テオドール・シュトルム
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略歴
北ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(ただし当時はデンマーク領)の西海岸の町フーズムに、弁護士の息子として生まれた。母は地元豪商の娘だった。キール大学とベルリン大学で法律を学び、卒業後故郷で弁護士を開業した。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州でドイツ人による反デンマーク蜂起(第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争)が起こったとき、シュトルムもこの運動をあおった。しかしデンマークが勝利したことにより、シュトルムは弁護士の職を政府より剥奪された。その後、知人のはたらきによりプロイセンにあるポツダム裁判所の陪席判事に就任し、後にザクセン州の町ハイリゲンシュタットの地方裁判所判事に転任した。そのうちに第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発し、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州がドイツに帰属したことにより、シュトルムは故郷フーズムの知事に就任した。ところが、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州がプロイセン王国の州となったことにより、知事を辞職させられ、区裁判所の判事に転任させられた。
私生活面では、故郷で弁護士業を開始する直前の25歳でかねてから思いを寄せていた少女ベルタ・フォン・ブーハンに求婚したが拒絶され、その失恋体験が代表作『みずうみ』に影響していると言われている。29歳の時に従妹のコンスタンツェ・エスマルヒと結婚。その翌年にドロテーア・イェンゼンとの恋愛問題に悩む。ドロテーアは結局身を引いたが、1865年にコンスタンツェが病死したため、シュトルムの後妻に迎えられた。
1880年、シュトルムは判事職を辞しハーデマルシェンに移った。ここで作家として創作活動を続け、1888年に71歳で没す。遺骸は故郷のフーズムにある、聖ユルゲン墓地に葬られた。
シュトルムは生涯の大半を法律家として過ごしたがギムナジウム時代の同級生の影響で若い頃から文学に親しんでおり、30歳で最初の短編小説『マルテと彼女の時計』を書き上げる。32歳で代表作『みずうみ(インメンゼー)』を発表、その後もコンスタントに詩や小説を発表し、死の年である1888年に最後の傑作『白馬の騎手』を書き上げた。
フーズムには居住した家の一軒が「テオドール・シュトルム博物館」(de:Theodor-Storm-Haus)で保存されており、彼が作品を書いた机、愛用のピアノ、友人達との書簡類などが展示されている。
テューリンゲン州のハイリゲンシュタットには「Literaturmuseum „Theodor Storm“」がある。
略年譜
- 1817年 - 9月14日、フーズムに生まれる[1]。
- 1835年 - リューベックにあるカタリーネ高等学校(ギムナジウム)(de:Katharineum zu Lübeck)に入学する[2]。
- 1837年 - キール大学に入学し法律を学ぶ[2]。
- 1838年 - ベルリン大学に移る[2]。
- 1840年 - キール大学に戻る[2]。
- 1842年 - キール大学を卒業する[2]。
- 1843年 - 国家試験を合格後、フーズムで弁護士を開業する[2]。
- 1844年 - 従妹でゼーゲベルク(Segeberg)市長の娘コンスタンツェ・エスマルヒと婚約する[3]。
- 1848年 - コンスタンツェと結婚する[3]。
- 1850年 - デンマークからの解放運動に関わったことで弁護士の職を剥奪される[3]。
- 1851年 - ベルリンで就職活動中、パウル・ハイゼの紹介により詩や小説を収めた『夏ものがたりと歌』が出版される[3]。
- 1852年 - 処女詩集が出版される[3]。
- 1853年 - ポツダムで陪席判事の職を得るが、半年間は無給であった[3]。
- 1856年 - ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)の地裁判事に任ぜられる[4]。
- 1864年 - デンマークの支配から脱却した故郷フーズムから要請を受け、行政・司法の長官に就任する[4]。
- 1865年 - 妻のコンスタンツェが7人目の子供を産んでまもなく産褥熱で死去する[4]。
- 1866年 - ドロテーア・イェンゼンを後妻に迎える[4]。フーズムがプロイセンに併合されたことにより部長を辞任させられ、区裁判判事に任命される[4]。
- 1879年 - 退職し、フーズムから南に45キロメートルほどいったハーデマルシェン(Hademarschen)に土地を購入し、家を建てる[5]。
- 1880年 - ハーデマルシェンに移住する[5]。
- 1888年 - 7月4日、胃癌のため死去した[5]。
主な作品
- マルテと彼女の時計 “Marthe und ihre Uhr”(1847年)
- 広間にて “Im Saal”(1848年)
- みずうみ “Immensee”(1849年)
- おもかげ “Posthuma”(1851年)
- 一ひらの緑の葉 “Ein grünes Blatt”(1854年)
- アンゲーリカ “Angelica”(1855年)
- 林檎の熟するとき “Wenn die Äpfel reif sind”(1856年)
- 遅咲きの薔薇 “Späte Rosen”(1860年)
- 大学時代 “Auf der Universität”(1863年)
- 聖ユルゲンにて “In St. Jürgen”(1867年)
- レナ・ヴィース “Lena Wies”(1873年)
- 三色すみれ “Viola Tricolor”(1874年)
- 人形つかいのポーレ “Pole Poppenspaler”(1874年)
- 静かなる音楽家 “Ein stiller Musikant”(1875年)
- 美しき誘い(プシューヒェ)“Psyche”(1875年)
- 溺死 “Aquis Submersus”(1876年)
- ハンス・キルヒとハインツ・キルヒ “Hans und Heinz Kirch”(1882年)
- グリースフース年代記 “Zur Chronik von Grieshus”(1884年)
- 白馬の騎手 “Der Schimmelreiter”(1888年)
主な日本語訳
全集
小説

- みずうみ 他四編(関泰祐訳、岩波文庫、1950年、1979年改版、ISBN 4-00-324241-6)
- 大学時代・広場のほとり 他四篇(関泰祐訳、岩波文庫、1958年、ISBN 4-00-324243-2)
- 三色菫・溺死(伊藤武雄訳、岩波文庫、1935年)
- 美しき誘い 他一篇(国松孝二訳、岩波文庫、1951年、ISBN 4-00-324244-0)
- 海の彼方より 聖ユルゲンにて(国松孝二訳、岩波文庫)
- 聖ユルゲンにて 後見人カルステン 他一篇(国松孝二訳、岩波文庫、2011年、ISBN 978-4-00-324247-6)
- 白馬の騎手 他一篇(茅野蕭々訳、岩波文庫)
- みずうみ(高橋義孝訳、新潮文庫、ISBN 4102078010)
- みずうみ・人形つかい(国松孝二訳、角川文庫、1950年、1968年改版)
- 三色すみれ・水に沈む(北通文訳、角川文庫、1968年改版)
- 告白・別離・沈黙(高橋健二訳、角川文庫、1968年改版)
- たるの中から生まれた話(矢川澄子訳、福武文庫、1990年、ISBN 4-8288-3122-3)
- 白馬の騎手(高橋文子訳、論創社、2007年、ISBN 978-4-8460-0462-0)
- みずうみ : シュトルムショートセレクション(酒寄進一訳、理論社、2019年、ISBN 978-4-652-20334-7)
- 従弟クリスティアンの家で 他五篇(岡本雅克訳、幻戯書房〈ルリユール叢書〉、2020年、ISBN 978-4-86488-189-0)
- みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ(松永美穂訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2020年、ISBN 978-4-334-75424-2)
- みずうみ、ハンスとハインツ・キルヒ(高橋昌久訳、京緑社マテーシス古典翻訳シリーズ)