ハージティ・アンドラーシュ

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生年月日 (1956-03-17) 1956年3月17日(69歳)
生誕地 ハンガリーの旗 ブダペスト
ハージティ・アンドラーシュ
15歳のハージティ
1971年ヨーロッパジュニア選手権にて)
国籍  ハンガリー
泳法 バタフライ個人メドレー
生年月日 (1956-03-17) 1956年3月17日(69歳)
生誕地 ハンガリーの旗 ブダペスト
身長 188cm
獲得メダル
国際大会 1 2 3
オリンピック 0 0 1
世界選手権 3 0 1
ヨーロッパ選手権 3 0 1
ユニバーシアード 1 0 0
ヨーロッパジュニア選手権 8 0 1
合計数 15 0 4
競泳 男子
 ハンガリー
オリンピック
1972 ミュンヘン400m個人メドレー
世界選手権
1973 ベオグラード400m個人メドレー
1975 カリ200m個人メドレー
1975 カリ400m個人メドレー
1978 西ベルリン400m個人メドレー
ヨーロッパ選手権
1974 ウィーン200mバタフライ
1974 ウィーン400m個人メドレー
1977 ヨンショーピング200m個人メドレー
1974 ウィーン200m個人メドレー
ユニバーシアード
1977 ソフィア400m個人メドレー
ヨーロッパジュニア選手権
1969 ウィーン200m平泳ぎ
1969 ウィーン200m個人メドレー
1971 ロッテルダム100m自由形
1971 ロッテルダム400m自由形
1971 ロッテルダム200m平泳ぎ
1971 ロッテルダム100mバタフライ
1971 ロッテルダム200mバタフライ
1971 ロッテルダム200m個人メドレー
1971 ロッテルダム100m平泳ぎ
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50代半ばのハージティ(2011年

ハージティ・アンドラーシュ(Hargitay András、1956年3月17日 - )は、ハンガリーブダペスト出身の元男子競泳選手。1972年ミュンヘンオリンピック400m個人メドレー銅メダリストであり、同種目の元世界記録保持者。個人メドレーで3度の世界選手権チャンピオン、2度のヨーロッパ選手権チャンピオンに輝き、バタフライでもヨーロッパ選手権チャンピオンに輝いた選手である。

1972年8-9月、ミュンヘンで開催されたオリンピックに16歳で出場。400m個人メドレーでは予選1組目で4分37秒51のオリンピック新及びハンガリー新記録を樹立したが、2組目のグンナル・ラーションがオリンピック記録を4分34秒99に更新した。迎えた決勝では予選のハンガリー記録を大幅に更新する4分32秒70をマークし、4分31秒98のオリンピック新記録(当時)を樹立したグンナル・ラーションとティム・マッキー英語版に次いで銅メダルを獲得した。この銅メダルはハンガリーにとって16年ぶりとなるオリンピック競泳競技のメダルとなった[1][2][3]

1973年9月、ベオグラードで開催された第1回世界選手権に出場。400m個人メドレー決勝で大会新及びヨーロッパ新記録(当時)の4分31秒11をマークし、2位のロッド・ストラカン英語版に2秒39の差をつけて初の世界タイトルを獲得した。また、これはハンガリーが世界選手権で獲得した最初の金メダルとなった[4][5]

1974年8月、ウィーンで開催されたヨーロッパ選手権英語版に出場し、200mバタフライと400m個人メドレーの2冠を達成した[6]。400m個人メドレー決勝でマークした4分28秒89は、アメリカのゲーリー・ホール・シニア英語版が保持していた世界記録(4分30秒81)を2年ぶりに塗り替えるタイムであり、この世界記録は1976年4月に同じハンガリー人のベラスト・ゾルターンが4分26秒00をマークするまで保持された[7]

1975年7月、カリで開催された世界選手権に出場し、個人メドレー2冠(200m・400m)を達成した。200m個人メドレーは2分7秒72の大会新記録(当時)を樹立したものの、2位のスティーブ・ファーニス英語版とは0秒03差という僅差での勝利だったが[8]、400m個人メドレーは2位に3秒07の差をつける圧勝だった[9]

1976年7月、モントリオールで開催されたオリンピックに出場。400m個人メドレーでは、世界新記録(当時)で優勝したロッド・ストラカン(4分23秒68)、ティム・マッキー(4分24秒62)、アンドレイ・スミルノフ英語版(4分26秒90)に次ぐ4位に終わり、0秒23差で2大会連続のメダルを逃した[10]

1978年8月、西ベルリンで開催された世界選手権に出場。400m個人メドレーでは、世界新記録(当時)で優勝したジェシー・バサロ英語版(4分20秒05)、セルゲイ・フェセンコ英語版(4分22秒29)に次ぐ3位に入り、3連覇は逃したものの3大会連続のメダルを獲得した[11]

1980年7月、モスクワで開催されたオリンピックの400m個人メドレーに出場。2大会ぶりのメダルがかかった決勝では、オリンピック新記録(当時)を樹立したアレクサンドル・シドレンコ(4分22秒89)、セルゲイ・フェセンコ英語版(4分23秒43)、ベラスト・ゾルターン(4分24秒24)に次ぐ4位に終わり、0秒24差でメダルを逃した[12]

現役中に獣医師になることを決意し、しばらくは大学と水泳を両立していたが、トレーニング中にダルニュイ・タマスに負けたことがきっかけとなり、1982年に現役を引退した[13][14]

獣医師の傍ら、1988年ソウルオリンピック2016年リオデジャネイロオリンピックで水泳ハンガリー代表ヘッドコーチを務めた[13][15][16]

2008年に国際水泳殿堂入りを果たした[17]

主要国際大会の成績

脚注

外部リンク

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