ハメンクブウォノ10世
From Wikipedia, the free encyclopedia
- Bendara Radèn Mas Herdjuno Darpito
ベンダラ・ラドゥン・マス・ヘルドジュノ・ダルピト
| ハメンクブウォノ10世 Hamengkubuwono X | |
|---|---|
| ジョグジャカルタ スルタン | |
|
ハメンクブウォノ10世 | |
| 在位 | 1989年3月7日 - 在位中 |
| 別号 | ジョグジャカルタ特別州知事 |
| 全名 |
一覧参照
|
| 出生 |
1946年4月2日(78歳) |
| 配偶者 | グスティー・カンジェング・ラトゥー・ヘイマス |
| 子女 |
一覧参照
|
| 王朝 | ハメンクブウォノ朝 |
| 父親 | ハメンクブウォノ9世 |
| 宗教 | イスラム教 |
| サイン |
|
ハメンクブウォノ10世(インドネシア語: Hamengkubuwono X, 1946年4月2日 - )は、インドネシア・ジョグジャカルタ王朝のスルタン(在位:1989年 - )、ジョグジャカルタ特別州知事(在任:1998年10月3日 - )。

1946年にジョグジャカルタで生まれる。父のハメンクブウォノ9世は他の君主と異なりインドネシア独立に協力的であったため、インドネシア独立時にジョグジャカルタのスルタンとして特別な地位を与えられ、世襲制の特別州知事となった。1988年に父が死去するとスルタン位を継ぎ、副知事のパクアラム8世が知事を務めた[要出典]。1989年3月7日にスルタンに即位する。
ジョグジャカルタのガジャ・マダ大学(UGM)法学部を卒業後、インドネシア・ビジネス協会会長・スポーツ委員会委員長などを歴任し、1996年7月からはジョグジャカルタ特別州知事顧問を務めた。ハメンクブウォノ10世は父の姿勢を継承してインドネシアのナショナリズムの精神的支柱となり、1998年5月14日に発生したスハルト政権に反対する学生デモを支援した。同年にパクアラム8世が健康問題から引退する[要出典]と、スハルトの後任ユスフ・ハビビはジョグジャカルタ特別州知事の世襲制を廃止して選挙制を導入したが、州議会と市民の強い要望から実質的な選挙は行われず、ハメンクブウォノ10世が選任された[1]。ハメンクブウォノ10世は副知事を置かずにいたが、2003年からはパクアラム9世を副知事に任命した[注釈 1]。
2008年4月、同年の任期を最後に州知事職を辞すると表明したが、10月8日、ジョグジャカルタ特別州知事としての任期を3年間延長する旨の大統領令が出された。10月28日、2009年夏の大統領選挙にゴルカルから出馬することを表明したが、落選している。
2012年8月30日、インドネシア政府とジョグジャカルタ特別州政府との間で合意が成立し、再び特別州知事の地位を世襲制とする法律が制定された[2]。