ピニャータ
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歴史
古来
マルコ・ポーロの旅行記、『東方見聞録』によると、ピニャータの起源は、中国であり、新年の祝いに使ったという。[7]それは、牛、水牛などの形に作ってあった。それらは、色紙で包まれており、中には、5種の種が入れられていた。彼らは、それを色のついた棒でたたき、後ではそれを燃やし、その年の幸運を願って灰を集めたという。後の14世紀頃、イタリアでは、その習慣は、カトリック教会の伝統である四旬節の際に取り入れられた。その最初の日曜は、「ピニャータの日曜」と呼ばれたという。それが、スペインに伝わると、「ラ・ピニャータのダンス」と呼ばれるようになった。[8]当地では、素焼きの水がめ用の土器が使われた。後には、新大陸のメキシコにて広まり、そこで一般的になった。
また一方、既に、アステカ文明で、神の祝祭に似たようなことが行われていたともいう。彼らは、太陽神、軍神、狩猟神であるウィツィロポチトリの生誕の祝いを12月中旬に行っており、供え物の入れ物に、鳥の羽根などを付けて飾り、それを割ってささげ物にしたという。カトリックの宣教側では、それを取り入れたともいえる。
カトリックの行事として
新大陸では、カトリック教会の宣教のために使われるようになった。16世紀には、スペインからの宣教師は、現地人の関心を引くために行事にピニャータを使った。彼らは、宗教的な行事に、その素焼きの土器を使い、紙で覆い、時には、奇抜な形にしたという。具体的には、1586年、メキシコ南部で、現在のメキシコシティーに近いアコルマンのアウグスティノ修道会の修道士は、シクストゥス5世の許可を得て、クリスマス(Navidad)の前の9日間のラス・ポサダス(Las posadas)と呼ばれる行事を設け「飾りのミサ」と呼んで祝うことにした。これは、キリスト教の教えを伝える意味があった。7個の突起は、七つの大罪を表し、また、鮮やかな色彩は誘惑を、目隠しをするのは信仰の表示で、棒でたたく人は、33回、回転させられる。これは、方向性を探す意味が含まれている。(33回という数字は、イエスの生涯年数を想起させる。)棒でたたくことは、罪と闘うことであって、最後に天からの祝福が落ちて来る、という意味を付加していたという。
大衆化
しかし、この行事がメキシコの国内に広がると、世俗的に使われるようになった。そのため、教会としては、それを、1788 - 1796年まで禁止していた。その禁止は、あまり効果が無かったので、1818年には、取りやめになった。そのような経過で現在では、土鍋は紙に替わり、また宗教的意味合いを失って行った。


