ピアノソナタ第1番 (ラフマニノフ)
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構成
作曲の背景
1906年11月にラフマニノフは、妻と娘を連れてドレスデンに移り住み、《交響曲 第2番》の作曲に没頭した。《交響曲 第1番》の失敗による屈辱を雪ぐため、またモスクワの喧騒から逃れるためであった[2]。かの地でラフマニノフ一家は静かな生活を送り、「私たちはツグミのように暮らしています。誰にも会わず、知り合いも作らず、何処にも出掛けずに居ります。しこたま仕事をしました[4]」と私信で告げている。
しかし、集中できる環境の中でもラフマニノフは《ピアノ・ソナタ第1番》の作曲に、とりわけその構成に難儀した[2]。最初の構想は、ゲーテの『ファウスト』に基づいて、第1楽章をファウスト、第2楽章をグレートヒェン、第3楽章をメフィストフェレスの肖像とする標題的なソナタの作曲であり[1]、実際のところこの3人の登場人物を各楽章に反映させるという発想はフランツ・リストの《ファウスト交響曲》のそれをなぞっている[2]。この発想は作曲開始直後に放棄されたが、それでもなおその題材は、終楽章において明瞭である[1]。
リーゼマンやメトネル、カトワールからの忠告により、ラフマニノフは45分もの長さのあった楽曲を、さらに35分ほどに切り詰めたという[2]。出版は当初この形で行われた。
初演
改訂版初演は1908年10月17日、コンスタンティン・イグムノフによる。ラフマニノフのピアノ曲が他人によって初演された珍しい例である。
出版
初版は現存することがわかっているが、出版社の経営難により未出版のままである[1]。しかし、2023年に**ルーカス・ゲニューシャス(Lukas Geniušas)**によって、作曲家自身のピアノを用いた世界初録音の音盤が発売された[2]。
音源
過去に巨匠と呼ばれた演奏家で本作品を録音・演奏したピアニストは数少なく、マイケル・ポンティやルース・ラレード、アレクシス・ワイセンベルク、セルジオ・フィオレンティーノ、ジョン・オグドン、ウラディーミル・アシュケナージがいるのみである。だが現在では、イディル・ビレットやハワード・シェリー、エフゲーニ・ザラフィアンツなどの中堅演奏家のほか、オッリ・ムストネンや田山正之といった若手が取り組んでいる。
