ピエルルイジ・カシラギ

イタリアのサッカー選手、指導者 From Wikipedia, the free encyclopedia

ピエルルイジ・カシラギ(Pierluigi Casiraghi, イタリア語発音: [ˌpjɛrluˈiːdʒi kaziˈraːɡi], 1973年3月19日 - )は、イタリアモンツァ出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはフォワード

愛称 Gigi
ラテン文字 Pierluigi Casiraghi
生年月日 (1969-03-04) 1969年3月4日(57歳)
概要 ピエルルイジ・カシラギ, 名前 ...
ピエルルイジ・カシラギ
チャリティマッチでのカシラギ(2018年)
名前
愛称 Gigi
ラテン文字 Pierluigi Casiraghi
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1969-03-04) 1969年3月4日(57歳)
出身地 モンツァ
身長 182 cm
体重 78 kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1979-1984 イタリアの旗 モンツァ
1984-1985 イタリアの旗 インテル・ミラノ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1989 イタリアの旗 モンツァ 95 (28)
1989-1993 イタリアの旗 ユヴェントス 98 (20)
1993-1998 イタリアの旗 ラツィオ 140 (41)
1998-2000 イングランドの旗 チェルシー 10 (1)
通算 343 (90)
代表歴2
1989-1990  イタリア U-21 7 (1)
1991-1998  イタリア 44 (13)
監督歴
2003-2004 イタリアの旗 レニャーノ
2006-2010  イタリア U-21
2008  イタリア U-23
1. 国内リーグ戦に限る。2025年12月16日現在。
2. 2025年12月16日現在。
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経歴

クラブ

地元のクラブであるモンツァの下部組織で育ち、1985年にトップチームに昇格[1]。8月21日、コッパ・イタリアフィオレンティーナ戦に途中出場し、16歳でトップチームデビュー[2]。10月20日、リーグ第7節のアレッツォ戦でセリエB初出場[3]。1986年6月1日、リーグ第36節のペスカーラ戦でプロ初ゴールを記録した[4]。このシーズン、モンツァはリーグを最下位で終え、セリエC1に降格となった。

1986-87シーズンは出場時間を大きく増やし、コッパ・イタリアのサンプドリア戦で2ゴールを挙げるなど[5]、公式戦30試合で8ゴールを記録。1987-88シーズンにはリーグ戦で12ゴールを挙げ、セリエB復帰に貢献した。

1989-1990シーズンディノ・ゾフが率いるユヴェントスに移籍[1][2]。1989年8月27日、リーグ開幕節のボローニャ戦でセリエAデビュー[6]。9月6日、リーグ第3節のフィオレンティーナ戦で移籍後初ゴールを挙げた[7]。1990年1月31日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦1stレグで2ゴールを挙げ[8]、5月2日のUEFAカップ決勝のフィオレンティーナ戦でも勝ち越しゴールを挙げ、この2つのカップタイトル獲得に貢献した[2]

1990-91シーズン、新監督に就任したルイジ・マイフレディイタリア語版のもとでも期待の若手として起用され、UEFAカップウィナーズカップ準決勝のバルセロナ戦1stレグでゴールを挙げるなど、前シーズンよりも得点を増やした。しかしマイフレディ体制ではタイトルを獲得できず、1992-93シーズンにはジャンルカ・ヴィアッリファブリッツィオ・ラヴァネッリが加入し、カシラギの序列が低下。FIFAワールドカップ出場を目指していたカシラギは、出場機会を求めてクラブを去ることを決意した[2]

1993年8月6日、かつての恩師であるゾフが監督を務めるラツィオに移籍。ユヴェントス側に買い戻しオプションが付随している[9]。前線でジュゼッペ・シニョーリと2トップを組み、ポストワークでシニョーリをサポートしたものの、2シーズン連続で得点王となったシニョーリとは対照的に、自身はリーグ戦4ゴールにとどまった。1994-95シーズンズデネク・ゼーマンが指揮を執り、前シーズン途中から加わったアレン・ボクシッチとのポジション争いの中で12ゴールを挙げ、1995年3月5日、リーグ第22節のフィオレンティーナ戦では4ゴール4アシストの活躍をみせた[10]。ラツィオでの3シーズン目の1995-96シーズンは、キャリアハイのリーグ戦14ゴールを記録した[2]1996-97シーズンから1997-98シーズンにかけては監督が次々と変わり、起用方の違いなどから十分なパフォーマンスを発揮できなかったが、UEFAカップでは10試合で4ゴールを挙げ、クラブ史上初の決勝進出に貢献した[11]

1998年7月、イングランドチェルシーに移籍。ユヴェントスおよびラツィオでのチームメイトで、チェルシーで選手兼任監督を務めていたヴィアッリの強い要望であった[2]。8月28日、UEFAスーパーカップ決勝でレアル・マドリードを破り、チェルシーでの初タイトルを獲得[12]。10月4日、リーグ第8節のリヴァプール戦でプレミアリーグ初ゴールを挙げた[13]。11月8日、リーグ第12節のウェストハム・ユナイテッド戦で相手GKシャカ・ヒスロップと衝突し、膝を靭帯損傷、半月板損傷、骨折などの重傷を負った[14]

ヴィアッリや他のチームメイトからは容体の心配や励ましの連絡が度々あったが、クラブの幹部からは一度もなかったという[2]。何度も手術を受けたが、再び選手としてプレイできるほどに回復することはなく、2000年8月4日にチェルシーから契約を解消され、31歳で現役を引退した[15]

代表

1989年からU-21代表に選出され、1990年にUEFA U-21欧州選手権英語版に出場。3試合に出場し、スペイン戦で1ゴールを挙げた[16]

1991年、アゼリオ・ヴィチーニによってA代表に初招集され、2月13日、ベルギーとの親善試合で代表初キャップ[17]。1992年2月19日、サンマリノとの親善試合で代表初ゴールを記録[18]

1994年、アリゴ・サッキが率いたFIFAワールドカップのメンバーに選出され、3試合に先発出場[19]。決勝のブラジル戦では出番がなかったが、準優勝メンバーの一員となった[2]

代表でもセンターフォワードの主力として起用され、1996年のUEFA EUROにも出場[20]。グループステージ初戦のロシア戦では2ゴールを挙げ勝利に貢献[2]。しかし自身がベンチスタートとなったチェコ戦で敗れたことが痛手となり、イタリアはグループステージで敗退した[14]

1997年11月15日、FIFAワールドカップ予選でロシアと再戦した際にも決勝ゴールを挙げた[6]

1998年4月22日、パラグアイとの親善試合が代表最後の試合となり、6月から開催されたFIFAワールドカップのメンバーからは選外となった[21]

指導者

2001年7月、モンツァのユースチームで指導者としてのキャリアをスタートさせた[22]

2003年5月20日、セリエC2レニャーノの監督に就任し、初めてプロチームの指揮を執ったが[1]、成績は振るわず、2004年3月24日に解任された[23]。2006年7月16日、ユース部門のコーディネイターとしてモンツァに復帰すると[24]、7月24日にはイタリアサッカー連盟から、クラウディオ・ジェンティーレの後任としてU-21、およびU-20代表チームの監督を依頼され、イタリア代表やチェルシーでチームメイトであったジャンフランコ・ゾラもコーチングスタッフに加わった[25]

カシラギが率いたU-21代表は、2007年にオランダで開催されたUEFA U-21欧州選手権に出場したが、グループステージで敗退した。しかし、北京オリンピックはPK戦までもつれたポルトガルとのプレイオフを制し、出場権を獲得。オリンピックの前哨戦として臨んだ2008年のトゥーロン国際大会では優勝した[26]。オリンピック本大会ではグループステージを首位で通過したが、準々決勝でベルギーに敗れた[27]。2009年にスウェーデンで開催されたUEFA U-21欧州選手権にも出場。準決勝でこの大会のチャンピオンとなったドイツに敗れた。

その後、2011年のUEFA U-21欧州選手権およびロンドンオリンピックの出場権を逃したことが響き、2010年10月20日にU-21代表監督を辞任した[28]

2014年12月24日、カリアリ・カルチョの指揮を執ることとなったゾラに招かれアシスタント・コーチに就任したが[29]、2015年3月9日、ゾラの解任に伴い、他のコーチングスタッフとともにクラブを去った[30]

7月11日、カタールアル・アラビの監督に就任したゾラのアシスタント・コーチを再び務めたが[31]、2016年6月27日に監督とともに解任となった[32]。12月14日、イングランドに渡りまたもゾラが指揮を執ることになったバーミンガム・シティのアシスタント・コーチに就任したが[33]、2017年4月17日、成績不振により両者とも辞任しクラブを去った[34]

個人成績

クラブ

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1985-96モンツァセリエB13120-151
1986-87セリエC125652-308
1987-88301240-3412
1988-89セリエB27941-3110
1989-90ユヴェントスセリエA23482-316
1990-9124842-2810
1991-9233781-418
1992-9318161-242
1993-94ラツィオ26420-284
1994-95341263-4015
1995-969281430-3114
1996-9724842-2810
1997-9828360-343
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1998-99チェルシー10プレミアリーグ1010000101
通算イタリアセリエC1 551892-6420
イタリアセリエB 401061-4611
イタリアセリエA 238614711-28572
イングランドプレミアリーグ 1010000101
総通算 34390621400405104
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代表

さらに見る イタリア代表, 国際Aマッチ ...
イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
199120
199261
199352
1994102
199551
199695
199762
199810
通算4413
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タイトル

クラブ

モンツァ
ユヴェントス
ラツィオ
  • コッパ・イタリア(1997-98)
チェルシー

脚注

外部リンク

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