ハシコトブキ
From Wikipedia, the free encyclopedia
3歳時、1976年11月27日中京競馬場の新馬戦でデビューし4着。その後、4歳から5歳の始めまで条件クラスで低迷していたが、5歳時、1978年4月16日の摩耶ステークスを勝ちオープン入り。天皇賞(春)、宝塚記念に出走するが、ともに6着と勝てなかった。秋シーズンはサファイヤステークスを勝利して再びオープン入りすると、朝日チャレンジカップ1着、京都大賞典2着、京都記念(秋)1着、天皇賞(秋)7着、愛知杯1着という成績を残した。1979年以降も競走生活を続けるが勝ち星を挙げることはできず、1980年9月21日の朝日チャレンジカップ10着を最後に引退した。
引退後は故郷・優駿牧場で種牡馬となるが、種牡馬として大きな期待をされた馬では無く、最多の1985年でも14頭の繁殖牝馬を集めるに過ぎなかった。1991年に種牡馬から用途変更となり、その後は不明。産駒は勝ち上がり率が高く、中央デビューした34頭のうち4割近い13頭が勝ち上がった。重賞馬も少ない産駒から2頭出ており、障害の強豪スガハラテンジンとイブキカネールがいた。
繁殖牝馬となった産駒はおらず、その血統は1代で断絶した。