェルワ・ムベキ(コサ語: Thabo Mvuyelwa Mbeki、1942年6月18日 - )は、南アフリカ共和国の政治家。
| タボ・ムベキ Thabo Mbeki | |
タボ・ムベキ(2023年撮影) | |
| 任期 | 1999年6月14日 – 2008年9月25日 |
|---|---|
| 副大統領 | ジェイコブ・ズマ |
| 任期 | 1996年6月30日 – 1999年6月16日 |
| 大統領 | ネルソン・マンデラ |
| 任期 | 2002年7月9日 – 2003年7月10日 |
| 任期 | 2002年7月9日 – 2003年7月10日 |
| 副議長 | ジェイコブ・ズマ |
| 任期 | 1999年6月14日 – 2003年10月31日 |
| 出生 | 1942年6月18日(84歳) ケープ州ムベウレニ |
| 政党 | アフリカ民族会議 |
| 出身校 | ロンドン大学 サセックス大学 |
| 配偶者 | ザネレ・ドラミニ・ムベキ (1974年 - ) |
| 署名 | |

大統領(第9代)、副大統領(第2代)、国民議会議員(3期)、アフリカ民族会議(ANC)議長(第12代)、アフリカ連合総会議長(初代)を歴任した。
歴史
生い立ち
南アフリカ連邦ケープ州ムベウレニに生まれる。ムベキはサセックス大学を卒業し、経済学の学位を持つ。
イウデワとバターワースの小学校に通い、アリスのラブデール学校で中等教育を受けていたが1959年、学生ストライキに参加したため、学校を放校処分となった.
反アパルトヘイトの闘士
ロンドン大学の外部学生として経済学学位を取得し、1961年12月にはアフリカ学生協会の幹事に選出されたものの、翌年ANCが非合法化されたことからロンドンに亡命する。
サセックス大学において南アフリカの黒人として初めて経済学修士号を取得した。
1993年、ネルソン・マンデラ釈放後に帰国する。
大統領
1999年、総選挙でANCが再び勝利し、マンデラの後継として大統領に就任した。マンデラの経済成長路線を堅持、またアフリカ統一機構からアフリカ連合への改組を主導し、アフリカの盟主として積極的にアフリカ地域の紛争解決に乗り出して経済界や主要国から評価されている。2004年の総選挙でも勝利し、大統領に再任した。BRICSの一員として中華人民共和国やインド、ブラジル、ロシアとの関係も強化した[1]。
ムベキは大統領就任後、エイズはHIVによって引き起こされたものではないと主張する少数派の著名な科学者の見解を表明した[2]。2008年11月のハーバード大学の調査によれば、ムベキ大統領がエイズに関する科学的コンセンサスを拒否しエイズ否認主義を受け入れたため、南アフリカでは推定33万人が亡くなったと推定されている[3]。
所得格差や犯罪率の抑制、エイズ問題に関して有効な政策を打ち出せない状況に対し、副大統領のジェイコブ・ズマを中心に党内から非難が起きた。これに対して2005年、汚職疑惑を理由にズマを罷免し、党内の主導権を確立しようとした。ズマはレイプ疑惑で被告人として起訴されるも無罪を勝ち取り、反ムベキの活動を展開し、2007年のANC議長選挙でムベキはズマに敗れた。
2008年、ズマ率いるANC全国執行委員会から辞職勧告を受けたことから辞職表明した。