南アフリカ連邦
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- 南アフリカ連邦
- Union of South Africa
Unie van Suid-Afrika
Unie van Zuid-Afrika -
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1910年 - 1961年
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(国旗) (国章) - 国歌:
God Save the King
国王陛下万歳(1910年 - 1952年)
God Save the Queen
女王陛下万歳(1952年 - 1957年)
Die Stem van Suid-Afrika
南アフリカの呼び声(1957年以降[注釈 1]) 
赤:南アフリカ連邦
斜線部:南西アフリカ-
公用語 英語、オランダ語、アフリカーンス語 首都 プレトリア(行政)
ケープタウン(立法)
ブルームフォンテーン(司法)- 総督
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1910年 - 1914年 ハーバート・グラッドストーン (初代) 1961年 - 1961年 ルーカス・コーネリアス・ステイン (最終) - 首相
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1910年 - 1919年 ルイス・ボータ(初代) 1958年 - 1961年[注釈 2] ヘンドリック・フルウールト(最終) - 面積
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1,219,912
(南西アフリカを含むと 2,045,320)km² - 人口
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1961年 18,216,000人 - 変遷
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自治領として成立 1910年5月31日 ウェストミンスター憲章成立 1931年12月11日 主権国家として独立 1934年8月22日 共和制移行、イギリス連邦離脱 1961年5月31日
通貨 南アフリカ・ポンド 現在
南アフリカ共和国
ナミビア
南アフリカ連邦(みなみアフリカれんぽう、英語: Union of South Africa、アフリカーンス語: Unie van Suid-Afrika、オランダ語: Unie van Zuid-Afrika)は、かつて南部アフリカに存在した立憲君主制国家、英連邦王国。
1910年5月31日、イギリスの自治領南アフリカ連邦が成立。人口のごく少数を占める白人が黒人を強権的に支配する政治体制を敷き、1911年には白人労働者の保護を目的とした最初の人種差別法「鉱山労働法」が制定された。
1931年に自治領の独立を認めるウェストミンスター憲章が採択され、実質的に本国イギリスと同等の主権国家となった。1934年にはイギリス国会で南アフリカ連邦地位法が可決され、正式に主権国家として規定され、イギリス連邦内で独立(英連邦王国)。これ以降、人種差別政策を一層推し進めていき、1959年にはバントゥースタン制度を制定。白人と黒人の分離を積極的に行い、後にホームランドという形式上の独立国に黒人を押し込んだ。1960年に発生したシャープビル虐殺事件では国際的な非難を浴び、世界的孤立が一層強まった。翌1961年、これらアパルトヘイト政策への国際的批判に反発し、イギリス連邦を離脱。共和制へ移行し南アフリカ共和国が成立した。