テソソモク
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テソソモクの時代、テパネカはテスココ湖一帯だけでなく、さらに離れた土地まで支配する帝国を築いた。周辺のコヨアカン、トラコパン、トラテロルコ、アコルマン(英語版)、トルティトランなどの都市はテソソモクの子たちによって直接統治され、より重要性の低い都市国家についてはその統治者に娘を嫁がせた[1]。
テスココ湖中の島にあるメシカの都市テノチティトランは、後にアステカ帝国を築くことになるが、最初のトラトアニであるアカマピチトリをはじめ、2代目のウィツィリウィトル、3代目のチマルポポカの時代にはアスカポツァルコのテソソモクに従属していた。特にチマルポポカはテソソモクの孫であった。そもそもメシカの2つの都市テノチティトランとトラテロルコの起源についても、伝説にいうように守護神ウィツィロポチトリに導かれたのではなく、テスココ湖一帯の覇権を得るためにアスカポツァルコによって建設が促進されたものと考えられる。この2つの都市にトラトアニが立てられたのもテソソモクの許可によるものであり、トラテロルコの初代トラトアニはテソソモクの子のクァクァピツァワク(英語版)であった[1]。アカマピチトリについては伝承ではアスカポツァルコと無関係で、メシカとコルワカンの血を引くことになっているが、この伝承はアステカ帝国成立後に書き直された創作である可能性が高い[2]。
テパネカのライバルとしては、湖の東のテスココを中心都市とするアコルワがあった。1409年にテスココのトラトアニであるテチョトララが死に、イシュトリルショチトル1世(英語版)が襲位すると両者の関係は悪化し、1416年ごろから戦争になった。テソソモクは勝利し、イシュトリルショチトル1世は殺された[3]。
しかしテパネカの繁栄はテソソモクの一代限りだった。その死後、後継者をめぐって内紛が起き、マシュトラが新たな王位についた。後継者問題に介入したテノチティトランのチマルポポカはおそらくマシュトラの手の者によって殺された。チマルポポカの後をついだテノチティトランのイツコアトルはテスココのネサワルコヨトル(イシュトリルショチトル1世の後継者)、トラコパンのトトキワストリと同盟を組んで戦い、アスカポツァルコを倒した。これによってテパネカにかわってテノチティトランを中心都市とするアステカ帝国が一帯を支配することになった[4]。
記念
メキシコシティにはテソソモクの名を冠するいくつかの施設がある。
- メキシコシティ地下鉄6号線にテソソモク駅がある。
- テソソモク公園 (Parque Tezozómoc) はアスカポツァルコ地区にある大きな公園である。1982年に開業した。
脚注
- 1 2 Santamarina Novillo, Carlos (2015). “Tezozómoc y Tenochtitlan”. Arqueología Mexicana (136): 60-64. https://arqueologiamexicana.mx/mexico-antiguo/tezozomoc-y-tenochtitlan.
- ↑ Castañeda de la Paz, María (2017), “Itzcóatl”, Arqueología Mexicana (145): 14-15, https://arqueologiamexicana.mx/mexico-antiguo/itzcoatl
- ↑ "Huitzilihuitl" . Appletons' Cyclopædia of American Biography (英語). 1892.
- ↑ Tomado de Enrique Vela (2011), “Itzcóatl, "serpente de obsidiana" (1427-1440)”, Los tlatoanis mexicas. La construcción de un imperio, Arqueología Mexicana, Especial 40, Instituto Nacional de Antropología e Historia, https://arqueologiamexicana.mx/mexico-antiguo/itzcoatl-serpiente-de-obsidiana-1427-1440
