バルタザール・ファン・デル・ポール

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バルタザール・ファン・デル・ポール(Balthasar van der Pol、1889年1月27日 - 1959年10月6日)は、オランダの物理学者。非線形な減衰を持つ振動系であるファン・デル・ポール振動子の提唱で知られる。

1889年1月27日、オランダのユトレヒトで生まれた[1]。父親は紅茶を扱う商人で、比較的裕福な家庭だった[1]

1911年ユトレヒト大学に入学し、物理学と数学を学んだ[2]。卒業後、1916年イギリスユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンへ留学した。そこでジョン・フレミングの指導を受けながら、無線研究を行った[3]1917年キャベンディッシュ研究所に移り、ジョゼフ・ジョン・トムソンの指導を受け、引き続き無線研究に取り組んだ[3][注釈 1]

1919年、オランダに戻り、ハールレムのテイラー博物館(w:Teylers Museum)で科学研究ディレクターをしていたヘンドリック・ローレンツの助手となり、3年間務めた[3][注釈 2]1920年4月27日にユトレヒト大学に電離層と無線伝送に関する論文で理学博士号が授与された[1]

1922年アイントホーフェンフィリップス物理学研究所に主任研究員として入所した[1][4]。フィリップス物理学研究所の所長であったジル・ホルストのもとで、無線送信機に使われる真空管について、主に理論面での研究を行った[5]

1938年から1949年まで、兼任でデルフト工科大学の理論電気学の教授を務めた[1]

1949年、フィリップスおよびデルフト工科大学の教授職を退任した[1]スイスジュネーブに移り、CCIR (Comité Consultatif International pour la Radio、国際ラジオ諮問委員会、現在のITU-R)の委員を1956年まで務めた[6]。また、同年にオランダ王立芸術科学アカデミー会員に選出された[6]

1956年、オランダに戻りヴァッセナールで暮らした[6]1957年カリフォルニア大学バークレー校の非常勤講師を務めた[1]1958年コーネル大学で客員教授を務めた[1]1959年に亡くなった[6]

業績

ファン・デル・ポール方程式

ファン・デル・ポール振動子で説明できる緩和振動が発生する三極真空管を用いたRLC回路

1920年代、ファン・デル・ポールはフィリップス物理学研究所で、無線送信機向けの発振回路を研究していた。三極真空管をつなげたRLC回路では、一定の振幅で振動を続けることが知られていた。ファン・デル・ポールは、この振動の数式モデル化に取り組んだ。

ファン・デル・ポールは真空管が負性抵抗を持つことを仮定した。すなわち、電流が小さい領域では真空管の負性抵抗によりエネルギーが供給されて振動が増幅され、電流が大きくなると正の抵抗が支配的となってエネルギーが散逸し、振動は抑制される。このような振幅の増大と減衰が交互に生じる現象を、非線形微分方程式として定式化した。

心臓の電気回路によるモデル化

ファン・デル・ポール振動子は小さな振幅ではエネルギーを増幅し、大きな振幅では逆に減衰させる性質をもつ。従って一定の周期と振幅をもつ安定な振動(リミットサイクル)に収束する[7]。ファン・デル・ポールは、この振動子が心臓の心拍とよく似ていることに気づき、心拍を模擬する電気回路を作成して、心拍に類似した波形が出力されることを確認した[7]。ファン・デル・ポールは回路が小型化できれば、心臓ペースメーカーに応用できるのではないかと考えた[8]

リーマンゼータ関数の電気回路化

1947年にファン・デル・ポールは「An electro-mechanical investigation of the Riemann zeta function in the critical strip」と題した論文を発表した。これは、リーマンゼータ関数を電気回路で実装したことを報告したものである[9]

ガンマ関数を用いたメリン変換し積分表現したリーマンゼータ関数を、さらにフーリエ変換を使って物理的手法、すなわち電気回路で表現できることを示した[9]。ファン・デル・ポールは、実際にこれを電気回路で実装し、回転モーターを使ってリーマンゼータ関数を視覚化した[9]。この回路を使って零点73個を読み取ることに成功した[1]

短波放送局

物理学研究所内のスタジオで演説するウィルヘルミナ女王ユリアナ王女

ラジオの普及を後押しするため、ファン・デル・ポールなどが主導して、フィリップス物理学研究所内に独自の送信機を設置し、短波放送の送信実験を始めた[10]。この放送局はコールサインからPCJJ(後にPCJ)と呼ばれた[10]

1927年3月11日、オランダで最初の短波放送が、物理学研究所の送信機からオランダ領東インド、オランダ領ギアナ(スリナム)、西インド諸島オランダ領アンティルに向けた試験放送を行った。6月1日、物理学研究所に特別に用意されたスタジオでウィルヘルミナ女王ユリアナ王女が、オランダの海外領土に向けて演説を行った[11]

人物

理論家

ファン・デル・ポールは自ら実験をすることは少なく、自他共に認める理論家であった[10]。発表した論文は200本ほどであるが、ほとんどは無線通信や電気回路などの数学モデルに関するものであった[10]

音楽

10代のころにヴァイオリンヴィオラの演奏を学び、ユトレヒト市立管弦楽団(Utrechts Stedelijk Orkest)で演奏した経験がある[12]。また同じ頃にヨハン・ワーヘナールからオルガン声楽を学んだ[12]絶対音感を持ち、作曲も行った[13]

受賞歴と栄誉

主な著作

脚注

参考文献

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