タルソスのペラギア
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| タルソスのペラギア | |
|---|---|
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ファラリスの雄牛で処刑されるペラギア(『バシレイオス2世のメノロギオン』より) | |
| 殉教者 | |
| 他言語表記 | Πελαγία |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 |
301年 - 305年 |
| 崇敬する教派 |
東方正教会[1] カトリック教会 |
| 記念日 |
5月4日(東方正教会、カトリック教会)[2] 10月8日(東方正教会)[2] |
ペラギア(ギリシア語: Πελαγία、生年不明 - 4世紀初頭)もしくは殉教者ペラギア(ギリシア語: Πελαγία ἡ Μάρτυς)は、キリスト教における伝説的な聖人、殉教者。ディオクレティアヌス帝治世下のローマ帝国・キリキア属州のタルソスで生活していたと伝えられており[3]、 ペラギアの名を持つ他の聖人や殉教者と区別するため、タルソスのペラギアと呼ばれる。もともとの記念日は、エルサレムのペラギアやアンティオキアのペラギアと同じ10月8日に設定されていた[4]。
言い伝えによると、帝位継承者であったディオクレティアヌス帝の息子がペラギアと恋に落ち、彼女との結婚を望むようになった。ペラギアは、処女を守ることを誓い、既にキリストと結婚していることを理由に結婚を断ったが、その悲しみのあまり息子は自殺してしまったとされる。その後、異教徒の母親によってローマへ送られたペラギアに、ディオクレティアヌスは自身の妻になるよう迫った。この申し出を狂った皇帝だと罵って断った彼女は、その罪で火刑に処せられたが、溶けた肉体から香る没薬の匂いが、ローマ中に漂ったと伝えられている。なお、処刑の際にファラリスの雄牛が用いられたとする説も存在する。この言い伝えは、ペラギアの遺骨を取り囲むために、異教徒が4頭のライオンを放ったが、ライオンはキリスト教の司教が遺骨を回収するまで、ハゲワシやカラスから遺骨を守ったとする話で締めくくられている。