1942年11月22日、解散した第11軍の司令部を主幹として創設、司令官にはエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥が任命された。
戦力として、第6軍の予備部隊の第62・294・336歩兵師団、本国から第11装甲師団、フランス駐屯の第6装甲師団が配備された。
マンシュタインはルーマニア第3軍が撃破されたことにより生じた戦線の崩壊を食い止めるために、ドン川周辺の戦線の再構築を行った。またルーマニア第3軍は参謀、ヴァルター・ヴェンク大佐(当時)がありとあらゆる部隊の再編成を行い、チル川南岸の戦線を安定させた。そのため、ドン軍集団は第6軍の救出に専念することが可能となっていた。
しかし、ヒトラーはドン軍集団の示していた二つの作戦「冬の嵐作戦(第6軍がスターリングラードを保持しつつ、ドン軍集団が包囲網を突破する作戦)」「雷鳴作戦(第6軍がスターリングラードを放棄して包囲を突破する作戦)」のうち、スターリングラードを放棄する雷鳴作戦の発動を拒んだ。そのため、第6軍が救出される可能性は潰えたのであった。
1943年2月12日、ドン軍集団はB軍集団と統合され、新たに南方軍集団へと改編されて消滅した。