ナンダ朝
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マガダ国ではシシュナーガ朝が栄えていたが、ある時マハーパドマ(もしくはウグラセーナ)という出自のよく分からない人物によって滅ぼされた。そしてマハーパドマは新たにナンダ朝を開いた。多分に伝説的な時代のことであるがナンダ朝の実在は種々の考古学史料から確かめられる。
マハーパドマはプラーナ文献によればマハーナンディンとシュードラの女との間に生まれた。ジャイナ教の伝説によればナンダ朝最初の王は理髪師と娼婦の間の子であるといい、ローマ人クルティウスの記録では理髪師と王妃の間の子供であったとされる。いずれにせよナンダ朝の始祖が低いカーストの出身であったことは後代まで記憶された。なお、『マハーボーディヴァンサ』では初代の王名はウグラセーナとされている。
プラーナ文献によると権力を握ったマハーパドマは「全てのクシャトリアを絶滅させ、唯一の王として統一した。」という。これはイクシュヴァーク国、ハイハヤ国、カリンガ国、アシマカ国(Aśmaka)、シューラセーナ国などを征服したという彼の事跡に対応するものであると考えられる。ギリシア人の記録でも、アレクサンドロス大王の時代、インドはパータリプトラの1人の王によって統治されていたとある。ナンダ朝の支配がインドの広範囲にわたっていたことは考古学的に確認されているが、その正確な勢力範囲はよくわかっていない。後世のカリンガ国の伝承やクンタラ地方(デカン高原西部)の伝承や碑文にはナンダ王の支配に言及するものがある。
プラーナ文献では最初のナンダ王(マハーパドマ、もしくはウグラセーナ)は88年間統治し、彼に8人の子がいてそれぞれ12年ずつ統治したとなっている。しかし写本などの研究からこれが28年間の誤りであると考えられており、また他の文献もそれぞれ相違していてはっきりしない。第2代の王は初代王の長子スカルパであったとされているが、総じてその歴史は不明瞭である。歴代王名は文献によって異なり、プラーナ文献ではマハーパドマとスカルパ以外の王名は記録されていない。『マハーボーディヴァンサ』には初代ウグラセーナを含めて9人の王が、『マハーヴァンサ』には最後の王の名としてダナナンダの名が記録されている。
前317年頃、思想家カウティリヤの補佐を得てインド北西部でチャンドラグプタが挙兵した。ダナナンダ王は将軍バッサダーラ(Bhadrasala)に鎮圧を命じたが打ち破られ、首都パータリプトラも陥落してナンダ朝は滅亡した(ナンダ朝の滅亡)。その後チャンドラグプタは新たにマウリヤ朝を起こした。なお、プラーナ文献ではバラモンであるカウティリヤが8人の王全てを殺したとある。