ニコ・ハリソン
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 生年月日 | 1972年12月28日(52歳) |
| 出身地 |
|
| 身長 | 196cm (6 ft 5 in) |
| キャリア情報 | |
| 高校 | タイガード高等学校 |
| 大学 |
陸軍士官学校 モンタナ州立大学 |
| NBAドラフト | 1996年 / ドラフト外 |
| プロ選手期間 | 1996年–2001年 |
| ポジション | F |
| 経歴 | |
| 選手時代: | |
| 1996–1997 | |
| 1997–1998 | ブラックヒルズ・ポッセ |
| 1998–2000 | |
| エグゼクティブ時代: | |
| 2021–2025 | ダラス・マーベリックス (GM) |
| 受賞歴 | |
|
選手時代 | |
ニコ・タイロン・ハリソン(Nico Tyrone Harrison, 1972年12月28日- )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、エグゼクティブ。NBAのダラス・マーベリックスにおいて、バスケットボール運営部長およびゼネラルマネージャー(GM)を務めていた。
大学時代は陸軍士官学校およびモンタナ州立大学でプレーし、卒業後はベルギー、日本、レバノンなどで5年間のプロキャリアを送った。その後、ナイキ社で19年間勤務し、北米バスケットボール部門副社長まで昇進。2021年にNBAフロント入りし、マーベリックスのGMに就任した。 2025年には、ルカ・ドンチッチをロサンゼルス・レイカーズに放出してアンソニー・デイビスを獲得するトレードを成立させたことで、NBA史上でも特に物議を醸した人物となった。
1972年12月28日、ワシントン州シアトルにスティーブ・ハリソンとクリスティ・ハリソン(旧姓マルティネス)の間に生まれる。5人兄弟の4番目で、両親の離婚後はスポケーンとオレゴン州タイガードを行き来しながら育った。 幼少期はアメリカンフットボールとバスケットボールの両方を行っていたが、高校入学時にバスケットボールに専念。タイガード高等学校でプレーした。
大学時代
高校時代に度重なる怪我を負ったが、唯一リクルートを続けたアメリカ陸軍士官学校へ進学。1991–92年シーズンは平均9.7得点・3.8リバウンドを記録[要出典]し、パトリオット・リーグの新人チームに選出された。 その後、1992年にモンタナ州立大学へ転学。NCAAの規定により1年間出場停止の後、1993年から1996年まで同校でプレー。平均12得点・4.2リバウンド・2.4アシストを記録し、3年連続でビッグスカイ・カンファレンスのファーストチームに選出された。1996年にはチームをNCAAトーナメント出場に導く[1]。学業面でも優秀で、2度のアーサー・アッシュ Jr. スカラーアスリート賞を受賞し、生物・医科学を専攻して卒業した。2015年には同校バスケットボール殿堂入りを果たしている。[要出典]
プロ選手としての経歴
1996年のNBAドラフトでは指名されず、同年ベルギーのルーヴェン・ベアーズでプロデビュー。翌シーズンはアメリカIBAリーグのブラックヒルズ・ポッセに所属(平均8.9得点・3.2リバウンド)。 その後1998年から2000年まで日本の日立本社ライジングサンでプレーし、最後はレバノン・ベイルートのチームで2001年に現役を引退した。
ナイキ社時代
2002年にナイキへ入社。およそ19年間にわたり勤務し、最終的に「北米バスケットボール部門副社長」に昇進。レブロン・ジェームズ、コービー・ブライアントなどNBAスター選手との強固な関係を築いた。[要出典]
ダラス・マーベリックスGM就任
2021年6月28日、ダラス・マーベリックスのゼネラルマネージャー兼バスケットボール運営部長に就任。前任のドニー・ネルソンの後任として、ジェイソン・キッドHCの招聘も主導した。 就任後、チームは2022年と2024年にカンファレンス・ファイナル進出、2024年にはNBAファイナルに到達。これを受けて、同年夏に複数年契約延長が発表された[2]。2025年2月1日から2日にかけて、ロサンゼルス・レイカーズGMのロブ・ペリンカと共に、ルカ・ドンチッチとアンソニー・デイビスを交換する大型トレードを実行した。 このトレードはNBA史上でも極めて議論を呼び、ダラスではファンやメディアから激しい批判を浴びた。 「Fire Nico(ニコを解任しろ)」というスローガンが広まり、アリーナでのブーイングや看板掲示、SNSでの抗議活動が続いた。ハリソンは「守備が勝利をもたらす」としてデイビス獲得を擁護したが、デイビスは加入初戦で腹部を再負傷し長期離脱。主力選手の相次ぐ怪我により、チームはプレーイン・トーナメントで敗退した。 その後、確率2%未満で2025年のNBAドラフト1位指名権を獲得し、クーパー・フラッグを指名したが、抗議運動は続いた。
個人成績
| 略称説明 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
| FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
| RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
| BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
| リーグリーダー | |||||
カレッジ
| シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991–92 | 陸軍士官 | 25 | 23 | 27.7 | .434 | .444 | .556 | 3.4 | 1.4 | 1.2 | .6 | 9.7 |
| 1993–94 | モンタナ ステート |
26 | - | 24.9 | .624 | .000 | .778 | 4.0 | 1.3 | 1.3 | .6 | 10.6 |
| 1994–95 | 29 | 29 | 27.4 | .613 | .231 | .624 | 4.4 | 2.7 | 1.8 | .3 | 11.8 | |
| 1995–96 | 30* | 30* | 31.7 | .577 | .343 | .732 | 4.2 | 3.1 | 1.2 | .6 | 13.7 | |
| 通算 | 110 | 82 | 28.0 | .560 | .328 | .676 | 4.0 | 2.2 | 1.4 | .5 | 11.6 | |