ネットゼロ
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さらなる地球温暖化を止めるためには、ネットゼロの達成が不可欠である[2]。これには、化石燃料から持続可能エネルギーへの転換、エネルギー効率の向上、森林破壊の停止などによる大幅な排出削減と、残る排出分を二酸化炭素除去によって相殺する活動が含まれる。以下この記事では単に排出という語を使用した場合「温室効果ガス(または温暖化ガス)排出」を意味する。
「ネットゼロ排出に関する非国家主体の誓約に関する国連ハイレベル専門家グループ」は、非国家主体(都市・地域政府・金融機関・企業など)に対して以下の原則を含むいくつかの勧告を行っている[3](pp12–13):
- 化石燃料開発に資金を提供しないこと
- 強固な気候政策を支持すること
- 事業活動や投資が森林破壊に寄与しないことを確保すること
2020年代初頭ネットゼロは気候変動対策の主要な枠組みとなり、多くの国や組織がネットゼロ目標を設定している[4][5]。2023年11月時点で約145カ国がネットゼロ目標を発表または検討中であり、これは世界の排出量の約90%をカバーしている[6][5]。国レベルのネットゼロ目標は、世界GDPの92%・排出量の88%・世界人口の89%をカバーしている[5]。年間売上高で世界最大の上場企業2,000社の65%[5]、米国フォーチュン500企業の63%[7][8]がネットゼロ目標を掲げているが、その中には政府の規制によるものもある。
これまでに27カ国が国内法としてネットゼロ関連の立法を制定しており、これらはネットゼロ目標またはそれと同等の目標を含む法律である[9]。しかしスイスなどいくつかの国はこのような立法を進めているものの[10]、2023年時点それらの国に拠点を置く企業にネットゼロ達成を法的に義務付ける国家規制は存在していない。
ネットゼロの目標・宣言・誓約は増えているにもかかわらず、多くは信頼性が低い[11]。世界の二酸化炭素排出量の61%は何らかのネットゼロ目標の対象だが、拘束力のある規制の欠如および脱炭素化を可能にする継続的な革新と投資の欠如により、信頼できる目標はそのうち7%しかない[12]。
高排出国がネットゼロ政策を推進すると、その対費用便益は政策実施コストを上回るとする研究がある[13]。
ネットゼロの歴史
ネットゼロの概念は2000年代後半の研究に由来する。それらの研究は大気・海洋・炭素循環が二酸化炭素排出にどう反応しているかを調べたものであり、地球温暖化はネットゼロにしなければ止まらないことを明らかにした[2]。ネットゼロはパリ協定の目標の基本であり「今世紀後半に人為的な温室効果ガス排出源と吸収源のバランスを達成する」ことが定められている。「ネットゼロ」という語は2018年に気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が1.5℃特別報告書(SR15)を発表した後に広く普及した。この報告書は「二酸化炭素排出をネットゼロ達成・維持し、非二酸化炭素(二酸化炭素以外の温室効果ガス)の放射強制力を減少させれば、数十年単位の時間スケールで人為的地球温暖化は高い確信度で停止する」と述べている[14]。
ネットゼロ排出の概念は、1992年リオ条約で用いられた「大気中の温室効果ガス濃度の安定化」という用語と混同されることがあるが同じではない。二酸化炭素排出がゼロになっても、炭素循環が大気中二酸化炭素の一部を植生や海洋に吸収し続けるからである[15]。すなわち人間活動による二酸化炭素排出がネットゼロになると大気中二酸化炭素濃度は減少し、海洋温暖化を相殺するのにちょうど十分な速度で低下する。この結果、世界平均気温は数十年から数世紀にわたりほぼ一定に保たれる。一方、大気中二酸化炭素濃度の安定化のみを目指す場合(すなわちある程度の排出を許容する場合)、海洋温暖化反応は遅れて顕れるために気温は数世紀にわたり上昇し続ける[16][15]。
2020年代半ばになると、ネットゼロは米国[17]・EU[18]・英国[19][20]など一部地域では政治的分断を招くようになった。気候変動下での政治では、ネットゼロへの移行を確実にするためには政策決定者は複雑で対立を伴う政治に関与する必要があり[21]、ネットゼロへの道筋は政治的に形作られなければならない[22]。ネットゼロは物価を上昇させると報じるメディアもあるが[23]、ネットゼロは「ゼロではない状態」より安価である("net zero" is cheaper than "not zero")という反論もある[24][25]。
2023年11月時点で約145か国がネットゼロ目標を発表または検討中であり、これは世界の排出量のほぼ90%をカバーしている[6]。その中には過去数十年間気候変動対策に消極的だった国もある[26][5]。国ごとのネットゼロ目標は世界GDPの92%・排出量の88%・世界人口の89%をカバーする[5]。
2023年のWorld Population Reviewによれば、森林被覆率が高いいくつかの国(ブータン・コモロ・ガボン・ガイアナ・マダガスカル・パナマ・スリナム)はネットゼロまたはネットマイナス排出とされる[27]。しかしWorld Resources Instituteは、これらの国でも正味排出量はプラスとしている[28]。
ネットゼロの定義

関連用語との混同とそれによるグリーンウオッシングの助長
「ネットゼロ排出」「カーボンニュートラル」「気候ニュートラル」などの用語はしばしば混同されるが[30][31][32][33](pp22–24) 意味が大きく異なる[30]。国・自治体・企業・金融機関などは「ネットゼロ」や「カーボンニュートラル」達成誓約を発表しても[3]、その場でこれら用語をしばしば厳密な標準的定義なしに使うので[34][30]、それら達成目標が具体的にどのくらいのレベルであるかは精査される必要がある。特に留意すべきは、カーボンニュートラル認証の一部基準では多様なカーボンオフセットを「相殺」として認めることである。この基準では営利企業はカーボンクレジットを大量に購入さえすれば「カーボンニュートラル達成」と自称できるが、これは排出免罪符を買うようなもので実質的な排出抑制努力を伴うものではない。このように、緩いカーボンニュートラル認証やネットゼロの基準はグリーンウォッシングを助長する[3](p38)ことから、国連・UNFCCC・国際標準化機構(ISO)・科学的根拠に基づく目標イニシアチブ(SBTi)は強固な基準を推進している[35][36][3][37]。地球温暖化1.5℃未満目標達成のネットゼロ基準ではカーボンオフセットは10%以下でオフセットではない実質的な真の排出量削減が90%以上であることが条件である[38]。(「ネットゼロ達成への障害と課題>カーボンオフセット・カーボンクレジットの限界とグリーンウオッシング」の項も参照)
温室効果ガスの種類とネットゼロ目標
ネットゼロ排出ではメタンなど他のすべての温室効果ガスを指す場合と、二酸化炭素のみを指す場合がある[39]。言うまでもなく二酸化炭素だけのネットゼロは、メタン・亜酸化窒素・フッ素化ガスなど他の非二酸化炭素の温室効果ガスを含めたそれよりもまだ容易で早期に達成可能である。農業由来のメタンなど一部の温室効果ガスは二酸化炭素よりはるかに削減困難である[40]。メタンは大気中で短寿命ではあるが二酸化炭素よりはるかに強力な温室効果ガスであり、数年の期間内では気温を押し上げる[41]。それゆえ包括的なネットゼロ排出目標は、そのようなすべての温室効果ガスを対象にしなくては達成不可能であり[40]、強固なネットゼロ基準はすべての温室効果ガスを対象にすることを求める[3][37][42][35]。
カーボンニュートラル戦略はもっぱら二酸化炭素に焦点を当てるが、ネットゼロはすべての温室効果ガスを含む[43][44]。ISOと英国規格協会(BSI)のカーボンニュートラル規格はネットゼロ規格よりも残余排出を許容するものであり[36][45]、例えばその一つBSI PAS 2060ではカーボンニュートラルは短期的目標でありネットゼロはより長期的目標である[46][47]。フランスの国家戦略では「カーボンニュートラル」もすべての温室効果ガスの正味削減を意味する[30]。それに対しフランスよりもはるかに大量の温室効果ガスを排出している米国は、2050年までに「ネットゼロ」排出を達成することを誓約しているものの、それがすべての温室効果ガスを対象とするかは2021年3月時点で明確にしていない[30]。
ネットゼロ規格と「恒久性」
ISOやBSIのネットゼロ規格のような強固な規格では、カーボンオフセットは対象の温室効果ガスと同等の恒久性を持つ除去型のもののみが認められており、「同種同量(like for like)除去」という用語で説明される[3][37][42][35]。恒久性(permanence)とは、対象の温室効果ガスがその寿命と同じまたはそれ以上の期間除去されなければならないことを意味する。メタンの大気中での半減期は約12年[48]、二酸化炭素は300~1,000年である[49]。したがって二酸化炭素除去は事実上半永久的に持続しなければならない。
ネットゼロ達成計画と実践
ネットゼロ排出達成計画では、(1) 自らの排出削減、(2) 関係者の排出削減、(3) 大気中二酸化炭素の除去(炭素吸収源)を組み合わせることができる[30]。
排出削減
カーボンクレジットに依存させない強固なネットゼロ基準は、科学的根拠に基づく経路に沿って自らの排出を可能な限り削減することを求め、化石燃料から持続可能エネルギー源への転換を伴う。それでも避けられなかったやむを得ない残余排出分はカーボンオフセットや炭素除去で相殺することが義務付けられる[3](p12)。残余排出とは技術的理由から削減が現実的でない排出を指す[50]。
排出削減の重要な手段はエネルギー効率の向上であり、歴史的に最も成功してきた排出削減法である。そのための政策には例えば、自動車燃費基準の設定、建物断熱の推進、公共交通機関の整備・利用促進などがある[51]。
許容される残余排出の割合については専門家や各指針で意見が分かれ[3][37][42][35]、また産業分野や地域の事情によっても異なる[52][50]。SBTiは多くの分野で2050年までに残余排出は基準排出量の10%未満にすべきとし、電力など代替技術が競争力を持つ分野ではそれ以下としている[35][53]。しかし重工業など排出削減が困難な分野では、より大きな残余排出割合がやむなく許容される可能性がある[54][55]。
排出源の範囲
温室効果ガスプロトコル(The Greenhouse Gas Protocol)は温室効果ガス算定で最も一般的な一群の規格であり[56]、関連性・完全性・一貫性・透明性・正確性といった多くの会計原則を反映している[57](pp8–9)。この規格は排出を以下3つのスコープ(範囲)に分類している。
- スコープ1は、企業境界内(企業が所有または制御できる範囲)における全ての直接的温室効果ガス排出を対象とし、企業が消費する化石燃料(社用車の使用・逸散排出(化石燃料の漏洩)など)が含まれる[57](pp27)。
- スコープ2は、購入した電力・熱・冷却・蒸気の消費による間接的温室効果ガス排出を対象とする[57](pp27–29)。2010年時点で世界の温室効果ガス排出の少なくとも3分の1がこれに入る[58]。
- スコープ3は、サプライヤーや製品利用者(バリューチェーンとも呼ばれる)からの排出を対象とし、貨物輸送やその他の間接排出もこれに含まれる[59]。スコープ3の排出割合は業種によって大きく異なる[60]。
企業のネットゼロ目標はその活動に関連する排出をどの範囲まで対象とするかによって大きく異なり、算定される排出量に大きく影響する[30]。スコープ1と2の削減は内部努力で十分可能だが、外部関係者が対象のスコープ3の削減ははるかに難しい。スコープ3排出は強固なネットゼロ規格では算定対象に含める必要があるが[3][61][42][35]、「カーボンニュートラル」規格ではそうではない[62][より良い情報源が必要]。たとえば石油会社には自社事業(スコープ1と2)を「ネットゼロ」であると主張するところもあるが[63]、これは顧客の石油消費で生じるはるかに巨大な排出(石油産業関連排出の70〜90%、スコープ3)を含むものではない[64]。
2025年、オランダ最大のスーパーマーケットアルバート・ハインは、2024年の持続可能性報告書にスコープ3排出量として、それまで小売業者が開示困難としてきたメタン排出量を追加し、世界初の画期的取り組みと評価された[65][66]。報告書は「堆肥の保管と処理における革新により(メタンと亜酸化窒素の)排出量を削減し、動物(性食品)のサプライチェーンをより持続可能なものとする。」と延べ、目標は2030年までに2018年比で45%削減、2050年までに実質ゼロとしている[67]。
達成の時間軸
ネットゼロ達成は2050年またはそれ以前を目標とし、1〜5年ごとの中間目標で補うことが推奨されている。国連・UNFCCC・ISO・SBTiは2030年までに排出を半減させるべきだと述べている。具体的な削減目標や経路は分野ごとに異なり、一部は他よりも迅速・容易に脱炭素化できる可能性がある[3][37][42][35] 。
多くの企業は2050年までにネットゼロ排出を達成することを誓約しており、政府や国際機関も企業のネットゼロ誓約への貢献を奨励している。国際エネルギー機関は、世界が2050年までにネットゼロを達成するには、化石燃料の低炭素代替エネルギーへの世界的投資は2030年までに年間4兆米ドル必要としている[68][69]。しかし一部の分析は、世界全体で2050年までのネットゼロ達成は不可能かもしれないと憂慮している[70]。
会計と計上対象
基準策定機関の指針で、組織は排出削減を測定するための基準年を選定すべきとしている。基準年はその組織の典型的な温室効果ガスの排出状況を反映したものでなければならず[35]、その選択理由や基準年以降の条件変化をどう考慮するかの説明が伴わなくてはならない[42]。金融機関はその投資ポートフォリオ内の排出も含めるべきであり、これには融資・投資・または保険を提供したすべての組織を含める必要がある。
都市・国・地域は、自らの領域内で発生する領域排出量と、その領域に輸入され消費される製品やサービスに関連する消費排出量(埋め込まれた炭素排出)の両方を含めるべきであるが[3][37][42][35]、これは課題が多い。なぜならその領域内で生産される製品やサービスは、国内消費のみならず輸出に向けられる場合もあり、同時にその領域内人口は輸入した製品やサービスも消費しているからである。したがって各領域内の排出量計上は、生産地ベースか消費地ベースかが明確に示されなくてはならず、これは二重計上防止にもなる。しかしグローバル市場の長い製造・輸送チェーンはこれを困難にしうる。これは特に再生可能エネルギーシステムや電気自動車用バッテリーについて課題が大きい。ライフサイクル排出量の算定において、それらが使用される場所での排出は当然少なくとも、それら製造に必要な「埋め込み」エネルギーや原材料採掘にともなう排出量は非常に大きいからである[71]。
製品の認証
主要な基準や指針では、認定機関が製品をカーボンニュートラルとして認証することは認めているが、ネットゼロとして認証することは認めていない。その理由は、組織やそのサプライチェーンがネットゼロを達成するまでは、現時点で製品をネットゼロと主張させることは不誠実であり、グリーンウォッシングにつながるからである[42]。
財務的効果
2023年の国際通貨基金(IMF)の推計によれば、2050年における排出削減コストは世界GDPの2%未満、気候変動の影響を減らすことによるコスト削減効果は世界GDPのおよそ9%に相当し、結果として現在の政策と比較し2050年までに排出量をネットゼロにするための政策転換を行えば、世界の国内総生産(GDP)は7%高くなる[72]。

