ディオニュシウス・エクシグウス

From Wikipedia, the free encyclopedia

ディオニュシウス・エクシグウス

ディオニシウス・エクシグウスDionysius Exiguus470年頃 - 544年頃)は、ローマ神学者教会法学者である。小ディオニュシウスとも。東ローマ帝国の小スキタイ地方(現ブルガリアドブロジャ)出身。西暦の考案者。

彼は小スキタイの主要都市、トミス(現コンスタンツァ)に集中しているスキタイの修道僧共同体の一員であった。

教皇ゲラシウス1世が没した頃(496年)から彼はローマで過ごし、ローマ教皇庁の教養が高い一員として、401の教会の正典ギリシア語からラテン語に翻訳してきた。それにはニカイアコンスタンティノープルカルケドン、サルディスの公会議による正典、教皇シリキウスによるアナスタシウス2世にあてたものなど、5世紀教皇教令集などを含む。これらの翻訳集は西洋において大きな権威をもち、まだ教会の管理を導いてすらいた。ディオニュシウスは初等数学に関する論文も書いている。

616年、ディオニュシウスのコンプトゥスの続きを著した著者は彼を「ローマ市で最も教養の深い修道院長」と表現している。ベーダ・ヴェネラビリスは彼にアッバス(大修道院長)の尊称を与えた。ただし、それはどのような修道僧(特に年長で尊敬を受けている僧)でも与えられるもので、必ずしもディオニュシウスがかつて修道院長を務めていたことを示すものではない。

ディオニュシウスは西暦を案出したことで最もよく知られる[1]。これはユリウス暦グレゴリオ暦の形で約1,500年用いられている。

脚注

Related Articles

Wikiwand AI