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ノーザンダンサー

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欧字表記 Northern Dancer
性別 牡
ノーザンダンサー
欧字表記 Northern Dancer
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1961年5月27日
死没 1990年11月16日(29歳没)
父 Nearctic
母 Natalma
母の父 Native Dancer
生国 カナダの旗 カナダ
生産者 Edward P.Taylor
馬主 Windfields Farm
調教師 T.Flaming(カナダ)
→Horatio A.Luro(カナダ→アメリカ)
競走成績
生涯成績 18戦14勝
獲得賞金 580,806ドル
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ノーザンダンサー (英:Northern Dancer)はカナダの競走馬・種牡馬。1964年にカナダ産馬として初めてケンタッキーダービーを制した。種牡馬としては20世紀で最も成功した一頭であり、その影響は世界中に及んでいる。

カナダの象徴とされ、1965年にはカナダのスポーツ殿堂入りを果たしている。その後、1976年にはカナダとアメリカの両方で競馬の殿堂入りを果たした。『ブラッド・ホース』誌の20世紀の米国サラブレッド競走馬トップ100にランクインしている。

2歳時に、カナダのサマーステークスとコロネーションフューチュリティ、ニューヨークのレムセンステークスを制し、カナダチャンピオン2歳牡馬となった。

3歳になると、フラミンゴステークス、フロリダダービー、ブルーグラスステークスを制し、ケンタッキーダービーの有力候補となった。ケンタッキーダービー、プリークネスステークスを制し二冠馬となったが、ベルモントステークスで3着に終わり三冠を逃した。その後、カナダに戻ったノーザンダンサーはクイーンズプレートを制し、結果的にこれが最後のレースとなった。

1965年に、カナダのオンタリオ州オシャワにあるウィンドフィールズファームで種牡馬となった。1968年に初年度の産駒が競走馬になるとすぐに成功し、2年目にはイギリスの三冠馬ニジンスキー輩出するなど、ノーザンダンサーの名は国際的に知られるようになった。その後、ウインドフィールズファームのメリーランド支部に移籍し、当時最も注目された種牡馬となった。

種牡馬としては北米の枠を超えて世界レベルで成功、20世紀中最も成功した一頭である。Thoroughbred Timesの調査[1]ではセントサイモンに次ぐ2位の遺伝的影響力を持つと報告された。

サンデーサイレンスのSSと同様に、種牡馬系統を中心にNDと略される事がある[2]。

誕生

1961年にカナダ・オンタリオ州南部のウインドフィールズファームで生まれた。生産者はビール醸造で富を築いた富豪で、当時のカナダ最大手のサラブレッド生産者でもあったエドワード・プランケット・テイラーである。

父のニアークティックは、テイラーがニューマーケットで行われたセリ市で落札した繁殖牝馬レディアンジェラが受胎していた馬で、ウインドフィールズファームの最高傑作と呼ばれた[3]。母のナタルマは、1958年にテイラーがサラトガで行われた2歳馬のセリ市で35,000ドルで購入した牝馬である。1960年春に骨折のため競走馬を引退して繁殖入りし、6月にニアークティックと交配された。

翌年5月27日、ナタルマは鹿毛の牡馬を出産した。テイラーはこの仔馬を高く評価し25,000ドルという高値で売り出したが、遅生まれの上に小柄であったことが災いして買い手が付かず、テイラーが所有することになった(名義はウインドフィールズファーム)。テイラーは、父ニアークティック(新北区)、母の父ネイティヴダンサー(先住民の踊り子)よりノーザンダンサーという名前をこの馬に付けた。ノーザンダンサーはデビューする頃になっても発育が悪く、体高は最高で15.2ハンド(約154.4cm)にしかならなかった。

競走馬時代

1963年、フォートエリー競馬場のメイドン(未勝利戦)でデビュー。初戦を2着馬に7馬身の着差をつけて優勝するなど、同競馬場で3戦2勝の成績を収めた後にウッドバイン競馬場へと転戦、同競馬場でカナダ最大の2歳戦であるコロネーションフューチュリティを6馬身差で圧勝するなど、3戦2勝の成績を残した。その後グリーンウッド競馬場で1勝してアメリカ合衆国へ移動し、ニューヨーク州のアケダクト競馬場で2戦2勝の成績を挙げた。この年の成績は9戦7勝で、カナダの最優秀2歳馬に選出された。なお、最終戦となった11月のレムゼンステークスの前に発見された裂蹄がレース後悪化し、治療と休養のために気候の温暖なフロリダ州へ移送された。

1964年、ノーザンダンサー陣営は戦いの場をアメリカに設定した。2月10日の復帰初戦は敗れたがその後は連勝を重ね、フロリダダービー、ブルーグラスステークスなどのプレップレースを優勝。2番人気でアメリカ三冠競走第1戦のケンタッキーダービーに出走。レース半ばで先頭に立つと、1番人気ヒルライズの追撃をクビ差凌いで優勝した。優勝タイムの2分フラットは当時のレースレコードであった。続いて三冠第2戦のプリークネスステークスに出走。ここでも人気は2番人気であったが、2、3番手を進み直線の前で先頭に立つレース運びで2着馬に2馬身1/4の着差をつけ二冠を達成した。この年はベルモントパーク競馬場が工事中であったため、アメリカ三冠のかかったベルモントステークスはアケダクト競馬場にて行われた。このレースで1番人気に支持されたノーザンダンサーは最後の直線で伸びあぐね、優勝したクァドラングルから6馬身差の3着に敗れた。

ベルモントステークス出走後、カナダへ凱旋しクイーンズプレート(カナダにおけるダービーに相当)に出走。2着馬に7馬身半の着差をつけて優勝した。陣営は次の目標をアメリカのトラヴァーズステークスに据えたが、調教中に左前肢に屈腱炎を発症していることが判明し、引退を決断した。この年のノーザンダンサーの成績は9戦7勝で、満票でカナダの年度代表馬に、そしてアメリカでも最優秀3歳牡馬に選出された。

種牡馬時代

ノーザンダンサーが生まれた1961年は、日本ではシンザン、アメリカではレイズアネイティヴが生まれた年でもある。当時の競馬界はナスルーラ系、セントサイモン系、ハイペリオン系等が勢力を競っていた状態で絶対的な主流は存在せず、ノーザンダンサーの父ニアークティックも主流の一角ネアルコ系の枝の一つにすぎなかった。

引退後種牡馬となり、4年間ウインドフィールズファームで繋養された。初年度種付料は1万ドルであった。ノーザンダンサーはカナダのみならずアメリカの生産者からも高い人気を集め、1969年にウインドフィールズファームからメリーランド州にある、テイラーがアメリカで出走する所有馬の調教のために作った牧場(ウインドフィールズファームメリーランド支場)へと移動した。

ノーザンダンサーは2年目の産駒から、イギリスクラシック三冠馬となるニジンスキーを送り出し、その後も英愛ダービー優勝馬ザミンストレルなど146頭のステークス競走優勝馬を輩出した。産駒はヨーロッパでの活躍が目立ち、イギリスのリーディングサイアーを4回(1970年、1977年、1983年、1984年)獲得した。アメリカのリーディングサイアーは2度(1971年、1977年)獲得している。さらに産駒の中から種牡馬として成功するものが多く現れると(主要国でリーディングサイアーとなった産駒はサドラーズウェルズを筆頭に9頭。これはセントサイモンの8頭を上回る)、その人気はますます高まった。1970年代後半から続いた種付け料・シンジケート価格・セリ市における2歳馬の取引価格などの高騰の波にも乗り、1984年には2歳産駒のセリ市での落札価格が平均約332万ドルに、1985年には種付け料が公示価格で95万ドル(当時のレートで2億円以上、実際にはこれ以上の価格で取引されたとされる)に達し、ノーザンダンサーバブルと呼べる現象が起こった。絶頂期のノーザンダンサーは「ノーザンダンサーの精液は文字通り金と同じ価値がある」と言われた[4]。日本でもノーザンテーストがリーディングサイアーを10回獲得するなど大きな成功を収め、牡の産駒が種牡馬として次々に輸入された。

1987年に、受胎率が著しく低下したことにより交配シーズン途中で種牡馬を引退し、余生をノーズビュースタリオンステーション(ノーザンダンサーの種牡馬引退後ウインドフィールズファームメリーランドから改称)で過ごした。1990年11月16日早朝、疝痛を発症して苦しんでいるのが発見され、安楽死の処置がとられた。ノーザンダンサーの遺体はカナダのウインドフィールズファームに埋葬された。1992年7月にはウッドバイン競馬場に銅像が建てられた。

競走成績

以下の内容は、Racing Post[5]、JRA-VAN Ver. World[6]の情報に基づく。

競走日競馬場競走名距離(馬場)頭数着順タイム着差騎手斤量
[kg]
1着馬(2着馬)
1963.8.3 フォートエリー 未勝利戦 ダ1100m(良) 8 1着 1:06.2 6 3/4馬身 R.ターコット 51.5 (Ncub)
8.17 フォートエリー ヴァンダルS ダ1300m(良) 11 2着 - 4馬身 P.ボウエンコ 49.5 (Ramblin Road)
8.24 フォートエリー サマーS 芝1600m(重) 7 1着 1:43.4 1 1/4馬身 P.ボウエンコ 52 (Slitherng Sm)
9.28 ウッドバイン カップ&ソーサーS 芝1700m(良) 16 2着 - 3/4馬身 R.ターコット 56 Grand Garcon
10.7 ウッドバイン ブロアーデールパース ダ1660m(良) 6 1着 1:42.0 1馬身 R.ターコット 55.5 (Northern Flight)
10.12 ウッドバイン コロネーションフューチュリティ ダ1800m(良) 15 1着 1:51.0 6 1/4馬身 R.ターコット 55.5 (Jammed Lovely)
11.6 グリーンウッド カールトンS ダ1400m(重) 6 1着 1:27.6 2 1/2馬身 J.フィッツシモンズ 55.5 (Northern Flight)
11.18 アケダクト サーゲイロードパース ダ1600m(良) 6 1着 1:36.0 8馬身 M.イカザ 56 (Bupers)
11.27 アケダクト レムゼンS ダ1600m(良) 6 1着 1:35.6 2馬身 M.イカザ 56 (Lord Date)
1964.2.10 ハイアリア 条件戦 ダ1200m(良) 7 3着 - 2馬身 B.ユーザリー 55.5 Chieftain
3.3 ハイアリア フラミンゴS ダ1800m(良) 11 1着 1:47.8 2馬身 W.シューメイカー 55.5 (Mr.Brick)
3.28 ガルフストリーム 条件戦 ダ1400m(良) 7 1着 1:22.4 4馬身 M.イカザ 55.5 (The Scoundrel)
4.4 ガルフストリーム フロリダダービー ダ1800m(良) 8 1着 1:50.8 1馬身 W.シューメイカー 55.5 (The Scoundrel)
4.23 キーンランド ブルーグラスS ダ1800m(良) 5 1着 1:49.8 1/2馬身 W.ハータック 57 (Allen Adair)
5.2 チャーチルダウンズ ケンタッキーダービー ダ2000m(良) 12 1着 R2:00.0 クビ差 W.ハータック 57 (Hill Rise)
5.16 ピムリコ プリークネスS ダ1900m(良) 6 1着 1:56.8 2 1/4馬身 W.ハータック 57 (The Scoundrel)
6.6 アケダクト ベルモントS ダ2400m(良) 8 3着 - 6馬身 W.ハータック 57 Quadrangle
6.20 ウッドバイン クイーンズプレート ダ2000m(良) 8 1着 2:02.2 7馬身 W.ハータック 57 (Langcrest)
  • 競走名のSはステークスの略。
  • タイム欄のRは、レコード勝ちを示す。

種牡馬成績

  • 1970、1977、1983、1984年イギリス・アイルランドリーディングサイアー、1971、77年アメリカリーディングサイアー(欧州賞金も加算したブラッドホース統計。ただし、北米集計のみでのサラブレッドデイリータイムズ集計ではドクターフェイガーが1位である)
  • 1991年アメリカリーディングブルードメアサイアー
  • 産駒数:635頭
  • 出走産駒:511頭
  • 勝ち上がり:389頭(61%)
  • ステークスウイナー:147頭(23%)

主な産駒

生年年 名前 性別 主な勝利/実績
1966 Cool Mood 牝 カナディアン・オークス。ウィズアプルーヴァルとタッチゴールドの母の母
1966 Dance Act 騸 カナダのハンデ戦チャンピオン(1970, 1971) - ジョッキークラブカップ、ドミニオンデイハンデ、フェアプレイステークス、シーグラムカップ
1966 One for All 牡 カナダの芝馬チャンピオン(1970年) - サンセットハンディキャップ、パンアメリカンハンディキャップ、カナディアンインターナショナル
1966 Viceregal 牡 カナダ年間最優秀馬(1968年) - コロネーション・フューチュリティ、カップ&ソーサー・ステークス、サマー・ステークス
1967 ファンフルルーシュ 牝 カナダ年間最優秀馬(1970年) - アラバマステークス、ナタルマステークス、バイソンシティステークス
1967 ニジンスキー 牡 イギリスの年度代表馬(1970年) - イギリス三冠、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、アイリッシュダービー、デューハーストステークス、英愛1986年リーディングサイアー
1968 Alma North 牝 コティリオン・ステークス、マッチメーカー・ハンディキャップ
1968 Lauries Dancer 牝 カナダ年間最優秀馬(1971年) - アラバマ・ステークス、デラウェア・オークス、カナディアン・オークス、バイソン・シティ・ステークス
1968 Minsky 牡 アイルランド最優秀2歳馬(1970年) - ベレスフォード・ステークス、レイルウェイ・ステークス
1969 リファール 牡 ジャック・ル・マロワ賞、フォレ賞、仏1978,79、米1986年リーディングサイアー
1969 ナイスダンサー 牡 カナダチャンピオン3歳牡馬(1972年) - ブリーダーズステークス、マニトバダービー
1971 ノーザンテースト 牡 フォレ賞、日1982-92年リーディングサイアー
1972 Broadway Dancer 牝 フランス2歳牝馬チャンピオン(1974年)-モルニ賞
1972 Dancers Countess 牝 マッチメーカー・ステークス
1974 Dance in Time 牡 カナダチャンピオン3歳牡馬(1977年) - プリンス・オブ・ウェールズ・ステークス、ブリーダーズ・ステークス
1974 Giboulee 牡 カナダの古馬チャンピオン(1978年) - ドミニオンデーハンデ、ヴァージルハンデ
1974 Northernette 牝 カナダの2歳牝馬チャンピオン(1976年)および3歳牝馬チャンピオン(1977年) - マザリンステークス、カナディアンオークス、セレネステークス、アップルブロッサムハンデキャップ、トップフライトハンディキャップ
1974 ザミンストレル 牡 イギリス年間最優秀馬(1977年) - エプソムダービー、アイリッシュダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、デューハーストステークス
1975 トライマイベスト 牡 イギリス・アイルランド最優秀2歳馬(デューハースト・ステークス
1975 White Star Line 牝 ケンタッキーオークス、デラウェア・オークス、アラバマ・ステークス
1976 Northern Baby 牡 チャンピオンステークス
1977 ヌレイエフ 牡 フランスのチャンピオン・マイラー(1980年) - ジェベル賞。2000ギニーでは1着だったが失格となった。
1977 ダンジグ 牡 体質の弱さから3歳の早い時期に引退したが、種牡馬としてグリーンデザートやデインヒルなどを輩出した。
1978 ストームバード 牡 イギリスとアイルランドの2歳馬チャンピオン(1980年) - デューハースト・ステークス、ナショナル・ステークス
1979 Dance Number 牝 ベルデイムステークス 、リズムの母
1979 Woodstream 牝 アイルランドの2歳牝馬チャンピオン(1981年) - モイグレアスタッドステークス、チェヴァリーパークステークス
1980 Danzatore 牡 アイルランドの2歳牡馬(1982年) - ベレスフォード・ステークス
1980 Hero's Honor 牡 ボウリンググリーンハンディキャップ、ユナイテッドネイションズハンディキャップ
1980 Lomond 牡 2000ギニーステークス
1980 シャリーフダンサー 牡 アイルランド・ダービー、キング・ジョージ6世&クイーン・エリザベス・ステークス
1980 Spit Curl 牝 アラバマ・ステークス
1981 エルグランセニョール 牡 2歳(1983年)および3歳(1984年)のイギリスチャンピオンの仔馬 - 2000ギニー、アイルランドダービー、デューハーストステークス、ナショナルステークス
1981 Northern Trick 牝 フランス3歳牝馬チャンピオン(1984年)-ディアヌ賞、ヴェルメイユ賞
1981 サドラーズウェルズ 牡 フランスチャンピオン・マイラー(1984年) - アイリッシュ2000ギニー、エクリプスステークス、アイリッシュチャンピオンステークス、仏1990,93,94,英愛92-2004年リーディングサイアー
1981 セクレト 牡 アイルランドチャンピオンコルト(1984年) - エプソムダービー
1982 Northern Aspen 牝 ゲームリーハンディキャップ
1983 Tate Gallery 牡 ナショナル・ステークス
1984 Ajdal 牡 イギリスおよびフランスのチャンピオンスプリンター(1987年) - デューハースト・ステークス、ジュライカップ、ウィリアム・ヒル・スプリント・チャンピオンシップ、ヴァーノン・スプリント・カップ

血統

血統表

ノーザンダンサーの血統(ニアークティック系 / Gainsborough4×5=9.38%)(血統表の出典)
父

Nearctic 1954 黒鹿毛
カナダ
父の父
Nearco
1935 黒鹿毛
イタリア
Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
父の母
Lady Angela
1944 栗毛
アイルランド
Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
母

Natalma
1957 鹿毛
アメリカ
Native Dancer
1950 芦毛
アメリカ
Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
母の母
Almahmoud
1947 栗毛
アメリカ
Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose F-No.2-d

近親

  • ノーザンネイティヴ - 全弟。種牡馬として日本へ輸出。
  • トランスアランティック - 全弟。種牡馬として日本へ輸出。
  • ヘイロー - 祖母アルマームードの孫。
  • ファーザーズイメージ - 祖母アルマームードの孫。種牡馬として日本へ輸出。

脚注

参考文献

外部リンク

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