パトリック・ロワ
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| パトリック・ロワ | |
|---|---|
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コロラド・アバランチでの現役時代 (1999年) | |
| 本名 | パトリック・ジャック・ロワ |
| 原語名 | Patrick Jacques Roy |
| 愛称 | セント・パトリック |
| 生誕 |
1965年10月5日(60歳) ケベック州ケベック・シティー |
| 身長 | 6 ft 1 in (1.85 m) |
| 体重 | 210 lb (95 kg; 15 st 0 lb) |
| ポジション | ゴールテンダー |
| キャッチ | 左手 |
| 所属したチーム |
モントリオール・カナディアンズ コロラド・アバランチ |
| 代表 |
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| NHLドラフト |
全体51番目(1984年) モントリオール・カナディアンズ |
| プロ選手期間 | 1985年 – 2003年 |
| 2006年殿堂入り | |
パトリック・ロワ(フランス語: Patrick Roy, 1965年10月5日 - )は、カナダの元プロアイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。
NHL史上で最多試合出場、最多勝利数記録を更新、そして何よりもポストシーズンでの優れたパフォーマンスと記憶に残る大舞台での勝負強さにより、エクスパンション時代で最高のゴーリーと評価されることが多い。
1984年のNHLドラフト全体51位でモントリオール・カナディアンズから指名され、プロ人生をスタートさせた。ファームチームのAHLシャーブルックに派遣され、AHLプレーオフで先発出場しチームを1985年のカルダーカップ優勝に導いた。
NHLルーキーシーズンの1985-86年には47試合に出場し、プレーオフが始まると先発の座を引き継ぎ、カナディアンズは1986年にスタンレーカップを獲得し、ロワはその卓越したプレーオフプレーによりコーン・スマイス賞を受賞した。その後の数年間で30勝を3度挙げたが、1993年にカナディアンズで再びスタンレーカップを獲得し、その素晴らしいプレーで2度目のコーン・スマイス賞を受賞した。
1995年12月2日にデトロイト・レッドウィングスと対戦したカナディアンズのフランチャイズ史上最悪の12-1で敗れたホームゲームで、ロワはマリオ・トレンブレイヘッドコーチの下で9失点のゴールを守り続け、第2ピリオド途中で交代した際、ベンチ裏のチーム社長にクラブでの最後の試合と告げ、コロラド・アバランチにトレードされたが、すぐに再びスタンレーカップタイトルを獲得した。2000-01シーズン序盤には、伝説的なテリー・ソーチャックの447勝を抜き、2001年のプレーオフに再び最高のパフォーマンスを見せ、アバランチを2度目のスタンレーカップ優勝に導き、史上初3度目のコーン・スマイス賞を受賞した。
スタンレー・カップ優勝経験、カナディアンズとアバランチで2度ずつ合計4度経験している(1986年、1993年、1996年、2001年)。また、これと並んでコーン・スマイス賞も、3度獲得している(1986年、1993年、2001年。なお、1996年はアバランチのキャプテンジョー・サキック(Joe Sakic)が獲得)。 1998年長野オリンピックではカナダの全6試合のゴールを守った。
選手としての特徴
青や赤のライン上をスケートで横切ることがないとか、試合毎に子供の名前をスティックに書くだとか、シャットアウトを決めた試合に使用したパックは、シーズン終了までロッカーにしまっておくなどがある。また、試合中にゴールポストに話しかけることでも知られている。
また、自負心の強さは有名である。かつてジェレミー・ローニックが、ロワから3点を取った後のインタビューで「この第3試合、パトリックはどこで何してたんだろうか知りたいもんだね。たぶん、・・・」と皮肉ると、ロワも負けじと「ジェレミーが何を言ったかよく聞こえなかったよ。だって、僕は耳をスタンレー・カップ優勝記念のリングで栓をしていたからね。」と応じた。
1990年代後半から2000年代にかけてのアバランチとレッドウィングスのライバル関係では、特にゴールテンダーのマイク・ヴァーノンやクリス・オズグッドとのファイトは語り継がれている。
シュートをセーブすると、グラブを頭上に持ち上げて、まるで自由の女神のようなポーズをとることがあった。2002年、西部カンファランス決勝の第6試合で、自身がパックをつかんでいると誤信し、このポーズをとっている間に、ブレンダン・シャナハンに得点されたこともあった。
大きなパッドや大きなキャッチンググローブを好んでいただけでなく、膝を付いている間にパックが通るのを防ぐための大きすぎるジャージ、実際には存在しない隙間の錯覚を生み出すために5ホール近くの内側を白く塗ったパッドなども好んで装着していた。[1]
これらの出来事にもかかわらず、卓抜さは、数々の受賞歴が示している。1989年、1990年、1992年にはヴェジーナ賞(最優秀ゴーリー賞)、1987年、1988年、1989年(この3年は Brian Hayward と同時)、1992年、2002年にはウィリアム・M・ジェニングス賞(最少失点ゴーリー)をそれぞれ受賞している。
さらに、完封勝利数ではリーグ1位、平均失点率でも2度のリーグトップを記録している。オールスターでは、第1チームで3回、第2チームで2回、通算8回の出場を果している。
グレン・ホールが最初に始めたとされているバタフライスタイルを発展させ世に広め、その印象的なプレーや数々のエピソードでゴールテンダーを花形ポジションに押し上げた最大の功労者である。
人物
エピソード
- カナダ出身のMLB選手であるジャスティン・モルノーは現役時代の大半で背番号「33」を付けていたが、これはロワに憧れており自らが希望して付けていた。モルノー自身も高校時代はアイスホッケー選手として活動しており、ポジションはロワと同じくゴールテンダーだった。