ダニエル・ニクラエ
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ルーマニア代表でのニクラエ | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ダニエル・ジョルジェ・ニクラエ Daniel George Niculae | |||||
| 愛称 | Nico | |||||
| ラテン文字 | Daniel Niculae | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1982年10月6日(42歳) | |||||
| 出身地 | ブカレスト | |||||
| 身長 | 185cm | |||||
| 体重 | 76kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1996-2001 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2001-2006 |
| 107 | (33) | |||
| 2001-2002 |
| 7 | (0) | |||
| 2006-2010 |
| 130 | (19) | |||
| 2006-2009 |
| 5 | (2) | |||
| 2010-2012 |
| 17 | (4) | |||
| 2011-2012 |
→ | 31 | (6) | |||
| 2012-2013 |
| 11 | (2) | |||
| 2014-2015 |
| 28 | (10) | |||
| 2015-2017 |
| 41 | (8) | |||
| 2017-2018 |
| 31 | (40) | |||
| 通算 | 397 | (122) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2003-2012 |
| 39 | (9) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ダニエル・ジョルジェ・ニクラエ(Daniel George Niculae, 1982年10月6日 - )は、ルーマニア・ブカレスト出身の元サッカー選手。元ルーマニア代表である。現役時代のポジションは主にセカンドトップだが、センターフォワードとしてもプレーした。
クラブ
ラピド・ブカレスト
2000年にFCラピド・ブカレストからデビューした。2001年は主にBチーム扱いのエレクトロマグネティカ・ブカレストでの出場だったが、自身の価値を示し、トップチームのレギュラーに定着した2002-03シーズンにリーグ優勝を果たした。2004-05シーズンは14得点で得点ランキング3位になり、チーム内得点王になったように得点力を開花させると、UEFAカップ2005-06ではムグレル・ブーガとの強力なコンビ[1]で予選本戦合計8得点を記録し、準々決勝進出に貢献[2]。また、同シーズンはクパ・ロムニエイ決勝のFCナショナル・ブカレスト戦で決勝点を挙げ、優勝に導いた[3]。
オセール
2006年6月5日に移籍金330万ユーロでリーグ・アン(フランス1部)のAJオセールと4年契約を締結する[4]。2006-07シーズンはUEFAカップで4得点したが、リーグ戦では苦しんだ。しかし、2007-08シーズンは11得点を挙げてチームを残留に導いた。その活躍にパリ・サンジェルマンFCからオファーを貰い[5]、最終的にオセール残留したが、2008-09シーズンは父が亡くなった影響もあり、32試合無得点とピッチ内外で苦労した。その不振の為、翌2009-10シーズンはジャン・フェルナンデス監督の構想外となり、シーズン前に期限付き移籍に出されようといていたが、新戦力のアレクサンドル・リカタがシーズン全てを欠場する深刻な足首の負傷となると、イレネウシュ・イェレンとコンビを築いた[6]。同シーズンでは、2010年4月時点でリーグ2位となるリーグ戦7アシストをする[7]など得点よりも多くのアシストを生み出し、チームの3位にしてUEFAチャンピオンズリーグ 2010-11プレーオフ進出に貢献した。
モナコ
2009-10シーズンを4得点9アシストで終了した後、2010年5月15日に契約満了で退団[8]し、6月13日にASモナコと3年契約で合意する[9]。2010-11シーズン前の親善試合において、SLベンフィカ、FCディナモ・モスクワを相手に得点やアシストを決める[10][11]好調さで開幕を迎えると、8月22日のRCランス戦で初得点を挙げ[12]、以降、オリンピック・マルセイユ[13]やパリ・サンジェルマンといった強豪相手に得点を挙げていた[14]が、負傷によって度々離脱[15]し、チームはリーグ・ドゥへと降格した。
- ナンシーへの期限付き移籍
2011年9月4日、オセール時代に師事したフェルナンデス監督率いるASナンシーに2011-12シーズン終了までの期限付き移籍に出される[15]。2012年1月30日の古巣オセール戦 (3-1)では、試合開始前にオセールファンから拍手で迎えられたが、2得点を挙げてナンシーの勝利に貢献するプレーにより、試合終了後にブーイングへと変化した[16]。
クバン・クラスノダール
2011-12シーズンを6得点2アシストで終了した後、モナコとの契約を双方合意の下で解消[17]し、2012年7月6日に同郷のダン・ペトレスク監督が指揮を執るロシアサッカー・プレミアリーグ (ロシア1部)のFCクバン・クラスノダールに2+1年契約で移籍した[17][18]。クバン・クラスノダールでは、自身の獲得を望んだペトレスク監督が退任し、レオニド・クチュク監督が就任した影響もあり、出場機会は11試合 (先発6試合)と多くを得られず[19]、8月下旬のFCヴォルガ・ニジニ・ノヴゴロド戦 (6-2)と2013年4月下旬のFCゼニト・サンクトペテルブルク戦 (2-2)で記録した[20]2得点にとどまり、6月10日に契約を終了した[19]。
ラピド・ブカレスト復帰
自由契約選手となった後、オセールとナンシーで師事したフェルナンデス監督率いるモンペリエHSCへ移籍間近と報じられた[21][22]が、2014年2月に古巣ラピド・ブカレストで親善試合を戦い[23]、28日に正式に復帰した[24]。
代表歴
ルーマニア代表には、2003年8月に負傷したフロリン・ブラトゥの代役としてウクライナ戦に招集され[25]、2005-06シーズン中にレギュラーに定着した。UEFA EURO 2008では、最初の2試合で先発を務め、グループリーグ最後のオランダ代表戦は途中出場と全3試合に出場したが、準々決勝進出ならず敗退した。