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ディスカヴァリー (競走馬)

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欧字表記 Discovery
性別 牡
ディスカヴァリー
1936年1月25日、サンタアニタ競馬場にて
欧字表記 Discovery
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 栗毛
生誕 1931年
死没 1958年
父 Display
母 Ariadne
母の父 Light Brigade
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
(ケンタッキー州レキシントン)
生産者 Walter J. Salmon, Sr.
馬主 Adolphe Pons
→Alfred G. Vanderbilt II
調教師 John R. Pryce
→J. H. Stotler
競走成績
生涯成績 63戦27勝
獲得賞金 195,287ドル
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ディスカヴァリー(Discovery、1931年 - 1958年)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬。ブルックリンハンデキャップとホイットニーハンデキャップの3連覇を達成し、1935年のアメリカ年度代表馬に選ばれた。1969年にアメリカ競馬殿堂入りを果たしている。

若駒時代

ケンタッキー州レキシントンのメアワースファームで生まれた栗毛のサラブレッドである。父ディスプレイはプリークネスステークス優勝馬、母アリアドネは未勝利に終わったライトブリッジ産駒であった。

メリーランド州のライフファームを運営していたアドルフ・ポンズに所有され、ジョン・プライス調教師のもとで競走馬としてデビューした。2歳時のディスカヴァリーの戦績は目立ったものではなく、デビューから初勝利までに4戦を要した。ポンズ所有のもとで13戦したが、一般競走で2勝したのみで、ステークス競走ではケンタッキージョッキークラブステークスの2着が最高であった。

2歳シーズンの終わり頃に、ディスカヴァリーはアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルト2世に25,000ドルで購入された。その後ヴァンダービルト所有のもとで調教師もJ・H・スタットラーに替わり、ピムリコ競馬場のウォルデンステークスで2着に入ったのを最後に2歳シーズンを終えた。

明けて3歳、ディスカヴァリーの年明け初戦はハヴァードグラス競馬場のチェサピークステークスで、ここでキャヴァルケードの3着に入った。その後しばらく、ディスカヴァリーはキャヴァルケードと何度も対戦していった。次のケンタッキーダービーでも両馬は対決し、6番人気で出走したディスカヴァリーは前につけて走っていたものの、最後の直線でキャヴァルケードに抜かれ、2馬身半差の2着に敗れた。続くプリークネスステークスでもハイクエストの3着(2着にキャヴァルケード)に敗れ、ベルモントステークスは出走が見送られた。その後もアメリカンダービーやアーリントンクラシックステークスなどでキャヴァルケードと対戦しているが、結局一度も先着することはできなかった。

古馬時代

同世代との対決では成果を上げられなかったものの、後に古馬と対戦するようになると、その実力が発揮されるようになっていった。

3歳の6月、まずブルックリンハンデキャップでは古馬を相手にしながら優勝、初のステークス競走勝ちを収めた。その後ホイットニーハンデキャップ、ロードアイランドハンデキャップなど主要なハンデキャップ競走で勝利を重ねていった。なかでも、ロードアイランドハンデキャップではダート9.5ハロン(約1911メートル)の世界レコードを樹立していた。

4歳シーズンの出だしは不調であったが、2度目のブルックリンハンデキャップから8連勝、ホイットニーハンデキャップも連覇した。特にマーチャンツ&シチズンズハンデキャップでは139ポンド(約63キログラム)を背負っての勝利であった。ディスカヴァリーのこのようなパフォーマンスに対して、いつしか「Iron Horse(アイアンホース)」という呼び名がつけられていた。この年は19戦11勝の戦績を挙げ、同年の最優秀ハンデキャップ馬、および年度代表馬に選出された[1]。

翌年も現役を続行し、常に重い斤量を積みながらハンデキャップ競走に出走し続けた。3度目のブルックリンハンデキャップでは136ポンド(約61.5キログラム)を背負いながらも優勝、同競走の3連覇を達成した。このほかホイットニーハンデキャップも3連覇し、年末には最優秀ハンデキャップ馬の表彰を2年連続で受賞した。

引退後

ディスカヴァリーは5歳のシーズンをもって引退し、ヴァンダービルトが所有するメリーランド州ボルティモアのサガモアファームにて種牡馬となった。

ディスカヴァリーは1958年に死亡するまで、21年間種牡馬として活動したが、生涯に出したステークス競走勝ち馬は25頭とそれほど大きな結果を挙げることはできなかった。ルーザーウィーパー(1945年生・メトロポリタンハンデキャップ勝ちなど)やノックダウン(1943年生・サンタアニタダービー勝ちなど)などの後継種牡馬もいたが、その父系は現代ではほぼ残っていない。

しかし、ディスカヴァリーは父としてよりも母の父(ブルードメアサイアー)としての功績が大きかった。最も有名なものに、1943年生のゲイシャが産んだネイティヴダンサーがいる。同馬はケンタッキーダービー以外で負けなしの戦績を誇り、後にアメリカ殿堂馬となり、その血統は現在の世界的主流血統のひとつとなっている。このほか、ディスカヴァリーは以下のような著名な競走馬の母父となっている。

評価

主な勝鞍

※当時はグレード制未導入

1933年(2歳) 14戦2勝
2着 - ケンタッキージョッキークラブステークス、ウォルデンステークス
1934年(3歳) 16戦8勝
ポトマックハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ、ケナーステークス、ホイットニーハンデキャップ、ロードアイランドハンデキャップ
2着 - ケンタッキーダービー、アメリカンダービー、アーリントンクラシックステークス
1935年(4歳) 19戦11勝
ブルックリンハンデキャップ(連覇)、ホイットニーハンデキャップ(連覇)、マーチャンツ&シチズンズハンデキャップ、アーリントンハンデキャップ、ロードアイランドハンデキャップ、ホーソーンゴールドカップハンデキャップ、スターズ&ストライプスハンデキャップ
2着 - ナラガンセットスペシャル、サバーバンハンデキャップ
1936年(5歳) 14戦6勝
ブルックリンハンデキャップ(3連覇)、ホイットニーハンデキャップ(3連覇)、サラトガハンデキャップ、サンカルロスハンデキャップ、ウィルソンステークス
2着 - サラトガカップ、ナラガンセットスペシャル

年度代表馬

  • 1935年 - アメリカ年度代表馬
  • 1936年 - アメリカ最優秀ハンデキャップ牡馬

表彰

血統表

備考

外部リンク

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