ピエルルイジ・カシラギ
イタリアのサッカー選手、指導者
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ピエルルイジ・カシラギ(Pierluigi Casiraghi, イタリア語発音: [ˌpjɛrluˈiːdʒi kaziˈraːɡi], 1973年3月19日 - )は、イタリア・モンツァ出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはフォワード。
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チャリティマッチでのカシラギ(2018年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 愛称 | Gigi | |||||
| ラテン文字 | Pierluigi Casiraghi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年3月4日(57歳) | |||||
| 出身地 | モンツァ | |||||
| 身長 | 182 cm | |||||
| 体重 | 78 kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1979-1984 |
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| 1984-1985 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1989 |
| 95 | (28) | |||
| 1989-1993 |
| 98 | (20) | |||
| 1993-1998 |
| 140 | (41) | |||
| 1998-2000 |
| 10 | (1) | |||
| 通算 | 343 | (90) | ||||
| 代表歴2 | ||||||
| 1989-1990 |
| 7 | (1) | |||
| 1991-1998 |
| 44 | (13) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2003-2004 |
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| 2006-2010 |
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| 2008 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2025年12月16日現在。 2. 2025年12月16日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
クラブ
地元のクラブであるモンツァの下部組織で育ち、1985年にトップチームに昇格[1]。8月21日、コッパ・イタリアのフィオレンティーナ戦に途中出場し、16歳でトップチームデビュー[2]。10月20日、リーグ第7節のアレッツォ戦でセリエB初出場[3]。1986年6月1日、リーグ第36節のペスカーラ戦でプロ初ゴールを記録した[4]。このシーズン、モンツァはリーグを最下位で終え、セリエC1に降格となった。
1986-87シーズンは出場時間を大きく増やし、コッパ・イタリアのサンプドリア戦で2ゴールを挙げるなど[5]、公式戦30試合で8ゴールを記録。1987-88シーズンにはリーグ戦で12ゴールを挙げ、セリエB復帰に貢献した。
1989-1990シーズン、ディノ・ゾフが率いるユヴェントスに移籍[1][2]。1989年8月27日、リーグ開幕節のボローニャ戦でセリエAデビュー[6]。9月6日、リーグ第3節のフィオレンティーナ戦で移籍後初ゴールを挙げた[7]。1990年1月31日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦1stレグで2ゴールを挙げ[8]、5月2日のUEFAカップ決勝のフィオレンティーナ戦でも勝ち越しゴールを挙げ、この2つのカップタイトル獲得に貢献した[2]。
1990-91シーズン、新監督に就任したルイジ・マイフレディのもとでも期待の若手として起用され、UEFAカップウィナーズカップ準決勝のバルセロナ戦1stレグでゴールを挙げるなど、前シーズンよりも得点を増やした。しかしマイフレディ体制ではタイトルを獲得できず、1992-93シーズンにはジャンルカ・ヴィアッリとファブリッツィオ・ラヴァネッリが加入し、カシラギの序列が低下。FIFAワールドカップ出場を目指していたカシラギは、出場機会を求めてクラブを去ることを決意した[2]。
1993年8月6日、かつての恩師であるゾフが監督を務めるラツィオに移籍。ユヴェントス側に買い戻しオプションが付随している[9]。前線でジュゼッペ・シニョーリと2トップを組み、ポストワークでシニョーリをサポートしたものの、2シーズン連続で得点王となったシニョーリとは対照的に、自身はリーグ戦4ゴールにとどまった。1994-95シーズンはズデネク・ゼーマンが指揮を執り、前シーズン途中から加わったアレン・ボクシッチとのポジション争いの中で12ゴールを挙げ、1995年3月5日、リーグ第22節のフィオレンティーナ戦では4ゴール4アシストの活躍をみせた[10]。ラツィオでの3シーズン目の1995-96シーズンは、キャリアハイのリーグ戦14ゴールを記録した[2]。1996-97シーズンから1997-98シーズンにかけては監督が次々と変わり、起用方の違いなどから十分なパフォーマンスを発揮できなかったが、UEFAカップでは10試合で4ゴールを挙げ、クラブ史上初の決勝進出に貢献した[11]。
1998年7月、イングランドのチェルシーに移籍。ユヴェントスおよびラツィオでのチームメイトで、チェルシーで選手兼任監督を務めていたヴィアッリの強い要望であった[2]。8月28日、UEFAスーパーカップ決勝でレアル・マドリードを破り、チェルシーでの初タイトルを獲得[12]。10月4日、リーグ第8節のリヴァプール戦でプレミアリーグ初ゴールを挙げた[13]。11月8日、リーグ第12節のウェストハム・ユナイテッド戦で相手GKのシャカ・ヒスロップと衝突し、膝を靭帯損傷、半月板損傷、骨折などの重傷を負った[14]。
ヴィアッリや他のチームメイトからは容体の心配や励ましの連絡が度々あったが、クラブの幹部からは一度もなかったという[2]。何度も手術を受けたが、再び選手としてプレイできるほどに回復することはなく、2000年8月4日にチェルシーから契約を解消され、31歳で現役を引退した[15]。
代表
1989年からU-21代表に選出され、1990年にUEFA U-21欧州選手権に出場。3試合に出場し、スペイン戦で1ゴールを挙げた[16]。
1991年、アゼリオ・ヴィチーニによってA代表に初招集され、2月13日、ベルギーとの親善試合で代表初キャップ[17]。1992年2月19日、サンマリノとの親善試合で代表初ゴールを記録[18]。
1994年、アリゴ・サッキが率いたFIFAワールドカップのメンバーに選出され、3試合に先発出場[19]。決勝のブラジル戦では出番がなかったが、準優勝メンバーの一員となった[2]。
代表でもセンターフォワードの主力として起用され、1996年のUEFA EUROにも出場[20]。グループステージ初戦のロシア戦では2ゴールを挙げ勝利に貢献[2]。しかし自身がベンチスタートとなったチェコ戦で敗れたことが痛手となり、イタリアはグループステージで敗退した[14]。
1997年11月15日、FIFAワールドカップ予選でロシアと再戦した際にも決勝ゴールを挙げた[6]。
1998年4月22日、パラグアイとの親善試合が代表最後の試合となり、6月から開催されたFIFAワールドカップのメンバーからは選外となった[21]。
指導者
2001年7月、モンツァのユースチームで指導者としてのキャリアをスタートさせた[22]。
2003年5月20日、セリエC2のレニャーノの監督に就任し、初めてプロチームの指揮を執ったが[1]、成績は振るわず、2004年3月24日に解任された[23]。2006年7月16日、ユース部門のコーディネイターとしてモンツァに復帰すると[24]、7月24日にはイタリアサッカー連盟から、クラウディオ・ジェンティーレの後任としてU-21、およびU-20代表チームの監督を依頼され、イタリア代表やチェルシーでチームメイトであったジャンフランコ・ゾラもコーチングスタッフに加わった[25]。
カシラギが率いたU-21代表は、2007年にオランダで開催されたUEFA U-21欧州選手権に出場したが、グループステージで敗退した。しかし、北京オリンピックはPK戦までもつれたポルトガルとのプレイオフを制し、出場権を獲得。オリンピックの前哨戦として臨んだ2008年のトゥーロン国際大会では優勝した[26]。オリンピック本大会ではグループステージを首位で通過したが、準々決勝でベルギーに敗れた[27]。2009年にスウェーデンで開催されたUEFA U-21欧州選手権にも出場。準決勝でこの大会のチャンピオンとなったドイツに敗れた。
その後、2011年のUEFA U-21欧州選手権およびロンドンオリンピックの出場権を逃したことが響き、2010年10月20日にU-21代表監督を辞任した[28]。
2014年12月24日、カリアリ・カルチョの指揮を執ることとなったゾラに招かれアシスタント・コーチに就任したが[29]、2015年3月9日、ゾラの解任に伴い、他のコーチングスタッフとともにクラブを去った[30]。
7月11日、カタールのアル・アラビの監督に就任したゾラのアシスタント・コーチを再び務めたが[31]、2016年6月27日に監督とともに解任となった[32]。12月14日、イングランドに渡りまたもゾラが指揮を執ることになったバーミンガム・シティのアシスタント・コーチに就任したが[33]、2017年4月17日、成績不振により両者とも辞任しクラブを去った[34]。
個人成績
クラブ
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1985-96 | モンツァ | セリエB | 13 | 1 | 2 | 0 | - | 15 | 1 | ||
| 1986-87 | セリエC1 | 25 | 6 | 5 | 2 | - | 30 | 8 | |||
| 1987-88 | 30 | 12 | 4 | 0 | - | 34 | 12 | ||||
| 1988-89 | セリエB | 27 | 9 | 4 | 1 | - | 31 | 10 | |||
| 1989-90 | ユヴェントス | セリエA | 23 | 4 | 8 | 2 | - | 31 | 6 | ||
| 1990-91 | 24 | 8 | 4 | 2 | - | 28 | 10 | ||||
| 1991-92 | 33 | 7 | 8 | 1 | - | 41 | 8 | ||||
| 1992-93 | 18 | 1 | 6 | 1 | - | 24 | 2 | ||||
| 1993-94 | ラツィオ | 26 | 4 | 2 | 0 | - | 28 | 4 | |||
| 1994-95 | 34 | 12 | 6 | 3 | - | 40 | 15 | ||||
| 1995-96 | 9 | 28 | 14 | 3 | 0 | - | 31 | 14 | |||
| 1996-97 | 24 | 8 | 4 | 2 | - | 28 | 10 | ||||
| 1997-98 | 28 | 3 | 6 | 0 | - | 34 | 3 | ||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 1998-99 | チェルシー | 10 | プレミアリーグ | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 |
| 通算 | イタリア | セリエC1 | 55 | 18 | 9 | 2 | - | 64 | 20 | ||
| イタリア | セリエB | 40 | 10 | 6 | 1 | - | 46 | 11 | |||
| イタリア | セリエA | 238 | 61 | 47 | 11 | - | 285 | 72 | |||
| イングランド | プレミアリーグ | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | ||
| 総通算 | 343 | 90 | 62 | 14 | 0 | 0 | 405 | 104 | |||
代表
タイトル
クラブ
- モンツァ
- コッパ・イタリア・セリエC(1987-88)
- ユヴェントス
- ラツィオ
- コッパ・イタリア(1997-98)
- チェルシー