フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
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生涯

1793年1月15日、ウィーンで誕生した。1807年から1813年の間、ウィーン美術アカデミーをしばしば訪れ、フーベルト・マウラーやヨハン・バプティスト・ランピ(Johann Baptist Lampi)の弟子となり、1810年に賞を受賞した。肖像画家として働き、1814年、画家のヨーゼフ・ヴァイドナー(Josef Weidner)の娘でオペラ歌手のカタリーナ・ヴァイトナーと結婚した。
1814年から1815年にかけて、ウィーン会議が開催された。肖像画を得意とするイギリスの宮廷画家トーマス・ローレンスがウィーンにやって来たのを契機として、オーストリア貴族にも肖像画の需要が生まれた[1]。そこでヴァルトミュラーは肖像画家として活躍したが、その肖像画はドミニク・アングルの作風に似たものであった[1]。
ヴァルトミュラーが1827年に描いたベートーヴェンの肖像画は、ヨーゼフ・カール・シュティーラーの描いた肖像画ほどではないが、有名である。1827年、オーストリア皇帝フランツ1世の肖像画を依頼され、ますます貴族からの依頼を受けるようになった。
1825年から1844年の間に、イタリアで何度か修行し、1829年にアカデミーの教授の称号を得てアカデミーの絵画コレクションの学芸員になった。1830年にはパリを訪れ、その後数年間はバート・イシュルで夏を過ごした。
1834年、妻カタリーナと離婚した。
ヴァルトミュラーは風景画もよく描いたが、彼は工業化されていく都市からの逃避的な意味を風景画に持たせた初めての画家であった[1]。
1865年にニーダーエスターライヒ州メドリング(Mödling)近郊のヒンターブリュール(Hinterbrühl)で亡くなった。ヴァルトミュラーの教えた学生にはハンス・カノンやアントン・ロマコ、アダム・ブレナー(Adam Brenner)らがいる。
ギャラリー
- ベートーヴェンの肖像画(1823年)
- オーストリア皇帝フランツ1世の肖像画(1827年)
- 『イシュルの眺め』(Blick auf Ischl)1838年
- 『牡蠣、魚、熱帯果実のある静物画』(Stillleben mit Austern, Fischen und Südfrüchten)1842年
- 『バラ』(Roses)1843年
- 『恋文』(Der Liebesbrief)1849年
- 『聖体祭の朝』(Am Fronleichnamsmorgen)1857年
- 『中断された巡礼』(Unterbrochene Wallfahrt)1858年
- 『盗み聞きされた恋人たち(口づけ)』(Belauschte Liebesleute)1858年
- 『隣人』(Die Nachbarn)1859年
- 『新婚夫婦の入口』(Eintritt der Neuvermählten)1859年
- 『期待』(Die Erwartete)1860年頃
- 『岐路の恋人たち』(Die Liebenden am Scheideweg)1861年
- 『森での出会い』(Begegnung im Walde)1863年
- 『ウィーンの森の早春』(Vorfrühling im Wiener Wald)1864年