トム・ケリー (内野手)
アメリカの野球選手、監督 (1950 - )
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経歴
1968年のMLBドラフト8巡目(全体178位)でシアトル・パイロッツから指名され、プロ入り。1980年までの13年間の現役時代でのメジャー経験は1975年にミネソタ・ツインズでの1年だけであり、大部分をマイナーで過ごしている。なお現役時代の本職は外野手であったが、メジャーでは一塁手での出場が最も多かった。
1977年、ツインズ傘下のAAA級タコマ・ツインズで選手兼任の監督となった。この時27歳の若さであった。「君はリーダーの素質がある。きっといい監督になれる」と勧められて転向したが、1979年からは3年連続でパシフィックコーストリーグの最優秀監督賞を受賞した。同時期にシカゴ・ホワイトソックスで監督を務めていたトニー・ラルーサは「彼は知名度はないが、将来は大リーグをリードする存在になる」と断言していた[要出典]。
1983年にはツインズの三塁コーチに抜擢され、1986年9月12日には解任されたレイ・ミラーの後を受けて監督に就任した。この年の最終戦[2]終了後、スタンドのファンに向かって「今年は残念な結果に終わりましたが、来年ここ(当時本拠地のメトロドーム)にワールドシリーズを持ってきます」と宣言し、翌1987年にアメリカンリーグ優勝を果たして本当にワールドシリーズを戦うことになった。そのワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを破って世界一にも輝いた[1]。
1991年にはアトランタ・ブレーブスとの史上初の”前年最下位同士”となったワールドシリーズを制し、2度目のシリーズ優勝を経験した[3]。
1992年には日米野球でMLB選抜の監督を務めている。その後はチームの緊縮財政もあって今ひとつのシーズンが続くが、その間にトリー・ハンター、ジャック・ジョーンズ、クリスチャン・グーズマン、コーリー・コスキー、ダグ・ミントケイビッチ、ラトロイ・ホーキンス、エリック・ミルトンらの2000年代前半のツインズを支える面々が育ち、最終年の2001年には9年ぶりのシーズン勝ち越し(85勝77敗で2位)を記録した。

ミネソタ・ツインズの永久欠番に2012年指定。
2012年1月26日、古巣ツインズはケリー在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定したい旨を示した[4]。この年の9月8日にケリーを本拠地ターゲット・フィールドに招いてセレモニーが催され、正式に永久欠番に指定された[5]。