ドラムタップス
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ドラムタップス(英語: Drum Taps、1986年3月24日 - 2010年3月15日?)は、アメリカ合衆国生産の競走馬である。主な勝ち鞍はゴールドカップ(1992年・1993年)。カルティエ賞最優秀ステイヤー(1992年)。
| ドラムタップス | ||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 欧字表記 | Drum Taps | |||||||||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド | |||||||||||||||||||||||
| 性別 | 牡 | |||||||||||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛 | |||||||||||||||||||||||
| 生誕 | 1986年3月24日 | |||||||||||||||||||||||
| 死没 | 2010年3月15日? | |||||||||||||||||||||||
| 父 | Dixieland Band | |||||||||||||||||||||||
| 母 | Lavendula Rose | |||||||||||||||||||||||
| 母の父 | Le Levanstell | |||||||||||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | William Powell & Bates Newton | |||||||||||||||||||||||
| 馬主 |
William Stamps Farish III→ Lord Carnarvon→ 浅川吉男 | |||||||||||||||||||||||
| 調教師 |
Dick Hern( Neil Howard( Lord Huntingdon( | |||||||||||||||||||||||
| 競走成績 | ||||||||||||||||||||||||
| 生涯成績 | 31戦15勝[1] | |||||||||||||||||||||||
| 獲得賞金 | £620,470 | |||||||||||||||||||||||
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来歴
ドラムタップスはアメリカ合衆国ケンタッキー州で生産され、ウィリアム・ファリシュの所有となった。
当初はイギリスのバークシャー州ウェストイルズリーにあるディック・ハーン厩舎で調教を受け、3歳時にデビューした。その後、2年近くアメリカ合衆国に移籍していたが、最も成功を収めたのは5歳時に再びイギリスに戻ってからである。
競走馬時代
3歳(1989年)
3歳の8月になって初めてウインザー競馬場の競走でデビューし、2着。
12日後、サンダウン競馬場の競走で1位入線したものの、進路妨害により降着となった。
続いて出走したリポン競馬場の競走において5馬身差で勝利し、アスコット競馬場とニューカッスル競馬場のハンデキャップ競走でもそれぞれ勝利して3連勝となった[2][3]。
その後、ファリシュはドラムタップスをアメリカ合衆国のニール・ハワード厩舎に移籍させた。移籍後初戦となった12月のコールダー競馬場の競走でも勝利を収めた。
4歳(1990年)
4歳初戦となる1月のカルダー競馬場でのWLマクナイトハンデキャップで重賞初制覇を果たし、1敗を挟んで7月のアーリントンパーク競馬場でのローレンスアーマーハンデキャップで重賞2勝目を制した。
5歳(1991年)
同年前半には4戦し、2戦目となるガルフストリームパーク競馬場でのノーブルダンサーハンデキャップでは2着に入り、4戦目となる4月のキーンランド競馬場での競走では勝利した。
その後、カーナーヴォン卿に購入されてイギリスのヘイスティングズ卿の厩舎に移籍した。
移籍初戦となる8月のニューベリー競馬場で行われたジェフリーフリアステークスでは、残り1ハロンで先頭に立ち、2馬身半差で勝利した[5]。このレースで初めて鞍上となったのがランフランコ・デットーリであり、その後の14戦のうち10戦においても鞍上となっている。
1ヶ月後、アスコット競馬場でのカンバーランドロッジステークスに出走し、残り1ハロンで一旦先頭を譲ったが盛り返してロックホッパーやヤングバスターを破って勝利[6]。
10月にはミラノのサンシーロ競馬場で行われるG1のジョッキークラブ大賞に出走したが、パッシングセールに僅かに及ばず2着。
続いてジャパンカップに出走したが、ゴールデンフェザントが勝利する中で11着に終わった。
その後、ドラムタップスは協和牧場の創業者としても知られる浅川吉男に購入された。
6歳(1992年)
同年は本格的に長距離路線に向かうこととなり、6歳初戦は再び遠征して4月の3100メートル戦であるミラノ金杯に出走すると3馬身半差で勝利[7]。
その1ヶ月後にはサンダウン競馬場のヘンリー2世ステークスに出走し、アルカディアンハイツに1馬身半差で勝利[8]。
続いてロイヤルアスコット開催の2.5マイル戦であるゴールドカップに出走すると、他の重賞勝ち馬がフランスから遠征したタージョンとマードニウスのみであったこともあり、デットーリ鞍上で単勝2.75倍の1番人気に支持された。先頭集団の直後につけ、最後の直線で先頭に立つと力強く伸びてアルカディアンハイツに2馬身差で勝利[9]。なお、ゴール前でアルカディアンハイツがドラムタップスに噛みつこうとする珍事があり、同馬は、以降のレースでの口輪の着用を義務付けられた[10]。
ここまでの3戦は良馬場で勝利していたが、以降は重馬場が続いた。前走から2ヶ月後、ドーヴィル競馬場のケルゴルレイ賞で1番人気に支持されたが、牝馬のソートアウトに完敗して2着。
その1ヶ月後のカラ競馬場で行われたアイリッシュセントレジャーでは、直線で粘ったものの、マシャアッラーとスナージに次ぐ3着。
続くロンシャン競馬場のカドラン賞でも、再びソートアウトに敗れて2着[11]。
同年のドラムタップスはカルティエ賞最優秀ステイヤーに選出された。
7歳(1993年)
7歳初戦は4頭立てのミラノ金杯に出走し、重馬場ながらも7馬身差で勝利[12]。
続いてゴールドカップに出走し、タージョンやアルカディアンハイツに加え、ヴィンテージクロップ、ソートアウト、ファーザーフライト、アセッサーといった前年より有力なステイヤーが参戦する中で、デットーリ鞍上のドラムタップスは単勝7.5倍に支持された。残り4ハロンで先頭に立つも直線でアセッサーに一旦交わされたが、激しい競り合いの中で力強く伸びて残り1ハロンで再び先頭に立ち、そのまま後続を突き放して3馬身差で勝利[13]。レース後、デットーリは「これまで騎乗した中で最も闘志あふれる馬」であると語り、一時的に先頭を譲った際にも全く不安はなかったと主張した。調教師のハンティンドン卿も「素晴らしい馬」と評し、メルボルンカップへの出走計画を明らかにした[14]。
続いて距離を短縮して7月の1.5ハロン戦であるキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走すると、10頭立てでオペラハウスの5着と健闘した。
9月のアイリッシュセントレジャーでは、ゴールドカップで完勝したヴィンテージクロップやアセッサーの後塵を拝して5着に終わった。
更に計画通り当時は珍しかったオーストラリア遠征を行い、メルボルンカップに出走すると注目を集めたが[15]、ヴィンテージクロップの9着に終わり、これを最後に引退した。
デットーリ騎手は自伝の中で、ドラムタップスを「百戦錬磨の闘士」であり、お気に入りの馬の1頭であると評した[16]。
ジョン・ランドールとトニー・モリスは、タイムフォームのレーティングを基にした著書"A Century of Champions"において、ドラムタップスをゴールドカップの下位の勝ち馬と評した[17]。
種牡馬時代
血統表
| 父系 | ノーザンダンサー系 [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Dixieland Band1980 鹿毛 |
父の父 Northern Dancer1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
| Lady Angela | ||||
| Natalma | Native Dancer | |||
| Almahmoud | ||||
父の母 Mississippi Mud1973 鹿毛 |
Delta Judge | Traffic Judge | ||
| Beautillon | ||||
| Sand Buggy | Warfare | |||
| Egyptian | ||||
母 Lavendula Rose1968 鹿毛 |
Le Levanstell 1957 鹿毛 |
Le Lavandou | Djebel | |
| Lavande | ||||
| Stella's Sister | Ballyogan | |||
| My Aid | ||||
母の母 Inquisitive Rose1952 鹿毛 |
Grand Inquisitor | His Reverence | ||
| High Prestige | ||||
| Rosemary's Queen | Snake Lightning | |||
| Princess Rose | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 6-b) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | なし [§ 4] | |||
| 出典 | ||||
- 父はディキシーランドバンドは、ノーザンダンサー産駒で1983年にペンシルベニアダービーを制し、レーンズエンドファームなどで種牡馬として供用された。ヨーロッパにおける代表産駒としてはドラムタップスの他に、ディアヌ賞勝ち馬で凱旋門賞2着のエジプトバンドが挙げられる[22]。
- 母ラヴェンデュラローズはイギリス産馬[23]。