パチ・フェレイラ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
フランシスコ・フェレイラ・コルメネロ Francisco Ferreira Colmenero | |||||
| ラテン文字 | Patxi Ferreira | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1967年5月22日(57歳) | |||||
| 出身地 | サウセレ | |||||
| 身長 | 180cm | |||||
| 体重 | 77kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF (CB) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
|
| ||||||
| 1983-1984 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1984-1987 |
| 73 | (6) | |||
| 1984-1989 |
| 76 | (10) | |||
| 1989-1995 |
| 118 | (4) | |||
| 1993-1994 |
→ | 25 | (1) | |||
| 1995-1997 |
| 60 | (4) | |||
| 1997-2000 |
| 67 | (3) | |||
| 2000-2001 |
| 12 | (0) | |||
| 通算 | 431 | (28) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1983 |
| 4 | (0) | |||
| 1984-1985 |
| 10 | (0) | |||
| 1985 |
| 1 | (0) | |||
| 1985 |
| 4 | (0) | |||
| 1986-1990 |
| 12 | (0) | |||
| 1988-1989 |
| 2 | (0) | |||
| 1990-1997 |
| 4 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2012-2015 |
| |||||
| 2015 |
| |||||
| 2016-2017 |
| |||||
| 2017-2018 |
| |||||
| 2018-2021 |
| |||||
| 2021- |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
フランシスコ・"パチ"・フェレイラ・コルメネロ(Francisco 'Patxi' Ferreira Colmenero、1967年5月22日 - )は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州サウセレ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはDF。元スペイン代表。
クラブ
1984-85シーズン、アスレティック・ビルバオでプリメーラ・ディビシオン初出場を記録したが、センターバックとして先発フル出場したデビュー戦では0-3で敗れた[1]。1987-88シーズン、ハワード・ケンドール監督によってレギュラーに抜擢され、以降2シーズンでリーグ戦71試合10得点を記録した。
1989年、アトレティコ・マドリードに移籍。1シーズン目は3バックの中央を務め、リーグ戦36試合に出場し、チームのリーグ4位フィニッシュに貢献した[2]。2シーズン目からはレアル・サラゴサから加入してきたフアニートや生え抜きの選手であるロベルト・ソロサバルといった選手にポジションを奪われた。
1997年、セビージャFCやバレンシアCFを経て古巣アスレティック・ビルバオに復帰した。復帰後2シーズン目の1998-99シーズンには、自身のキャリアで初となるUEFAチャンピオンズリーグに出場したが、グループステージ敗退で大会を後にした[3]。
代表
1988年9月14日、アスレティック・ビルバオでの活躍により、この日のユーゴスラビア代表戦でスペイン代表初キャップを刻んだ[4]。
指導者経歴
2001年にラージョ・バジェカーノで現役から引退すると、アスレティック・ビルバオ時代に同僚であったガイスカ・ガリターノのアシスタントコーチをとして指導者キャリアをスタートさせた。アシスタントコーチとしてSDエイバルやアスレティック・ビルバオのコーチングスタッフ入りを経験している[5][6]。
個人成績
- キャリア通算 - 515試合34得点[7]
- プリメーラ・ディビシオン - 358試合22得点
- セグンダ・ディビシオン - 73試合7得点