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ドイツ連邦

19世紀のヨーロッパに存在した国家連合 From Wikipedia, the free encyclopedia

ドイツ連邦(ドイツれんぽう)またはドイツ同盟(ドイツどうめい、ドイツ語: Deutscher Bund)は、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の領邦と4つの帝国自由都市との連合体である。1815年のウィーン議定書に基づいてオーストリア帝国を盟主として発足し、1866年の普墺戦争でのプロイセン王国の勝利をもって解消された。

概要 ドイツ連邦, 言語 ...
ドイツ連邦
Deutscher Bund (ドイツ語)
ドイツの位置
1820年のドイツ連邦
二大国のオーストリア帝国(黄)とプロイセン王国(青)は連邦の国境線(赤)外にも領土を有している。
言語 ドイツ語
イタリア語
低地ドイツ語
チェコ語
スロベニア語
ポーランド語
リンブルフ語
宗教 カトリック
プロテスタント
首都 フランクフルト
連邦議会議長国の元首
1815年 - 1835年 オーストリア皇帝フランツ1世
1835年 - 1848年 オーストリア皇帝フェルディナント1世
1848年 - 1849年 オーストリア大公ヨハン
(ドイツ帝国 (1848年-1849年)摂政)
1849年 - 1850年 プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
1850年 - 1866年 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
変遷
発足 1815年6月8日
3月革命勃発 1848年3月13日
オルミュッツ協定成立 1850年11月29日
普墺戦争勃発 1866年6月15日
プラハ条約 1866年8月23日
通貨 フェアアインスターラー
現在 ドイツの旗 ドイツ
 オーストリア
ポーランドの旗 ポーランド
 チェコ
オランダの旗 オランダ
ベルギーの旗 ベルギー
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
クロアチアの旗 クロアチア
イタリアの旗 イタリア
スロベニアの旗 スロベニア
リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン
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概要 オーストリアの歴史, 先史時代から中世前半 ...
オーストリアの歴史
オーストリアの国章
この記事はシリーズの一部です。
先史時代から中世前半
ハルシュタット文化
属州ノリクム
マルコマンニ
サモ王国
カランタニア公国
オーストリア辺境伯領
バーベンベルク家、ザルツブルク大司教領、ケルンテン公国、シュタイアーマルク公国
小特許状
ハプスブルク時代
ハプスブルク家
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国
ハプスブルク君主国
オーストリア帝国
ドイツ連邦
オーストリア=ハンガリー帝国
第一次世界大戦
サラエヴォ事件
第一次世界大戦
両大戦間期
オーストリア革命
ドイツ=オーストリア共和国
第一共和国
オーストリア連邦国
アンシュルス
第二次世界大戦
ナチズム期
第二次世界大戦
戦後
連合軍軍政期
オーストリア共和国
関連項目
ドイツの歴史
リヒテンシュタインの歴史
ハンガリーの歴史

オーストリア ポータル
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ドイツ連邦内の各領邦と帝国自由都市(ドイツ語)。
フランクフルトに集まった各加盟諸邦の君主たち(1863年)。

ドイツ連邦はあくまでも複数の主権国家の連合体、つまり国家連合(Staatenbund)であり、連邦国家(Bundesstaat)でない。そのため、「ドイツ連合」や「ドイツ国家連合」などとも訳される(下記「訳語」の項目を参照)。

歴史

ドイツ連邦はライン同盟の解体を受け、ウィーン会議を経て1815年6月8日のドイツ連邦規約に基づいて成立した。オーストリア帝国(連邦議会議長)、プロイセン王国、4つの帝国自由都市(リューベック、フランクフルト、ブレーメン、ハンブルク)など39の領邦が同盟を構成した。なお、旧神聖ローマ帝国の領域を範囲としたため、オーストリアおよびプロイセンの領土は連邦の内と外にまたがっていた。

それまで神聖ローマ皇帝が司ってきたドイツ全体に関わる懸案の審議と議決を目的に、フランクフルトに連邦議会(ドイツ語版)(Bundestag des Deutschen Bundes あるいは Bundesversammlung)が常設された。軍隊、警察、関税は構成国の主権に属した。連邦議会の議員は諸邦の普通選挙で選ばれた官吏、大学教員等の市民階級の代表が務めた。プロイセンのビスマルクもその一人であった。

1848年の三月革命によって存続を危ぶまれたが、1849年に復活した。しかし、1866年の普墺戦争に勝利したプロイセンはドイツ連邦を解消、翌1867年プロイセンは北ドイツ連邦を成立させ、ドイツ統一の主導権を握り、後のドイツ帝国の母体とした。

加盟諸邦

連邦議会で4票を有する

連邦議会で3票を有する

連邦議会で2票を有する

連邦議会で1票を有する

ドイツ連邦の旗

法律の草案

ドイツ連邦は国家連合であり、連邦国家では無いので統一された旗は存在しなかった。1848年11月、ドイツ帝国のフランクフルト国民議会で採択した(帝国法(英語版))黒、赤、金の国旗が、そのままドイツ連邦にも引き継がれた。

訳語

Deutscher Bund はアメリカ合衆国のような連邦国家ではなく、国家の緩やかな連合体(国家連合)であるため、「ドイツ連邦」という訳語は問題があるとする考えもある。連邦国家でないものを「ドイツ連邦」と称するのは本来的にミスリーディングであり、「ドイツ同盟」と訳すほうが望ましいとする[1]。また、訳語に用いられるほかの例としては、「ドイツ連合」[2]や「ドイツ国家連合」[3]などがある。

脚注

関連項目

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