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ゴダイヴァ夫人

11世紀イングランドの女性 From Wikipedia, the free encyclopedia

ゴダイヴァ夫人(ゴダイヴァふじん、Lady Godiva、990年頃 - 1067年9月10日?)は、11世紀イングランドの女性。マーシア伯レオフリックの夫人で、自身も後に領主となった。夫であるレオフリックの圧政をいさめるため、コヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという有名な伝説が残っている。しかし、中世史を専門とする歴史家たちの見解は、このエピソードは「史実ではない」ということで一致している。

ジョン・コリア作「ゴダイヴァ夫人」。1898年頃の作品
エドモンド・レイトン作「ゴダイヴァ夫人」。1898年頃の作品。服を脱ぐ前の状態
トーマス・スティーブンス作「ゴダイヴァ夫人の行列」。

同時代頃に書かれたとされる偽イングルフ(英語版)の年代記によれば、ゴダイヴァは「美しいかぎりの、聖い心もちの女性」であったといわれる[1]。

ベルギーのチョコレートメーカー「ゴディバ」のブランド名およびそのロゴはゴダイヴァ夫人の伝説に由来するが日本語の表記と発音はベルギーでの発音にしたがい「ゴディバ」とすることが多い[2]。

「ゴディバ」のチョコレートの箱に描かれたロゴ

伝説

ジョン・トーマス作の彫刻、メードストン博物館
ジョン・トーマス作の彫刻の詳細。

英米で広く信じられている伝説では、領民に情け深い夫人が、理不尽な夫から難癖をつけられた結果、全身裸になり、長髪をなびかせて馬に乗り、町内を横断する羽目になった。町人は夫人に恩義を感じていて、決して見ようとはせず、野次馬行為を差し控えたが、ただ一人だけ、トムという男が盗み見てしまった。この出来事以来、ピーピング・トムという言葉が覗き見をする人間の代名詞として使われるようになったというものである。

この内、どの部分がどのように成立したかを以下に説明する。この伝説については、ロジャー・オブ・ウェンドーヴァー(英語版)(1236年没)の年代記、『歴史の花(英語版)』が、最も簡素、且つ最古とされる典拠であるが[3]、それは次のような記述である:[4]

伯爵夫人ゴダイヴァは聖母の大そうな敬愛者で、コヴェントリーの町を重税の苦から解放せんと欲し、度々夫に対して祈願して(減税を)迫った。…伯爵は、いつもきつく叱りつけ、二度とその話はせぬよう窘めたが、(それでも尚、粘るので)遂に「馬にまたがり、民衆の皆がいる前で、裸で乗り回せ。町の市場をよぎり、端から端まで渡ったならば、お前の要求は叶えてやろう」と言った。ゴダイヴァは「では私にその意があれば、お許し頂けますのですね?」念を押したが「許す」と言う。さすれば神に愛されし伯爵夫人は、髪を解きほどき、髪の房を垂らして、全身をヴェールのように覆わせた。そして馬にまたがり、二人の騎士を供に付け、市場を駆けて突っ切ったが、その美しい御み足以外は誰にも見られなかった。そして道程を完走すると、彼女は喜々として、驚愕する夫の所に舞い戻り、先の要求を叶えた。レオフリク伯は、コヴェントリーの町を前述の役から免じ、勅令(憲章)によって、これを認定した。

ロジャーの『歴史の花』よりも広く書写された中世時代のベストセラーに、同じ僧院の後輩マシュー・パリス(英語版)による補訂版ともいうべき『大年代記(英語版)』があるが、その記述も上と大差はなく、誰にも見られなかったことを伯爵が「奇跡だと感じ入った」という部分のみが誇張である[5]。

トマス・パーシー司教(英語版)のフォリオ写本(1650年頃の写本)所収のバラッドの一篇「レオフリクス」(Leoffricus)[6][7]では、伯爵は既に市民に対し免税優遇策を施してはいたが、ただ「馬税」だけが未だ徴収されていたので、妻のゴダイヴァ (Godiva) が、更にその撤廃を嘆願した。ゴダイヴァは、裸で馬乗りすることを命じられた日を指定して、町内中の役人に通知すると、役人達は彼女の意を汲み、町民達に命じて、「その日は家にこもって戸も窓も締め切るように」と言いつけた[8]町民に屋内に閉じこもれという発令がされるのは、このバラッドが初だという[9]。

また、「裸で」という言葉の解釈にも諸説ある。「長い髪が効果的に体を隠していた」「下着のようなものは身に着けていた」「貴族の象徴である装飾や宝石類を外した姿だったことを『裸で』と表現した」など、複数の説がある。但し、彼女が生きた時代の"naked"という言葉は、文字通り「いかなる衣服も身に着けず」という意味であり、当時はそれ以上の比喩的な使われ方があった訳ではなかった。そのため、後付的な解釈であるという見方も強い。尚、領民のためではなく、自らの罪を懺悔するために行なったという説もある[要出典]。

ピーピング・トム (伝説)

コヴェントリーの行事で展示されたピーピング・トムの木像。W. Reader (1826年の投稿記事)のスケッチ

町衆みんなが守った礼儀に逆らって、一糸まとわぬゴダイヴァ夫人をただ一人覗き見したというピーピング・トム伝説は、文学作品から広まった形跡はない。これは17世紀以降、コヴェントリー地域の巷に出現した伝説である。

1826年に投稿された W. Reader という地元通の記事によれば、夫人を覗き見した仕立屋がいたという伝説は、その頃、既に定着しており、町をあげての恒例の祭り (Trinity Great Fair 現今en:Godiva Festival) では、ゴダイヴァ夫人に扮した人が行列に参列し (Godiva processions)、街角には「ピーピング・トム」と呼ばれる木像が置かれるしきたりであった(そのイラスト画像などは#二次資料を参照)。同記事の筆者は、この木像の甲冑・異称などから、それがチャールズ2世(1685年没)時代頃のものと推定する。また、古物収集家ウィリアム・ダグデール(英語版) (1686年没)が、その巨著らの中で「覗き野郎」のことに一言も触れていないことから、伝説の発祥は、その後と結論付けた[10]。

ゴダイヴァ夫人の行進の行事が初めて開催されたのは1677年であるが[11]、翌1678年にはジェームズ・スウィナートンという男の子がゴダイヴァ夫人役だったという[12]。

風刺画家ジェームズ・ギルレイの「レディ・ゴダイヴァの敗走、あるいは――教皇ヨハンナを追うピーピング・トム」(1796年)。当時のファッションを風刺することでこの伝説に訴えかけた。

文献における「覗き男」登場の経緯については『英国人名事典 (DNB 1890) 』に詳しい[13]。まず、歴史家ポール・ド・ラパン=トワラ(英語版) (1732年)がルポタージュする地元事情によれば、戸窓を閉め切って見るな、死罪に処すぞと、きついお達しがあったのに覗き見した男がおり、そいつは命で償ったというのが町の言い伝えであり、町では、この故事を記念し、男の像が一軒の家の窓から外を覗くように飾ってあると報告する[14]。次にトマス・ペナント『チェスターからロンドン』( 1782 年)によれば、 覗き見したのは、とある仕立屋だったとし、ゴダイヴァ夫人の行進では、ゴダイヴァ役が、無論全裸ではないが、四肢にぴったり合わせた純白の絹衣を纏うとしている[15]。英国人物事典によれば、「ピーピング・トム」が名指しで文書に登場する最古例はコヴェントリー市の公式年代記(1773年6月11日付)で、木偶に新しいかつらと塗料が支給された記録である。

この他、覗き男の名がアクティオン(?)(Action) であったという1700年以前の書簡があるという[16]。

トム(トーマス)という名はアングロサクソン名ではないので、実在のゴダイヴァ夫人の時代の領民の名としては有り得ないことが指摘されている。また、トーマスは、この後に天罰が下って盲目にされた、あるいは住民によって視力を奪われてしまったとも伝えられる[17]。

ピーピング・トム (俗語)

ピーピング・トム (Peeping Tom) は英語の俗語で、覗き魔のこと。ゴダイヴァ夫人の裸身を覗き見た上記の男の名に由来する。日本語の同意の俗語「出歯亀」(でばがめ)に相当。

史実

ゴダイヴァ夫人の描かれた1792年のトークンコイン(右)

マーシア伯レオフリック( -1057年)の妻。名前の綴りは一定してしない。アングロサクソン名は Godgifu または Godgyfu であり、これはgood giftを意味する[18]。Godiva はラテン語風の綴りである。イーリー大聖堂年代記 Liber Eliensis (12世紀末) によれば、ゴダイヴァという名の伯爵未亡人が1028-9年頃、死期を悟り同寺院に土地を寄贈したとあるが、もしこれと同一人物であるとすれば、その彼女が病状から回復して、そののちにレオフリックと再婚したことになる[19]。

レオフリックもゴダイヴァも共に信仰活動に熱心であった。ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーによれば、レオフリック伯が1057年に死去したとき、みずから建立したコヴェントリーの修道院に埋葬されたが、この建立は妻であるゴダイヴァ伯爵夫人の助言によるものであったという[20]。このベネディクト会修道院、聖メアリーの小修道院(英語版)は、1043年に設立されたが[21][22]、修道院解散令に廃院となった 。下って1050年代には、ウスター市の聖メアリー修道院 (St Mary's Priory) への土地の寄進状において、またリンカンシャー州のストウの聖メアリー教会(Minster Church of St Mary, Stow in Lindsey)の建立勅令にも、ゴダイヴァ(Godgife)の名がレオフリックの名と連記されている[23][24] 。さらに夫妻の名前はレオミンスター、チェスター、マッチウェンロック、エヴェシャムの教会堂の後援者として記録されている[25]。

1057年にレオフリックと死別した後、未亡人としてノルマン・コンクエスト後まで生き延びた。ウィリアム1世による検地台帳「ドゥームズデイ・ブック」には、ノルマン人によるイングランド征服後もわずかながら残ったアングロサクソン人領主の一人として、また唯一の女性領主として記されている。ただし土地調査が行われた1086年には既にゴダイヴァは死去していたとする説もあり[26]、1066年から1086年の間に死去したとする説、1067年9月10日をゴダイヴァの命日とする説など諸説ある[27]。また、ゴダイヴァの墓所についても、夫の隣に埋葬されたとする説、すでに現存しないエヴェシャムの教会に埋葬されたとする説など諸説ある。

これらの史実から、コヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという「有名な伝説は事実ではない」というのが歴史家の一致した見解である[28][29][30]。

コヴェントリーとゴダイヴァ夫人

ウィリアム・レイド・ディック卿によるゴダイヴァ夫人の騎馬像

コヴェントリーはゴダイヴァ夫人の故事で有名であり、2018年に制定された市の新しい旗は馬に乗ったゴダイヴァ夫人のシルエットになっている[31]。

市の中央広場であるブロードゲイト(Broadgate)には、ゴダイヴァ夫人の騎馬像がある(位置は北緯52度24分28.95秒 西経1度30分37.39秒)。この像はウィリアム・レイド・ディック(en:William Reid Dick)卿(1878-1961)によって彫られ、1949年10月22日に当時のアメリカ合衆国大使夫人のダグラス夫人によって除幕されたものである。

像の寄進者はコヴェントリーの企業家であった W H バセット=グリーン(W H Baddett-Green) (1870-1960)であり[32]、像の台座後面にそのことが明記されている。彼は当時の20,000ポンドをかけて像の制作を1937年にウィリアム卿に依頼し、像は1944年に完成していた[33]。

像の正式の名称はSelf Sacrifice(「自己犠牲」の意であり、像の台座正面に刻印されている。)であるが、通常はLady Godiva Statueと呼ばれている。その後、この騎馬像の上空にテント式の天蓋(en:canopy)が設置されたが、市民の評判が悪いこともあり、2008年10月に撤去された[34]。さらにその後、騎馬像を囲むフェンスも撤去された。この像は、1998年4月15日に、イングランド遺産のグレードⅡ* に指定されている[35]。

騎馬像の台座の側面にはアルフレッド・テニスンによる次の詩が刻まれている。

  • 馬の進行方向左側の台座:GODIVA/SHE RODE FORTH CLOTHED ON WITH/CHASTITY THE DEEP AIR LISTEN D ROUND/HER AS SHE RODE AND ALL THE LOW WIND/HARDLY BREATHED FOR FEAR/Tennyson
  • 馬の進行方向右側の台座:GODIVA/THEN SHE RODE BACK CLOTHED ON WITH/CHASTITY SHE TOOK THE TAX AWAY AND/BUILT HERSELF AN EVERLASTING NAME/Tennyson

時代別と撮影方向別のゴダイヴァ夫人の騎馬像の写真については、ウィキメディアコモンズのMedia in category "Lady Godiva (by William Reid Dick)" Wikimedia Commons を参照のこと。

コヴェントリーの中心街にあるブロードゲイト・ハウス(市庁舎)の塔に設置されているゴダイヴァ時計
ゴダイヴァ時計の詳細。ピーピング・トムが見下ろしている。

ゴダイヴァ時計

騎馬像の南に当たるBroadgate House(市庁舎)の塔には、1953年に設置されたゴダイヴァ時計(Godiva Clock)という仕掛け時計がある。毎正時に白馬に跨がったゴダイヴァ夫人の人形が現れ、それを上からピーピング・トムが覗くという仕掛けになっている[36][37]。ゴダイヴァ夫人の騎馬像は当初はこのゴダイヴァ時計に向き合うように(南向きに)設置されていたが、1990年に90度方角が変えられ、西を向くようになった[33]。

ゴダイヴァ時計が動く様子

ギャラリー

その他

  • 欧米では、増税反対などを訴える街頭抗議デモの際に、ゴダイヴァ夫人の伝説にちなんだスキンカラーのボディスーツを身につけた女性が白馬にまたがり、街をねり歩くパフォーマンスが行われることがある[38][39][40]。
  • SF作家ロバート・A・ハインラインは、「効果的なパフォーマンス」「印象的な出来事」の例として、ゴダイヴァ夫人の故事を頻繁に引用している。
  • ノースロップ・グラマンF-14トムキャット戦闘機の偵察機バージョン(偵察ポッドを搭載)は、ニックネームがピーピング・トムである。
  • クイーンの楽曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」の歌詞では、競技用自動車について、ゴダイヴァ夫人のように駆け抜けると表現されている。
  • ゴディバ実験装置は放射線を遮蔽するシールドが無いため、服を着ていないゴダイヴァ夫人に喩えて命名された。

脚注

参考文献

外部リンク

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