バチュマン
From Wikipedia, the free encyclopedia
バチュマン(八赤蛮[注 1]、? - 1237年?)は、13世紀前半の、クマン=キプチャクの一支族[要出典]のオルブルリク(オルベルリ)部族の首領である[2]。
1230年代後半にバトゥを総司令官とするモンゴル帝国がキプチャク草原に侵入し、その大部分を征服した。バチュマンはヴォルガ川付近の森林の奥の中に潜伏しながら、巧みな指揮で奇襲戦法を用いて抗戦を続けたが、激戦の末に追い詰められて、ヴォルガ川の中洲で捕虜となり、副司令官のモンケ(バトゥの従兄)の前に引き出されて、彼は自害を乞うが、許されずにそのまま処刑された[1]。ラシード・ウッディーンの『集史』に基づけば、バチュマンとモンゴル軍との戦いは、1237年から始まったと推測される。また、それはモンゴル軍がルーシに侵攻する前段階の出来事である。一方、ジュワイニーは、バチュマンの戦闘と、モンゴル軍によるヴォルガ・ブルガールやルーシ人の征服とを別個に著述していることから、バチュマンの抗戦は1238年から1239年にかけての、モンゴル軍がモルドヴィン人やキプチャク人を制圧した時の出来事である可能性が高いと論じている[3]。