ビートルズのポリドール・セッション

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ビートルズのポリドール・セッションは、ビートルズがイギリスEMI傘下のパーロフォンレーベルとの契約以前、1961年から1962年にかけてドイツ・ポリドールとの正式なレコード契約[注釈 1]に基づいて行ったレコーデイング・セッション、ならびにその演奏である。

レコーデイングセッションに至る経緯

ビートルズは本セッションで9曲[注釈 2]を録音した記録が確認されている。元々イギリスのロック歌手トニー・シェリダンのレコード制作をするために、バックバンドとして契約をした。ポリドールはシングル「マイ・ボニー」を発売する際、「ビートルズ」というバンド名がハンブルク地方の「陰茎」を意味する俗語「ピデルス」の複数形「ピーデルズ」に発音が極似していると判断したため、「トニー・シェリダン・アンド・ザ・ビート・ブラザーズ」名義でリリースした[1][2][3]。この後も1965年ごろまで、ポリドールはシェリダンのバック演奏を行うバンドに、メンバーや本来のグループ名に関わりなく「ビート・ブラザーズ」の名義を使い続けた。このため、ビートルズと他のビート・ブラザーズの演奏が混同されることが続いた。

ビートルズは、1961年3月27日から7月2日までトップテン・クラブで2度目の定期滞在公演を行うため、ハンブルクを訪れていた。以前から親交のあったシェリダンとは時折お互いのステージ上で共演していた[4]

5月のある日、たまたまクラブを訪れたドイツのロック歌手であるトミー・ケント[5]がステージ上でこの2組の共演を目撃し、ポリドールのプロデューサー兼A&R担当だったベルト・ケンプフェルトに伝え、クラブを訪れるよう説得しました[6]。翌日、彼は妻とケントと共にクラブを訪れ、シェリダンとビートルズと初めて接触した。実際の演奏を見たケンプフェルトはシェリダンにスターの素質を見出し、その後も訪問を続けた。6月、ケンプフェルトと彼のサウンドエンジニア、カール・ヒンツェはトップテン・クラブでシェリダンやビートルズと共に将来の録音条件について話し合い、シェリダンはポリドールと契約を結んだ。また、ビートルズをバックバンドとしてレコーディングに参加させるため、ケンプフェルト自身のプロダクション会社が契約した。その際、契約書にはビートルズ単独で最低2曲レコーディングすることが明記されていた[注釈 3]

録音

1961年から1964年にかけてシェリダンのためのレコーデイング・セッションは計5回行われたが、ビートルズが参加したのはそのうち2回だった。

1961年6月、ポリドールで行われた2日間にわたる最初のシェリダンとのレコーディング・セッションでは、シェリダンのバックバンドとして7曲、ビートルズ単独で2曲が録音された[注釈 4]。シェリダンの7曲のバックバンドには必ずしもビートルズのメンバー全員が参加していたわけではなく、マッカートニーとベストだけになる場面もあったと言われている[8]

  • 第1回:1961年6月22・23日
    場所:フリードリッヒ・エバート・ホール(ハンブルク)
    プロデューサー:ベルト・ケンプフェルト
    ミュージシャン:トニー・シェリダン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ピート・ベスト
    演奏曲:「マイ・ボニー」(Ver.1a:ドイツ語イントロ)(Ver.1b:英語イントロ)「聖者の行進」「ホワイ」「クライ・フォー・シャドウ[注釈 5]」「ノーボディーズ・チャイルド」(Ver.1a)「いい娘じゃないか」(Ver.1a)「イフ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」(Ver.1a)

シングル「マイ・ボニー」が好評だったので、ポリドールはアルバムを制作をすることを決め、ケンプフェルトとシェリダンは、リバプールに戻っていたビートルズ抜きで再びセッションを行った[注釈 6]

  • 第2回:1961年12月21日[9]
    場所:ムジックハレ(ハンブルク)
    プロデューサー:ベルト・ケンプフェルト
    ミュージシャン:トニー・シェリダン(ギター&ボーカル)、リッキー・バーンズ(サックス)、ロイ・ヤング(ピアノ)、ピーター・ウォートン(ベース)、ジョニー・ワトソン(ドラム)[10]
    演奏曲:「スキニー・ミニー」「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」「アイ・ノウ・ベイビー」「ユー・アー・マイ・サンシャイン」「レディ・テディ」「ハレルヤ・アイ・ラブ・ハー・ソー」「レッツ・ツイスト・アゲイン」「スウィート・ジョージア・ブラウン」(Ver.1)「スワニー川」(Ver.1)「トップ・テン・ツイスト」他

ビートルズは4月から3度目のハンブルク定期滞在公演を行っていたが、6月にパーロフォンのオーディションが決まったため、ベルト・ケンプフェルト・プロダクションに契約の解除を申し出た[注釈 7]。最後にこのレコーデイングを行い、翌25日、契約は解除された。

  • 第3回:1962年5月24日
    場所:スタジオ・ラールシュテット(ハンブルク)
    プロデューサー:ベルト・ケンプフェルト
    ミュージシャン:ジョン・レノン(ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリスン(ギター)、ピート・ベスト(ドラム)、ロイ・ヤング(ピアノ)
    演奏曲:「スウィート・ジョージア・ブラウン」(Ver.2a)「スワニー川」(Ver.2)

シェリダンはビートルズによって再録音された「スウィート・ジョージア・ブラウン」「スワニー川」にボーカルをオーバーダビングするとともに「ノーバディーズ・チャイルド」のソロ・アコースティック・バージョンを新たに録音した。

  • 第4回:1962年6月7日
    場所:スタジオ・ラールシュテット(ハンブルク)
    プロデューサー:ベルト・ケンプフェルト
    ミュージシャン:トニー・シェリダン(ギター&ボーカル)
    演奏曲:「スウィート・ジョージア・ブラウン」(Ver.2a)「スワニー川」(Ver.2)「ノーバディーズ・チャイルド」(Ver.2)

シェリダンは1964年にはビートルズ人気に皮肉を込めた新しい歌詞[注釈 8]を加えた「スウィート・ジョージア・ブラウン」のヴォーカルのオーバーダビングした。

  • 第5回:1964年1月3日
    場所:不明
    プロデューサー:ベルト・ケンプフェルト
    ミュージシャン:トニー・シェリダン(ボーカル)
    演奏曲:「スウィート・ジョージア・ブラウン」(Ver.2b)

シェリダンはこの後、次のアルバム『A Little Bit of Tony Sheridan』[11]のために「スウィート・ジョージア・ブラウン」(Ver.3)などをボビー・パトリック・ビッグ・シックス[注釈 9]をバックに再録音したが、依然としてビート・ブラザーズ名義だった[13]

ポリドール・セッションからの作品

脚注

参考文献

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